狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

独立自尊の精神で孤往独邁の覚悟・・・妥協せず精神面での勝利、「自分を取り戻す」

2016-04-10 17:04:49 | 孤独・独立・自尊心
 私は現在、「自分を取り戻す」を内に秘め日々を送っている。安倍首相の掲げるスローガン「日本を取り戻す」と同様に。
 過去には失敗・間違いが多々あった。しかし、全てにおいて間違っていた訳では無かった。正しかった事も多かったのである。若いころは一生懸命に努力してよく仕事をしたものだった。
 過去の歴史を振り返り検証し直し、また教訓とする事で、未来への展望が見えて来るのである。国の事のみならず、自分自身の事についても言える事である。
 私には、今までに3回のターニングポイントがあった。1回目は今から28年前の高校中退の時、2回目は今から13年前でイエスキリストが十字架に磔にされた歳と同じ歳である33歳と半ばで怪我をした時、そして3回目が4年前に親指の骨折をした後に暫くの間、隠遁するような生活をした時である。
 そのそれぞれの時に自分自身を見つめ直し、自分の過去・現在・未来を展望した。1回目の時は正に世間知らずで、知識・教養も無く、家出をして自分探しをする中で自己実現に向けての目標を定めていった。
 2回目の時には自分の家(マンション)を所有する等してある程度の自己実現が出来ていた中での点検・転機であった。今と比べると趣味の釣りに明け暮れる等して読書も殆どせず仕事以外の勉強を殆どせず、特に社会問題や政治には今と比べると余り関心が少なく、それ故に知識・教養も今と比べると非常に低かった。私がインターネットをし出したのは今から8年前の2008年からで、その頃はパソコンは持っていたものの未だネットでの検索等は全くしていなかった。そして退院後の自宅療養時にその時の自分なりに考えた結果として、医療系の専門学校に進む事を決意して、まずは高校中退であった為に大検(大学入学資格検定:現・高卒認定資格)を取得し、その2年後の2005年に、14年間一貫して継続して来た鉄工の製缶工としての仕事を辞め、その専門学校に進学した。その学校在学時には、取れる資格は全て取得した。授業で習い教えてもらう前から、「自分で勉強して」資格を取ったのである。それ故、「生意気だ」等と、多くの難癖を付けられて抑えられる事も度々あった。並行して行っていたアルバイト先でも同様であった。しかし、卒業して少しその関係で働いてみたものの元々の性格が災いしたり過去のレッテル評判等で「差別」を受ける等をして、特攻隊の様にして全く畑違いの所へ飛び込んでいったが、失敗に「終わった」
 3回目の時には、初めて自分で家で、聖書を通読し始めた。新改訳聖書でプロテスタントが多く使用している聖書である。現在、最後のヨハネの黙示録の途中まで1回目の通読が進んでいるが、ほぼ4年もかけてのそれである。そして「悔い改め」を行った。そして「自己実現」よりもハイレベルである「神実現」を知った「神実現」とは、自分の欲望から解放されて信仰心を持った上で神に委ねて神に実現してもらう事である。それに対して「自己実現」とは、自分の「欲望」が基準であり、自分の欲望を信仰している訳である。
 高校中退を経験してか、生来持っている自分の性格の素質が開花したのではないかと思える。私の父もそうであったが、中退後の私は偏屈でひねくれ、頑固であった。また鉄工所に最初に見習いをし出した22歳の頃から「独立自尊」の精神を持ち続けて来た。
 その様な精神が災い?してか(周囲の世間の人達にとっては災いに感じているのかもしれない)、結局元の仕事に戻っているのである。失われていた「本当の自分」を取り戻している最中である。そして鉄工職人として、「清貧」でありながら、謙虚にコツコツと、また日々努力しながら経験を積み重ねているのである。
 因みに誤解されたくないのは、私は自分自身の事が好きである。傍から見てのイメージとは異なり、私は現在然程不満もなく、ストレスも比較的感じていないのである。世間の多数派の連中とは、価値観が全く異なっているのである。欲望まみれの世間の連中に対して、私は今に至っては欲望は少なくなっているのである。
 「おられへん」等と言う者がいる。しかし、私は社会に出始めた若い頃からずっと嫌われたり嘲笑されたりして来たのである。そして友達や恋人も全くいなかったのである。何も今に始まった訳では無いのである。周囲の連中の言うように「おられへん」のであれば、私は今までにとっくに死んでいたはずである。しかし、現実に私は今ここに生きているのである。決して幽霊ではない。私の存在は「現実」である。
 嫌われたり嘲笑される理由としては、孤独である事が理由の大勢を占めている。しかし、孤独の何が悪いのであろうか。その理由を聞いたところで「みんなが言っている事だから」であろう。根拠も確かな理由も無く、只々周囲の評判や反応を基にしての言動や態度、表明となっているのである。その様に世間の多くの人達は自分で考え自分で判断する事が出来ないのである。
 要は、おれるかおれないかは、自分自身の精神力次第である。私の場合は若い頃から、誇り、自尊心、独立意識、自立意識が強かったのである。故に、例え孤独でもおれる訳である。現にこうしておれている、存在している事が証明となっているではないか。
 私は妥協しない。今後も頑固に生き続ける。周囲の雑音に相当するものは聞き入れない。決して雑音には効かされず、惑わされず、左右されず、動かされない。
 他人の言う事を聞くという事は、他人に従うという事であり、それは他人の奴隷となる事を意味するのである。故に、私が聞くわけがない。或いはそれらの雑音が私に効くわけが無いのである。
 パレスチナ人がイスラエルに対して妥協せずに抵抗・反抗・反発を続けている。イスラエルに対して妥協して迎合した方が食料や住居、職業を手に入れて生活の安定が得られ、日常の安全保障も得られるのであろうが、パレスチナ人は敢えてイスラエルに妥協せず反発を続けているのである。私には理解できる。パレスチナ人は決してイスラエルに負けていないのである。実は精神面においては、パレスチナ人はイスラエルに勝ち続けているのである。人の雑音を聞き入れてそれに従ったり妥協する事が負けとなるのである
 戦後の日本人は、パレスチナ人とは正反対である。給料の為、就業の為、生活安定の為に、独立意識が希薄となって奴隷根性を持って迎合し従っているのである。戦後の日本人の在り様は、旧約聖書・出エジプト記におけるエジプトにおいて奴隷状態にありながら生活が保障されていたへブル人(ユダヤ人)と同様である。
 独立自尊の精神を今後も持ち続け、気骨稜稜・確乎不動とし、無欲恬淡孤往独邁していく覚悟である。自分の精神上の誇り・自尊心・独立心を守る為に、人に妥協せず、精神面において勝利し続けるのである。そして何より、創造主を信仰し主に委ねる事により「パワーアップ」するのである。

 旧約聖書・詩篇11章1節  
   主に私は身を避ける
   どうして、あなたたちは私のたましいに言うのか。
   「鳥のように、おまえたちの山に飛んで行け。

 これは今から約3,000年前のユダヤの王様ダビデの言葉である。
 

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