狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

「職員・施設にとっての普通」を拒み、自由でマイペースな「自分にとっての普通」を望む利用者・・・「出口のない家―警備員が見た特別養護老人ホームの夜と昼」を読んで

2013-10-27 18:35:56 | 健康・医療・暮らし 2012~2017
 総タイトル:【「職員・施設にとっての普通」を拒み、自由でマイペースな「自分にとっての普通」を望む利用者・・・「出口のない家―警備員が見た特別養護老人ホームの夜と昼」を読んで】

 「『出たいよォー。守衛さん、いまここから出してください。』」、「ここは牢獄です。早く出してください。』」(本書より。)
 「出口のない家―警備員が見た特別養護老人ホームの夜と昼」(著者:小笠原和彦氏、出版日:2006/7/10、出版社:現代書館)
 上記の本を読みました。
 本書は、市役所職員と雑誌記者を経て、派遣社員として工場労働者等として勤務する傍ら執筆活動を行なっている、著者の取材による或る下町の特別養護老人ホームのノンフィクションです。
 派遣社員の警備員として特別養護老人ホームに派遣され、2年間で4つの老人ホームで「取材」を兼ねて勤務されました。最初の勤務先の老人ホームは世間一般的な施設の様で、1階には余り手のかからない利用者、2階には認知症の利用者、3階には寝たきりの利用者と分けて、様々な介護度の方々が同居して暮らしています。
 施設の出入り口から出る際やエレベーターに乗る際には鍵が必要で、車椅子には発信機が取り付けてあります。
 施設の規則が厳しく、職員と利用者それぞれに定められています。職員は低賃金、長時間労働、厳しい規則、上司からのやかましい注意、仕事を何でも熟さないといけない等でゆとりが無い事等で、特に精神的な負担が重く、続かずに辞めていく人が多いです。一方利用者は、自由に外出出来ず、酒やタバコも制限され、職員からは口やかましく言われる事で、不満・ストレスが溜まっています。「ストップ・ザ・拘束」と掲げられているにも関わらず、車椅子に拘束されている利用者が、エコノミークラス症候群になる等、精神的・身体的な束縛で不自由な生活を送っています。
 著者は職員に内緒で、利用者にタバコをあげて一緒に吸ったり、利用者の要求に応じて買い物に出かけたり、こっそり外に連れていって散歩したりして、利用者との「自然な」コミュニケーションを取って来ました。しかし、規則に忠実で融通の利かない職員や、派遣社員から正社員に身分が上がって威張る職員等から咎められ(とがめられ)、理不尽に思いながらも、以降深入りする事無く、利用者との話もしてはいけないと言う事も受け入れます。
 職員と利用者との間には一線が引かれており、利用者が抵抗や反抗をする場合には、職員は一致団結して、その厳しい規則に則って、利用者を責めてより拘束度を高めます
 世間一般的に、男性は会社人間である場合が多く、組織を離れると孤独な人達が多いです。話題も、自分の仕事や趣味の事ぐらいしか有りません。その様な人達が老人ホームに入居している為に、男性の利用者はとかく孤立しがちで、職員も忙しい為や規則に縛られている為に、話し相手になりません。利用者は厳しい規則で不自由な中、施設の中で余りする事が無く、楽しみは食事ぐらいしかありません
 職員は若い人が多く、利用者との世代ギャップが有り、またその職員の知識が薄い事もあって、話しが通じなかったり合わなかったりする事が多いそうです。最近の若い人達は、インターネットで自分の興味の有るものしか見ない傾向が有る為に、知識に偏りが生じている様です。逆に利用者等の高齢者や年配の人達は新聞を良く読む為に、広範囲にバランス良く知識を身に付けています。利用者側の話題に職員が付いて行けない問題が有ります。
 また、女性の利用者で比較的元気な人達は徒党を組み、状態の弱い利用者をいじめる事も在ります。しかし、職員は見て見ぬふりをして放置します。
 その世間一般的な老人ホームの事は、社会の中の他の組織や会社での事と同じ様に思います。規則に縛られ、管理が厳しく、上司に叱られ、マニュアル化され、成果主義、効率化等、「拘束」時間内は「不自由」で「ストレス」の溜まる状態での勤務となっています。その様に大抵の場合、会社の中では、皆、「奴隷」や「囚人」の様に日々仕事をしている様に思います。
 特別養護老人ホームに入居を希望する老人の方々が非常に多く、待機している方の家族は一日も早く老人ホームに入れる事を願い、また家から出来るだけ近い所を希望します。しかし、家族の都合で利用者本位で無く老人ホームが選ばれる為に、利用者は入居してから不満に思います
 著者や利用者の一部と同様、私も「組織」には馴染めず、いつも「マイペース」で居られる事を望みます。細かい管理や規則は嫌いです。「普通」の状態とは、拘束されて縛られず、解放されて自由であり、緊張せず緩やかに、自分のゆっくりとしたペースで、ストレスの無い事であると思います。「組織にとっての普通」では無く、会社、社会、世間、空気・雰囲気、多数派等にとっての「普通」では有りません自分にとって自然でいられる、全く苦痛の無い状態が、「自分にとっての普通」であると思います。周囲を基準にするのでは無く、自分の心を基準にしての「普通」です。よって人は、独りでいる時が最も「普通」で居られるのではないかと思います。
 著者は特別養護老人ホームの中で最初に派遣されたのが極一般的な施設であったらしいですが、その後に老人ホームとしては先進的で実習生が高評価を与える施設にも、同様に警備員として派遣されています。その結果、施設によっての「違い」が有る事を知ります。
 最初の世間一般的な施設と違って、その先進的施設では、規則が少なく、利用者が自由に外出して飲み屋やカラオケに行ったり、ショッピングに行くことが出来ます。タバコも所定の所で吸うのは自由、酒も自分の部屋で飲む事が出来ます。一般の人も利用できる喫茶や食堂で売られている飲食物は低料金で、給茶器で無料のお茶やコーヒーも飲めます。保育園や幼稚園でする様な事をさせずに、絵画や書道、陶芸等の文化的・芸術的な事をしています。置いてある本・新聞・雑誌も自由に読めます。職員は丁寧で、利用者を叱らず、夜は静かで安眠でき、セキュリティーは高い機能を持ちます。職員は何でもするのでは無く、分業的に専門分野に分かれて仕事をする為に、精神的負担が少なく「ゆとり」を持っています。
 その先進的施設を良い例として、職員の資質、理事長が営利主義であるか否か、訴える事の出来る第三者機関の設置の有無等も、老人ホームを選ぶ際のポイントとして挙げられています。そして、孤立しがちな利用者の話し相手となる専従者や、施設内に入所者自治会を設置し、利用者の家族も参加して、自ら運営方法を決める事を提案されています。
 因みに私は、年をとってからいくら先進的施設に入れるとしても、介護には頼りたくありません。「自立」して自由でマイペースな「自分にとっての普通」でいたいです。もしも、入所して「職員・施設にとっての普通」、つまり職員に嫌われない様に素直に合わせて規則に忠実になるのは、職員・施設の奴隷となりかねません

 
出口のない家―警備員が見た特別養護老人ホームの夜と昼出口のない家―警備員が見た特別養護老人ホームの夜と昼価格:¥ 1,995(税込)発売日:2006-07



「Xクラス」太陽フレアによるM7.1の福島県沖「大地震」か

2013-10-27 12:25:40 | 災害・地震・戦争
 現在、太陽活動が活発化しています。太陽の爆発現象でエネルギーが解放され、周囲に影響を与える太陽フレアは、強度の小さい方からA、B、C、M、Xの順で5つの等級に分類され、その内の最大であるXクラスのフレアが2回発生し(10月26日現在)、Mクラスも数回発生しました。
 太陽フレアX線の強度によって分類され、10倍毎に一つ上のクラスとなります。
 そして昨日10月26日の未明に、東北・関東沖にて、「大地震」に分類される規模のマグニチュード7.1の地震が発生し、福島県、宮城県等5県に津波注意報が発令されました。
 地震の規模を示すマグニチュードの大きさによって、極微小地震、微小地震、小地震、中地震、大地震、巨大地震、超巨大地震と分類し、5.0~7.0未満が「中地震」、7.0~8.0未満が「大地震」、8.0~9.0未満が「巨大地震」、9.0~10.0が「超巨大地震」となります。
 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)はM9.0の超巨大地震、1995年1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)はM7.3の大地震、1945年の広島の原爆が放出した全エネルギーはM5.5クラスの中地震、1908年のロシア連邦クラスノヤルスク地方で起こったツングースカ隕石の衝突時に発生した地震はM5.0(推定)の中地震、本年2013年2月12日の北朝鮮による核実験による「人工地震」はM5.2の中地震となります。(参考:ウィキペディア「マグニチュード」、2013年2月12日付・神戸新聞夕刊。)
 太陽フレアと、地震や火山の噴火等の自然災害、電磁波障害等との関係が有り、今後の注意が必要です。日本の北方領土北方のカムチャッカ半島では、依然火山活動が活発です。
 独立行政法人・情報通信研究機構(NICT)・宇宙天気情報センター(SWC)~2013年10月25日付「NICT 今日の宇宙天気情報」の概況・予報より、「活動領域1875、1882Mクラスフレアが数回発生し、太陽活動は活発でした。引き続き今後1日間、太陽活動は活発な状態が予想されます。太陽風速度は低速な330km/s前後で推移し、地磁気活動は静穏でした。引き続き今後数日間、地磁気活動は静穏な状態が予想されます。」。
 同NICT・SWC~2013年10月26日付「NICT 今日の宇宙天気情報」の「概況・予報」より、「活動領域1882Xクラスフレアが2回発生し、太陽活動は非常に活発でした。引き続き今後1日間、太陽活動は非常に活発な状態が予想されます。太陽風速度は低速な320km/s前後で推移し、地磁気活動は静穏でした。25日15時(UT)頃に発生したCME(コロナ質量放出)の余波が28日頃に到来し、地磁気が乱れる可能性があります。引き続き今後1日間、地磁気活動は静穏な状態が予想されます。」。
 またその「太陽活動」より、「太陽活動は非常に活発でした。活動領域1882(S08E59)25日7時53分(UT)にX1.7フレア(8時1分(UT)に最大、8時9分(UT)に終了)、25日14時51分(UT)にX2.1フレア(15時3分(UT)に最大、15時12分(UT)に終了)が発生しました。その他に、活動領域1882などMクラスフレアが数回発生しました。
 衰退していた活動領域1869に、再び黒点群が出現しましたが、この領域は本日から明日にかけて太陽面の裏側へ回り込む見通しです。活動領域1875は、面積と黒点数がやや減少しました。活動領域1882は、面積が増加し、磁場構造が単純なβから非常に複雑なβγδへ変化しました。
 Xクラスフレアが発生した活動領域1882では、今後もXクラスフレアが発生する可能性があります。引き続き今後1日間、太陽活動は非常に活発な状態が予想されます。」。
 2013年10月26日付・河北新報より、「26日午前2時10分ごろ、宮城、福島、茨城、栃木の4県で震度4を観測する地震があった。気象庁は岩手、宮城、福島、茨城各県と千葉県九十九里・外房に津波注意報を出した。東北の太平洋沿岸の各地で津波を観測し、最大は久慈港と相馬市の40センチだった。
 気象庁によると、震源は福島県沖で、震源の深さは約10キロ、マグニチュード(M)は7.1と推定される。東日本大震災の余震で、懸念されていた「アウターライズ正断層型地震」とみられる。余震域のM7超地震では陸地から最も遠く、最大震度が4にとどまった
 気象庁は地震発生から4分後、福島県に津波注意報を発令。40分後、M6.8をM7.1に引き上げ4県を追加した。注意報は午前4時5分に解除した。震災の余震による注意報発表は、昨年12月に三陸沖で起きたM7.3の地震以来。」。


 関連記事↓↓
   独立行政法人・情報通信研究機構(NICT)・宇宙天気情報センター(SWC)
        ……ブログ右サイドのリンクバー有り。⇒ ⇒ ⇒
   2013年10月26日付・河北新報~「宮城など未明に震度4の地震 石巻で津波30センチ観測」
   2013年10月25日付・The Voice of Russia(VOR ロシアの声 )~「本州の太平洋岸でM7.6の地震発生=米地質調査所」(ロイター)
   2013年10月26日付・同~「イタリアのシチリア島エトナ火山、活発化」
   2013年10月18日付・同~「ロシア、日本の沿岸で自然は暴れる」


  20131027
 
 
 (独立行政法人・情報通信研究機構(NICT)
     ~宇宙天気情報センター(SWC)ホームページより)
        …クリックによりポップアップ表示・拡大



 関連動画↓↓
 

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YouTube: MUST WATCH!!! SUN ERRUPTS WITH X-CLASS 1.7 SOLAR FLARE TODAY 2013-10-25


 

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YouTube: SUN ERUPTS FRIDAY EJECTING TWO STRONG X CLASS SOLAR FROM REGION 1882 (OCT 25, 2013)


 

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YouTube: 7.3 quake hits Japan, Fukushima evacuated over tsunami alert




私の鉄工所・町工場での経験と照らし合わせて……・・・「THE 中小零細製造業 町工場・鉄工所の解体新書 」を読んで

2013-10-27 01:51:18 | 鉄工所・職人・町工場
 総タイトル:【私の鉄工所・町工場での経験と照らし合わせて......・・・「THE 中小零細製造業 町工場・鉄工所の解体新書 」を読んで】

 世の中の鉄製品全般を担い、社会の根幹を支えて貢献する「鉄工所」、「町工場」
 汗やチリ・油にまみれて、作業着を汚しながら仕事をする正しさ
 「清貧」、「謙遜」を表している、町工場の小さな古い鉄工所
 「THE 中小零細製造業 町工場・鉄工所の解体新書 」(著者:相澤弘機氏、出版日:2010/6/15、出版社:文芸社)
 上記の本を読みました。
 著者は、大学文学部英米語学科を卒業すると同時に父の興した大阪の町工場に入社し、その後代表に就任して機械屋として機械加工を日々行っています。早寝早起きが習慣らしく、学生時代からの大変な読書家で、学生時代には自分で小説も書かれていたとの事です。
 私は、町工場の鉄工所に育てられました。私は普通科の高校を中退後暫くしてから町工場の鉄工所見習から入り、最初は図面も読み取る事が出来ず、溶接もそれまではした事が無く、学校で習ったはずの三角関数もすっかり忘れてしまっていました。その後、見習の立場、先手(職人に付いて職人の手の様になって職人に使われながら働く事)の立場、或いはそこから少し毛の生えた様な状態の間に、同じ製缶を行なっている町工場の鉄工所に数ヶ所移り代わりました。その後、一人で仕事を任せられる様になってからも、仕事が少し薄くなった時に、他所の飯を食って見識を広げ、勉強して自分のレベルを上げる事を理由に、製缶工として同じ製缶の町工場の鉄工所の会社に移転しました。同じ職種を続ける為に、会社は代わっても、転職ではありません
 製缶と言う仕事は、幅が広くて奥も深い。製缶と言う名前からしてタンク等の缶かんばかりを作っている様に思うかもしれませんが、そうでは無く、鉄やステンレス等の非鉄金属を材料として、世の中のそれらで出来た物全てが商品としての対象となります。故に、同じ製缶をしていると言っても、会社によって取り扱う商品が異なって様々であり、小さい物から大きな物まで、建築関係、機械関係、輸送関係、食品関係、各種構造物、プラント関係設備等々、町工場の取引先の種類と数、顧客としている親会社の種類によって様々な内容となっています。
 よって、同じ会社に居座っていると、そこの会社の事しか解らず、他所での仕事の事が解らなくなってしまいます。そこでの仕事が全てであると思い込んでしまったり、そこでのやり方が正しいと思い込んでしまったり、先輩やベテランの職人の言う事が正しいと思い込んでしまう事にもなりかねません。先輩やベテランの職人は俗にいう「カン」に頼っている部分が有り、それらは得てして職人の思い込みである事も多いです。現場での長年の経験から得た「カン」は価値が有りますが、一方で根拠の無い思い込みは間違っている事も多いです。私は見習時分からその様な疑う姿勢が有りましたので、見習の立場でありながらも余り言う事を素直に聞きませんでした。
 以前は若かったので移転もまだ比較的容易かったですが、最近の町工場の不況もあって、同じ様にはいかなくなっています。昔の高度経済成長期の様に物の無い時代では無く、バブルの様な事も今後は起こる事は無いと思います。新規で物を作らずとも、日本国内は一般的に大方設備等は揃っていています。一方で、橋梁の老朽化等、現存設備のメンテナンス・保守点検・修理等は今後は忙しいものと思います。
 市場至上原理主義、金融経済、グローバル化の下に、製造業が金融に支配されている為に、マネーゲームによって、特に下請けである町工場は煽りをまともに受けてしまいます。米国を初めとする各国の金融緩和政策によって、紙切れのお金が市中にばら撒かれ、物に比較して天文学的に余剰となっているお金を投資に用いている為に、モノづくりの実体経済は常に揺さぶられて不安定となって、直ぐに状況が変わってしまう事も有って、先行きは不透明で全く予想・予断が出来ません。
 お金が大分余っているにも関わらず、下請けの町工場まではお金が回って来ません。政府の金融緩和による市中のお金の量を増やしても、銀行が自身の営利目的の為に日本よりも金利の高い海外に投資したり、元請けの大企業・メーカーはリーマンショックのイメージも色濃く記憶に残っていたり先行き不透明である事から内部留保をして、下請けにお金を回しません。そして、今後、或る時急にハイパーインフレが起こって、その不況の煽りを食らう恐れが有ります。
 下請けの町工場は、親会社の都合でいい様に使われてしまいがちです。自分の所で仕事をしようとしていた品物が忙しくて手が回らなくて、納期がいよいよ迫ってきて出来ないからといって、その納期のままで下請けに出す為に、下請けの町工場は超特急で、遅くまで残業をしたり、外注として他の同業の町工場に仕事を分割して振り分ける等をして、その納期に間に合わさなければならない羽目になります。
 不況で世間一般的に仕事の無い時には、元請けは多くの下請けに見積を出して、その中で最も値段の低い所に仕事を出します。しかし、値段を低く見積もる会社は赤字覚悟で見積を出している事も多く、仕事が無いよりはまし、従業員を遊ばせないよりはましと言う事で仕事を取る会社も多いです。
 元請けの直接の1次下請けならまだしも、2次の孫請け、3次、4次、5次……と下のほうの下請けとなると、会社を通す度にピンハネ(中抜き)されて利益が出るどころか赤字覚悟の仕事、合わない仕事となります。
 その様に、仕事をしても儲からず、却って仕事をする事によって赤字が膨らんでしまいかねないので、自分の所に工場の無い、事務所だけの鉄工所も最近は多いです。要するに、自分の所では工場の現場で物を作る仕事をせず、営業や見積、材料の発注等をするだけで、実際のモノづくりの仕事は通すだけで下請けに安い値段で押し付け、ピンハネする事で利益を得ています。また、派遣業者の様にして、大手の工場に従業員を入れているだけの所も有ります。
 例え元請けの直接の1次下請けであっても、そことの取引量の割合が高い場合には、親会社の都合に左右されやすくなります。もしもそれが1社だけであると、そこに切られた場合には即倒産となります。逆に、2次や3次の下請けでも、仕事をもらう先の多くの顧客を持っていると、潰れにくいです。
 ところで、大きな会社は従業員も多い為に、分業制によって一人ひとりの作業範囲は狭くなっています。逆に大手の「単能工」と違って、10人前後等の零細町工場は人数が少ない為に、「多能工」として何でも熟しています。多能工の場合は他所の同じ職種の会社に代わっても、融通が利き易く、柔軟性が有ります。よって、何処へ行っても通用しやすくなります。昔の「渡り職人」は、いろんな所を転々として多くの見識を持ち、融通の利く腕を持っていました
 鉄工所の事が、余り世間には理解されていないと思います。また、誤解も多いと思います。社会に影響を与えるマスコミの中でも特にテレビの場合には、スーツ姿のホワイトカラーの職場が舞台のドラマが多いです。トレンディだのおしゃれだのとマスコミは囃し立てます。逆にグレーの作業着姿等のブルーカラーの職場を扱おうものなら、ダサいだの汚いだの3kだのと、特に若い女性にはウケない様に思います。マスコミスポンサー企業のマーケティング・意向に添った番組作りを余儀なくされる為に、そのマーケティングが若い女性をターゲットにしている為にその様になっています。
 例え同じ鉄工所でも、元請けのメーカーの社員等には解らない、下請けの中小零細町工場の苦労が本書には在ります。特に経営者としての著者の経験・苦労からの言葉が在ります。しかし著者は機械加工の仕事が好きで、自身と同じ下請けの鉄工所の町工場に共感し、応援する意味も込めて世間に理解を深めてもらう事を理由に本書を出されたのではないかと思います。
 鉄工所・町工場の昭和50年代から現在に至る過程、現在の取り巻く環境、抱える問題等が本書に在ります。

 
THE 中小零細製造業 町工場・鉄工所の解体新書THE 中小零細製造業 町工場・鉄工所の解体新書価格:¥ 1,365(税込)発売日:2010-06-01



自分の「欲望の奴隷」とならずに、創造主の「御心」を知って、それに委ね従う事が必要・・・「しがみつかない生き方―『ふつうの幸せ』を手に入れる10のルール 」を読んで

2013-10-26 01:50:08 | エッセイ・コラム
 総タイトル:【自分の「欲望の奴隷」とならずに、創造主の「御心」を知って、それに委ね従う事が必要・・・「しがみつかない生き方―『ふつうの幸せ』を手に入れる10のルール 」を読んで】

 「しがみつく」とは、「執着」「拘り(こだわり)」「囚われ(とらわれ)」
 「拘り」・「囚われ」とは、「拘束」、「囚人」、「不自由」であり、それは「奴隷」状態に在ります。何かの目標を持ったり、欲望を持ったりする事は、結局は「欲望の奴隷」となってしまいます。
 「しがみつかない生き方―『ふつうの幸せ』を手に入れる10のルール 」(著者:香山リカ氏、出版日:2009/7/30、出版社:幻冬舎)
 上記の本を読みました。
 「ふつうの幸せ」「ふつう」に設定する基準は、何処に、どのレベルに置くかは人それぞれによって異なりますが、世間一般的には、「世間」や「空気」、「多数派」、「マスコミ」の言う事と同類である事を「普通」としています。しかし、その「普通」が決して正しい訳では有りません
 世間・社会の中に在って少数派であろうとも(俗に言う「普通」では無くとも)、自分の精神・心の上で自由や解放感が有り、マイペースであると言う、自分にとっての「自然な状態」が、自分にとっての「普通」であると思います。しがみつき拘る事は心が奴隷状態に在り、それはストレスを招く「不自然」な心の状態です。心の本来の状態(この世に生まれた時の状態)である、ストレスの無い「自然な状態」が、「本当の普通」です。世間・多数派の「偽りの普通」に合わせていると、却ってストレスは溜まってしまいます
 その「普通の基準」について、世間や社会のマジョリティー(多数派)にとっては周りの「世間・社会を基準」にしています。つまりそれは、周囲の人の顔色や反応、評判を気にしている事で、笑われない様にしようとか、見栄を張ったりする事で、常に「群れ」で行動し、最も未熟で幼稚な人達です。その様な人達よりも次元(レベル)が高いのが、「自分を基準」にしている人達で、主体的に考えた上での主義・主張・イデオロギーを持ち、マイノリティー(少数派)として、孤独にマイペースに、本当の自分にとっての普通で居る人達です。
 それらの人達よりも、人間として最も次元(レベル)が高く、最も成熟した人達は、「神を基準」にしています。神は「真理」であり「真(まこと)」です。その「真理」・「真実」を基準・規範にする事は、正しい考え方・捉え方・判断の仕方・生き方に繋がり、「世間・社会の考え」や「自分の考え」に依らずに、「神に従い」、「神に委ねる」ことで「本当の自由」が得られます。世間・社会の考えに合わさなくとも、わざわざ自分で考えなくとも、神に委ね従う事で、自由に、楽になります。
 故に、「神を基準」にする事が、本来の、本当の「ふつうの幸せ」であると思います。神に決められている「運命」を素直に受け入れて大きく委ねる事によって、喜んで神を賛美する事に繋がります。
 恋愛や孤独感等において感じる寂しさは、「誰か」を待ち望んでいる様ですが、同様に人に依存せずに、「神に依存」する事が、寂しさと言う心の空白を真に埋める事が出来ます。人からの愛を求めず、神が支える「本当の自立」をする事が出来ます。この世に在って孤独であろうとも、信仰の有る心には聖霊(=父である神と、子なるイエス・キリストとの三位一体)が宿っています。「alone」とは聖霊が心に存在していて寂しくない孤独であり、反対に「lonely」とは心に空白があって寂しさを感じる孤独の事です。「魂の声」とは、「聖霊の声」です。
 「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」(旧約聖書・箴言29章25節)
 ところで、就職活動などでは履歴書や面接においては自己PRをしなければならない面が有ります。この社会や世間が理想郷では無く、出来ればこの社会・世間を避けて遠ざかって生きたいと私は思うのですが、現実には社会に出て仕事をして、そこで生活の為のお金を稼がなければ、この世では生きていけません。社会の構造は強固で、それに従わざるを得ない面が在ります。自分を「出来ない者」として、自分には能力が無く、自分の力では無く「主に私は身を避ける」(旧約聖書・詩編11章1節より)等と言おうものなら、就職も儘(まま)ならない面が在ります。就職を目指す者等の様に、身分や地位が低い者の場合には、ある程度の自己PR自己主張、アピール、反論は必要に思います。結局、この世で生きて行く上では、自分の心の「純粋な理想」と、社会の「偽善」の中で生きて行く姿勢・処世術との「バランス」をとる必要が有る様に思います。その上でも、「6対4」とか「7対3」等とそのバランスの取り方は人それぞれによって異なります。一方、社会的に身分・地位が高い人達は、謙譲・謙虚さの必要性はより高くなります。
 生活の為だから等と、お金が一番等とお金にしがみつくのは勿論間違いですが、この世がお金で成り立っている以上は、額に汗して仕事をしてお金を稼ぎ、その「余裕」の部分から、募金・献金等で人々に分け与えたり、事業を起こして世の人々に貢献する事が正しい事となります。
 「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」(旧約聖書・申命記8章3節より(新約聖書・マタイの福音書4章4節にも同様))。「主の口から出るすべてのもの」とは、「聖書」にある主の御言葉です。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。」(新約聖書・ルカの福音書6章20~21節より)
 現在の競争社会の中、「心のゆとり」が失われ、「人間の狭量化」が進み、「瞬間主義」(一瞬の勝ち負け)、「刹那主義」が進み、「寛容」を失い(自分と違う行動をする人の心を理解出来ない)、視野が狭くなっている事が挙げられています。「現世利益」は瞬間的で一時的なものですが、「魂」は永遠でこの世の後(死後)も続きます。
 世論操作を行なっている「マスコミ」を通したマーケティングに、騙されている高齢者等が多いと有ります。マスコミは「自主規制」や企業(スポンサー)、支配階級に使われている為に、自分の意見が言えず、真実を伝えず、偽りの世間の「空気」を作っています。その様な「マスコミ」や「空気」・「世論」を疑い、それらに影響されず、煽られない様にしなければなりません。
 自己の起源や根拠を問う傾向がある様ですが、人間の生と死は神の意志によるものであり、生命は「神の領域」で神に決定権が在り、神の計画の下に人の生命は置かれています。創造主によって一人ひとりの生命は造られ、人の生命はその人のものでは無く神のものです。
 同様に自分の生まれた価値、生きる意味を問う傾向もある様ですが、人は皆、神にとっては尊い存在です。そして、創造主の御計画の下に、人それぞれに「使命」・「運命」が与えられ、「神の御心」に添った生き方が、生きる上での正しい意味となります。何の為に生まれたのかは、私自身を造られた創造主(神)の為に生まれたのであって、神の為に生きる訳です。人の為と書いて「偽り」、神の為が正しいのです。
 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(旧約聖書・イザヤ書43章4節より)
 出世等の社会的成功を得られなかったり、事業や挑戦した事に失敗したり、借金、失恋、配偶者の死や離婚、不治の病、この世全てのものに信頼出来なくなる事等により、「絶望」してしまう人が多いです。「絶望」とは、神の御計画に従わず、自分の「欲望」に従う事から起こるものです。神の望みと、自分の望みは異なります。故に、「神の御心」を知って、それに委ね従う事が必要なのです。

 
しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書)しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書)価格:¥ 777(税込)発売日:2009-07



「自然死」とは、死の時を、他人に決められるもの(=殺人)では無く、自分で決めるもの(=自殺)でも無く、創造主によって決められるもの(=運命)で、その運命を素直に受け入れて大きく委ねる事

2013-10-26 01:15:43 | 健康・医療・暮らし 2012~2017
 総タイトル:【「自然死」とは、死の時を、他人に決められるもの(=殺人)では無く、自分で決めるもの(=自殺)でも無く、創造主によって決められるもの(=運命)で、その運命を素直に受け入れて大きく委ねる事・・・「大往生したけりゃ医療とかかわるな~『自然死』のすすめ」を読んで】

 「自然死」とは、死の時を、他人に決められるもの(=殺人)では無く、自分で決めるもの(=自殺)でも無く、神によって決められるもの(=運命)です。つまり、神に委ねる、運命を素直に受け入れて大きく委ねる事が、「自然死」となります。
 「大往生したけりゃ医療とかかわるな~『自然死』のすすめ」(著者:中村仁一氏、出版日:2012/1/30、出版社:幻冬舎)
 上記の本を読みました。
 生命は「神の領域」であり、人が此の世に生まれる時においても、人間によって操作をする着床前診断や出生前診断、代理母出産、例外を除いた人工妊娠中絶等は行なってはならないと私は考えます。
 人の此の世の誕生や死は自分の意志で行われるものでは無く、また自分の能力によって行われるものでもありません。全能の創造主によって、生命は誕生します。創造主の計画の下に、一人ひとりの生命は創造主によってコントロールされています。一人ひとりの生命は創造主の持ち物であり、自分のものではありません。よって、他殺は勿論、自殺も「罪」となります。
 しかし、ガン等の末期症状の中で苦痛が激しい場合に、ターミナルケアにおいての疼痛緩和によるQOLの向上を図る事は仕方が無いと思い、苦痛が無く精神的にストレスの無いリラックスした状態が、精神面における「自然」な状態に思います。
 また、胃ろうや経鼻チューブ、点滴、人工呼吸器等の生命維持装置等の多くのチューブ・機器に繋がれる事も「不自然」な状態で、精神的にもストレスと言う「不自然」な状態に繋がります。大脳の機能の消失で、且つ回復の可能性が全く無く、脳幹の機能のみが働く植物人間の状態においては、人工呼吸器等の生命維持装置を外しても構わないと、私の場合には思っています。
 「大往生」とは、安らかに、少しの苦しみも無く、立派に死ぬ事です。神を信仰し運命に委ねる事で、この世の欲望等の様々なものの束縛から解放されて心の安らぎが得られ、終末医療においての疼痛緩和等の限定利用によって身体的苦痛から解放されると同時に精神面のストレスからも解放され、立派に老衰死出来るものと思います。
 濃厚医療や濃厚介護が患者の自然な平静さを奪っています。「医療が”穏やかな死”を邪魔している」、「『できるだけ手を尽くす』は『できる限り苦しめる』」(本書より)。逆に「放置」される事は、マイペースで、誰からも束縛されず、自由に、自分の思うままにいる事が出来ます。その上で、神に委ねる、運命に委ねる事が、最も自然に、俗事(世間のわずらわしい事)からも解放されて、ストレスの無い自然な心の状態に、そして人間としての最も成熟した状態になります。
 避ける事の出来ない死に関連して、告知・延命処置についての「リビングウィル」や、尊厳死について、自然災害・犯罪被害等の被災の非常時にも通用する「エンディングノート」、遺言書等を書く事は、自分の死について真剣に考える事となり、その事が生き方の見直しにも繋がります。
 メメント・モリ(死を想え、死を忘れるな)。

 
大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)価格:¥ 798(税込)発売日:2012-01-30



医療界の常識・因習・体質・構造・権威を否定し、普通では無い「真実」が存在・・・「成人病の真実」を読んで

2013-10-25 15:05:00 | 健康・医療・暮らし 2012~2017
 総タイトル:【医療界の常識・因習・体質・構造・権威を否定し、普通では無い「真実」が存在・・・「成人病の真実」を読んで】

 「医学の場では、無意味な言及や飛躍がある場合には、なにか意図があることがふつうです。」(本書より)。
 「成人病の真実」(著者:近藤誠氏、出版日:2004/8/10、出版社:文藝春秋(単行本は2002年8月出版))
 上記の本を読みました。
 データが改変される前の海外の英語の「原論文」を多く熟読して研究され、その中に在る「くじ引き試験」を証拠・根拠として、現在の医療界の常識・因習・体質・構造・権威を批判して打破し、医療改革への発展と、それによる患者への真の利益をもたらす為に、執筆活動と研究、臨床においての診療で活躍されている著者。当時、乳がんとの診断において乳房切除が「常識」であった頃に、医学界において普通では無い「乳房温存療法」を創設した著者。
 巷(世間)の医者の多くは、英語の原論文も読まず、製薬会社の営業員が配る薬のパンフレットに書かれた、製薬会社にとって都合の悪いデータ等を省いて要約された説明しか読まず、また同様な内容の商業主義的医学雑誌しか読んでいません。商業主義的医学雑誌には医学界の権威・専門家(医師・薬学博士)が登場し、製薬会社との金銭的癒着の下に製薬会社の宣伝を行なっています。
 インターネットに掲載されている日本語に翻訳された論文は要約されてしまっている為に、医学界の権威・利権にとって不都合な部分は削られています。またその論文は無料で読む事が出来ますが、英語のデータ改変されていない「原論文」は有料となっています。
 定期健診・職場健診・人間ドック・がん検診・脳ドック等は、医者や医療従事者の仕事を作る為、食べていく為に行なわれているもので、患者の「粗探し」をして少しでも「基準値」を外れたら「異常」と決めつけ、精密検査や手術の仕事を増やします。多くの項目の検査をする事で、総合的に「異常」とされる「当たる確率」は上昇します。検診・健診は無意味です。「基準値」等を定める「データ的根拠」も無く、がん等は「定義」も有りません
 予防や現状の検査の為の検診・健診を行なっても、死亡率は下がらないばかりか、却って死亡率が上昇する結果がデータとして出ています。腫瘍マーカーの発見率が上がっても、死亡率は下がらず、却って死亡率は上昇傾向に在ります。死亡率の上昇は、検診・健診の結果によって不安を抱く等の「精神的ストレス」が増えたり、不要で過剰な医療の「介入」が原因となっています。
 疾患の根本原因は「ストレス」に在ります。検診・健診や過剰な医療の介入が「ストレス」を生んでいます。「何々しなければならない」等の指導等が、精神的に拘束し縛って「自由」を無くし、却って病気を悪化・慢性化させます。
 「くじ引き試験」において二群に分けて比較の対象によく用いられる「介入群」と「放置群」「医療的介入」と「放置」した場合の死亡率は余り変わらず同程度であるか、却って「医療的介入」よりも「放置」した場合の方が死亡率が低いデータも出ています。「無症状」の場合においては、薬・抗癌剤・手術等の「介入」をせずに、「自然放置」する事が良いと言う事です。また、「薬」は身体にとって異物で「毒」であり、特に「抗癌剤」は「猛毒」であるので避けなければなりません。因みに、糖尿病等の合併症が起きた場合には神経障害、感覚の麻痺が起こりますが、その事が無症状であるとするのは誤解となります。その感覚の麻痺に関しても、「放置」する「自然療法」であれば、それを改善する事が出来ます。
 「放置」とは、医療的介入を行なわない事と、患者自身が不安に思わずに気にしない事、楽天的に、心を解放して自由にする事です。そして何もしない訳では無く、「自然療法」としての、患者自身が生活の在り方や考え方を改めると言う「心」を改善し、無添加・無農薬の「自然」の食材を使った食事を行なう事や、「自然」の食材等を使った「自然」の手当てを行ない、それらによって「自然」からの恵みを頂くと言う事です。「放置」とは「自然放置」、「自然」を取り入れ、「自然」に身を任せ、「自然」に心を委ねる事です。
 人間にはホメオスタシス(恒常性)の機能が元々備わっており、免疫系・神経系・内分泌系(体液、ホルモン)が相互作用をして「自然調節」を行なっています。交感・副交感神経の「自律」神経等、人間の自分の意思で行われない、自然の働きが身体の中で行われています。自然に委ねる事で、自然にその人にとって丁度良い様に調節されます
 高齢者の場合には、「老化」による疾患であると言う「諦観(あきらめ)」が必要です。延命効果も無く、根本的に治す事の出来ない慢性疾患に対して、苦痛等の症状が無い場合には、「自然療法」による「放置」が一番です。
 以下、本の内容よりの一部。
 高血圧症高コレステロール血症、糖尿病等は、医学会の権威が根拠の無いガイドラインを作って、予防すると言う名目の下に「基準値」を引き下げた事により、「無症状」で本当は病気では無く健康であるにも関わらずに、大量の病気の「レッテル」を貼られた患者が生まれました。そこには、医学界や製薬会社の利権の意図が含まれています。
 高血圧症や高コレステロール血症、糖尿病は薬を使う事により、それぞれ低血圧、低コレステロール、低血糖となって、高値であるよりも却って死亡率が上昇し危険です。また低血圧は活力の喪失、低血糖はボケ等の症状が現われたり、低コレステロールは細胞膜・血管膜の劣化を招き、脳出血にも繋がります。
 「無症状」の未破裂脳動脈瘤のクリップ手術の評価として、「無症状」であるので症状を発生させない「エクセレント」(すばらしい)が当然であるにも関わらず、後遺症を発生させる「グッド」(良好)や「フェア」(まずまず)の評価
 「脳ドック普及は日本だけ」米国との人口比約3倍の数の日本の脳外科医の失業対策、手術して利益が害を上回るデータ的根拠は無い
 「インフルエンザ脳症は薬害だった」解熱鎮痛剤の害。子どもを守る為に、解熱鎮痛剤を用いずに発熱・腫脹等の自然治癒力を強制的に抑えず、物理的に冷たいおしぼり等で体温を下げる
 インフルエンザ・ワクチンの無用性自然免疫の時に作られる咽喉部の「粘膜抗体」が作られず、「血中抗体」が作られて意味が無い。またウイルスの型の変異が速く、ワクチンと同じ型に当たる確率は低い
 「ポリープはがんにならない」「小ポリープは医者のあいだでは、『宝の山』といわれている。」
 「がんを放置」「無症状なのに検査でみつかるがんを手術したほうがよいとするデータはありません。」検査・手術の無意味。「抗がん剤は効かない」(同著者の別著)より、「肺がん、胃がん、大腸がん、前立腺がん、乳がん、子宮がん等、腫瘤をつくる『固形がん』(が抗がん剤は効かない)です。抗がん剤で治る(可能性がある)急性白血病や悪性リンパ腫等の『血液がん』…(後略)…。」、「固形がんの中でも、睾丸のがんと子宮絨毛がんだけは、抗がん剤に延命効果どころか治す力まである(理由は不明)。」
 他に、「腫瘍マーカーに怯えるな」、「PSA値に振り回されるな」、「定期健診は人を不幸にする」等々……
 最後に著者が、「完璧な健康はありえない。不老長寿はありえない。そこそこの状態で我慢しなければならないことも多い、という一種の諦観(あきらめ)も有用です。観念の病には、各自の観念(考え、見解、あきらめ)を強化して対抗するしかない。その意味で、いま『哲学』が一番必要とされる時代です。」と言っています。人それぞれの内に「哲学」は有りますが、人を超える「宗教」と言う「哲学」が在ります。その宗教の中でも、世界の殆どの人達が信仰しているキリスト教・イスラム教・ユダヤ教の源流を辿ると「旧約聖書」と言う「根本」に辿り着きます。またそれらの聖地は、世界で最も歴史の深い中東の中のエルサレムに存在しています。「旧約聖書」に存在する「創造主」は「唯一神」であり、他の神々は間違いとします。多様な情報や見解が世の中には存在していても、「真実」はただ一つだけなのです。
 自然に委ねる、真実である神に委ねる事が必要であり、それが人間の最も成熟した姿であるものと思います。

 
成人病の真実 (文春文庫)成人病の真実 (文春文庫)価格:¥ 600(税込)発売日:2004-08

 
抗がん剤は効かない抗がん剤は効かない価格:¥ 1,500(税込)発売日:2011-05



「自然療法」は、自然に任せる、天に任せる、創造主に委ねる事・・・「自然療法が『体』を変える~免疫力が増幅する”クスリを使わない”医学」を読んで

2013-10-24 21:43:07 | 健康・医療・暮らし 2012~2017
 総タイトル:【「自然療法」は、自然に任せる、天に任せる、創造主に委ねる事・・・「自然療法が『体』を変える~免疫力が増幅する”クスリを使わない”医学」を読んで】

 「自然療法が『体』を変える~免疫力が増幅する”クスリを使わない”医学」(著者:東城百合子氏、出版日:2011/7/10、出版社:三笠書房)
 上記の本を読みました。
 身体の部分ぶぶんの表面に表れている「結果」としての一つひとつの症状に対して、「対症療法」を行なう現代医療・薬と異なり、身体全体の「体質」を改善して根本的な治癒に導く「自然療法」は、人間が元々持っている免疫力等の「自然治癒力」を生かすものです。
 交感神経・副交感神経の「自律神経」は、人の意思に依らずに、自然に血液や心臓等の身体の各機能を促す為に働いており、自然の力、それを超える創造主の力に依るものです。
 薬は身体にとって異物で基本的に毒であり、食事での化学調味料や合成添加物、農薬等も同じで、副作用が起こります。「自然療法」はそれらを排除し、自然な味のまま、副作用による感覚の麻痺も起こらず、元々在った体質へと変えて行きます。感覚の麻痺とは、身体の五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)だけでは無く、心の感受性が鈍ったり、足るを知る事が出来ずに次から次へと欲しくなる貪欲や依存症が生じる事です。「欲望」を意味する「肉」はとかく鈍いものですが、「心」を敏感にしておく必要が有ります。「自然療法」は、自然に任せる、天に任せる、創造主に委ねる事です。
 根治療法としての体質改善を行なう「自然療法」は、「身土不二」の考えを含み、地元の旬の食材や日本人に適合する日本の伝統食を食べるもので、昔からのスローフードや地産地消、発酵食品、有機栽培等であり、味噌汁、玄米・麦・豆等の穀物、野菜、海草、ゴマ、魚、貝等、「玄米菜食」を基本とするものです。
 心があらゆる病気の根本である事、つまりストレスが病気の根本です。このストレスを生んだり余計に悪化させる原因の内の一つとして、間違った食生活や「薬」があります。薬によって交感神経を優位にさせ、血管が収縮して血液循環を悪化させ、また免疫機能としての白血球の内の顆粒球を優位にさせる事による活性酸素の増大を招き、組織や器官、細胞や、その中の遺伝子を傷つけます。例えば、市販品の湿布薬等の解熱鎮痛剤にはその様な働きが有り、せっかく体が「自然治癒力」によって発熱や腫脹等の症状を起こしているのにも関わらずに、それらの症状を強制的に抑え込んで症状を悪化させたり長引かせたりしてしまいます。「自然療法」による「手当て」は、薬を用いずに自然の食材等を用いるもので、身体の「自然治癒力」を支えるものです。
 本書より  
 「神経とは、神の経(みち(不変の道理))と書くように、神、すなわち大いなる自然の力が動かすものです。」
 「だから心を閉ざして神経を硬直させると、運命も閉ざされます。」
 「『自然療法』は自然にかえる道を学ぶためのものであって、病気治しが主目的ではありません。」
 「病気は不幸ではなく、むしろ不自然な生活や生き方に気づかせてくれたのだから、幸せを育てるための、またとないチャンスなのです。」
 「神経は自分で動かしているのではありません。すべて自然が動かしているのです。」
 「自然の見えない力を実感し、その力に心からの感謝ができた時、医学では治らないといわれるガンも肝硬変も実に簡単に治ります。実際に治った方々を大勢私は見てまいりました。ただし、根っこである心(いのちを大切にする)が改められなければ難しいのです。」
 「自分で頑張るのではなく、自然にまかせていると、自然に添って生きることがどのようなことかを、理屈ではなく体が受け止めるようになるのです。」
 「自然療法はまず食べものからいのちをいただく。でも『いのちは天命で生まれ、天明で還る』。自分の意志や考えではありません。」
 「玄米食と日々の祈りを大切に生きること」。
 「今できることをして、あとは天まかせ。」
 「幸せとは、辛いこと、苦しいことを避けたり、そこから逃げたりすることじゃない。逆に苦しいこと辛いことに真心を尽くすとき、真の信用もいただける。思いやりも苦しみから育ちます。本当の信頼関係も苦労してこそ実っていきますね。」
 「病気も自分を育てるために、必要あってかかったもので、天から自分を育てよとの愛のお手紙でしたね。…(中略)…何もないなら深く学ぶこともなく、浅くうわべだけで生きたでしょう。病院のクスリの副作用も、必要あって真理を学ぶための道のりだった。苦しみが深いほど、人生は深く心を養う。マイナスもありがたいことでしたね。」
 本書の中に在る「喜びの体験談」の言葉より、
 「もし、障害を持って生まれてきても、この子とともに生きようと思い、自然におまかせしたのです。…(中略)…私が何をしたわけでもないのに、心が軽くなった時、これで良しと神様が子どもを恵んで下さったと、ただただありがたく、…(後略)…。」
 「今まで、こうした自然の見えない力に支えられ、生かされてきたのに、自分で生きてきたと思っていた傲慢さに恥じ入りました。」
 家庭で実践出来る自然療法の食事と手当て法として、
 玄米菜食、玄米スープ、梅肉エキス、梅干の黒焼き、コンニャク・ショウガ・スギナの各温湿布、里芋・豆腐の各パスタ―(湿布)、砂療法、ビワ葉温灸、薬草茶、大根療法、腰湯、足浴……等と紹介されています。

 
自然療法が「体」を変える (知的生きかた文庫)自然療法が「体」を変える (知的生きかた文庫)価格:¥ 600(税込)発売日:2011-06-21

 
「薬をやめる」と病気は治る―免疫力を上げる一番の近道は薬からの離脱だった「薬をやめる」と病気は治る―免疫力を上げる一番の近道は薬からの離脱だった価格:¥ 1,575(税込)発売日:2004-03



水俣条約採択、水銀入りワクチンの行方・・・それでも未だ使用し続けるのか

2013-10-21 00:31:40 | 予防医療の危険性と生命倫理
 水俣条約採択にも関わらず、水銀入りのワクチンや歯科のアマルガムは今後も使用され続けるのでしょうか……。
 先日2013年10月10日、水銀による健康被害や環境汚染の防止を目指して、水銀を包括的に規制する「水銀に関する水俣条約」が、熊本市での141の国・地域が参加する外交会議にて全会一致で採択され、2016年にも発効する見通しとなりました。
 石炭の火力発電で大気中に水銀が排出され、その汚染が海洋汚染に繋がって、クジラやアザラシ、マグロ、キンメダイ等に生物濃縮されて蓄積していき、特に妊婦さんのそれらの摂取が胎児に影響が及ぶ危険性が有ります。
 ブラジルや発展途上国においては、金の採掘現場での金の抽出に水銀が使用され、水銀による環境汚染が深刻な問題となっています。
 身近な所では、電池や蛍光灯、体温計、血圧計等に使用され、他にも大電力用の整流器や高速動作用リレー用の接点材料等にも使われています。
 しかし何より問題なのは、人の健康の為にとされる物の中に水銀が含まれている事です。ワクチンにはチメロサールと言う水銀の防腐剤が添加されています。また歯科のインレー修復材としての詰め物に水銀との合金アマルガムが使われています。他にも、かつて消毒薬のマーキュロクロム堕胎薬にも使われていました。
 また水俣病の発生した熊本県の水俣湾に、原因となった企業が排出した水銀を含むヘドロを鋼製の護岸で囲んでコンクリートで固めた埋め立て地「エコパーク水俣」が在ります。老朽化が進み、地震等でその護岸が崩壊して水銀が海洋に漏れる恐れが有ります。原発事故や放射性廃棄物から放射能物質が漏れる事と同じで危険です。


 本ブログ過去の関連記事↓↓
   ・2012年11月22日付「ワクチン接種による感染」
   ・2013年1月8日付「インフルエンザ・ワクチンの無効性」
   ・2013年4月1日付「ワクチン・薬は自分で勉強し、嫌なら拒否・・・専門家・権威の言葉を鵜呑みにしない事、自然免疫力の大事さ」
   ・2013年5月11日付「放射性物質による『内部被曝』だけでは無い『先天異常』リスク・・・食品、化粧品、洗剤、医薬品、ワクチン等に含まれる有害添加物からも」
   ・2013/05/21付子宮頸がんワクチンは中止が必要
   ・2013/06/15付子宮頸がんワクチン接種、一時推奨中止へ・・・被害者連絡会等の訴えに官僚が少し折れたか


  関連動画↓↓
 

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YouTube: ワクチンの衝撃的真実~水銀・MSG・ホルムアルデヒド・アルミニウム


 

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YouTube: ワクチンと脳疾患との繋がり?(1/8)


 

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YouTube: ワクチンには何が入っているの?(1/6)


 

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YouTube: アマルガム水銀


 

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YouTube: 水銀の神経への影響





 
 


福島県産の食材が店頭や学校給食に・・・単なる風評被害か、それとも人体実験か

2013-10-21 00:21:27 | 食品
 福島県産の食材は本当に風評被害に遭っているだけで、実際は安全なのでしょうか。先日の本ブログ2013年10月7日付「権威・権力の広報として世論操作をするマスコミ・・・独立した「個人」の「反骨」が必要」での記事に有る様に、政府やその広報であるマスコミ等の偉いさんの言う事は当てにならず、まさか人体実験をして様子を見ようとしているのではないのでしょうか……
 先日10月18日、福島第1原発事故後初めてで約2年7ヶ月ぶりとなるいわき市沖での漁業の試験操業が行われ、対象を沖合の水深150mより深い海域に限定して、タコやイカ等がいわき市の久之浜港等で水揚げされ、放射性物質の測定で安全性が確認されたとして、翌19日に市場に出され店頭に並べられました県南部のいわき地区の漁協とは別に、県北部の相馬双葉漁協はこれまでに既に試験操業をして来ました
 放射能汚染水漏れは原発事故直後から現在まで継続しています。最近問題にされ始めましたが、事故当初から既に大量の汚染水が漏れて来ていた訳です。
 また同じ10月18日には、福島県田村郡小野町の小学校で、地元で生産された新米等の食材を使用されたものが学校給食として児童に提供されました。小野町は福島第1原発から約40km西方に在ります。
 チェルノブイリ原発事故後に、ウクライナで地元の食材を食べていた子供達が成長して結婚し、その夫婦から先天性の障害や病気を持った子供が多数生まれました。放射性物質は体内に蓄積して増え、時間をかけて内部被曝を起こしていき、直ぐには症状が出なくとも、20~30年後にガン等の症状が現われて来ます。


  関連動画↓↓
 

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YouTube: いわき沖の試験操業で水揚げされた魚、スーパーなどで販売開始(福島13/10/19)


 

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YouTube: 小野町で学校給食に地元の食材を使う取り組み始まる(福島13/10/18)






権威・権力の広報として世論操作をするマスコミ・・・独立した「個人」の「反骨」が必要・・・「新聞・テレビはなぜ平気で『ウソ』をつくのか」を読んで

2013-10-07 11:23:01 | マスコミ
 総タイトル:【権威・権力の広報として世論操作をするマスコミ・・・独立した「個人」の「反骨」が必要・・・「新聞・テレビはなぜ平気で『ウソ』をつくのか」を読んで】

 「新聞・テレビはなぜ平気で『ウソ』をつくのか」(著者:上杉隆氏、出版日:2012/2/29、出版社:PHP研究所)
 上記の本を読みました。
 私は本の購入時には、タイトルから興味を持って入っていく事が多いです。本書を読む前から、そのタイトル通り、特にテレビや新聞等の主流メディアが真実を伝えていない事は解っていましたが、共感する事も有って本書を読みました。
 権威・権力の広報として世論操作をするマスコミは、その裏の権力、頂点に存在する支配階級に使われています。
 テレビ・新聞各社の記者が参加する「記者クラブ」と官僚とが、「官報複合体」として金銭の授受を伴う癒着関係に在ります。「記者クラブ」内部での各社記者通しの癒着・談合も在り、一人の記者の「メモ」を「他社もらい」や「カンニング」をして各社共通のメモを採用して記事にする為に、どの新聞・テレビも似通っている「共同記事」となっています。記者クラブに参加する記者達は皆一流大学出身のエリートばかりで、権威や権力に対しては弱く、それらに寄り掛かる性格を持っています。
 一方、フリージャーナリスト、フリーランスは会社や組織・団体に所属せず、独立して自由な記事や情報を発信しています。そして特に海外のフリーランス等は中卒やアンダーグラウンド出身者も多く、その様な人達は「下積み」の苦労を重ねて来ている事と「反骨精神」を持っている事から、「反権力」となり易く、その為に権力・上層部の不正を暴く等の真実をより深く追求する傾向にあると思います。また「下積み」の経験から、下層の人達への共感も持っており、弱者や差別、人権等に対しても理解が深いものと思います。逆に、主流メディアが表面的に権力を監視する等と言っても、エリートばかりで所詮その権力と同類である為に、結局は権力・権威に寄り添い、少数派の弱者等の「異質」なものを排除している様に思います。
 震災時の報道においては、その「政府広報」の威力をNHKを始めとしたマスコミは発揮していましたが、その頃にインターネットにおいては、並行してそのマスコミの「ウソ」が暴かれていました。
 震災・原発事故後の特に福島県民に対しては、マスコミを通した政府の情報には虚偽や隠蔽が多く、福島県民に現在や未来にかけての、安全・安心と思い込ませる洗脳や、希望を持たせる様な情報を流して来ました。しかし、現実は全く反対であり、却って「死の町」となってしまっている事実を公に伝えてもらう事を、震災直後から被災地の地元の人々は願っており、福島県民もインターネット等で情報収集して本当の事を解っている様で、将来にかけて地元には帰る事が出来ない事を悟っています
 マスコミが真実を伝えないので、その様な「組織」に対抗して、独立した「個人」としての情報収集が必要になります。その為のツールとして、インターネットが存在する様に思います。
 独立した「個人」として情報収集する上で、現在では各個人のブログSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)等において、一人ひとりが「キュレーター」となっています。「キュレーター」とは、「情報を収集し、選別し、意味づけを与えて、それをみんなと共有すること」(本書より)です。あるテーマを基に情報収集して自分なりに吟味し考え選んで、一つの記事や特集に纏める事は、現代においては多くの一般の人達が行っている事であり、インターネットの普及率が高くなっている現状においては、多くの人達がその様な情報を知る所となり、発信するだけでなく利用してもいます。
 情報収集する上で大事な事は、自分の内に「基準」を持つ事。そして、その「基準」を「根拠」にしての疑問視、洞察、把捉、判断、選択等が必要に思います。故に、何を「基準」にするのか、何を「根拠」にするのかが、これからの時代には各個人に問われるものと思います。
 著者はフリーのジャーナリストとして、本書より、「結果にとらわれず、世間の評価を気にせず、自分のやりたいことに従って生きる」と言っています。組織、世間一般、常識とされている事、権威・権力等に影響されずに、動揺せずに、自立して独立した「個人」の姿勢が、これからは各個人に求められます


 本ブログ過去の関連記事↓↓
   2012年11月29日付「情報隠蔽による被曝被害の拡大・・・政府、東電、NHK、自治体、医学者の責任」


 
新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか (PHP新書)新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか (PHP新書)価格:¥ 756(税込)発売日:2012-02-15


 
福島 原発と人びと (岩波新書)福島 原発と人びと (岩波新書)価格:¥ 798(税込)発売日:2011-08-20



生命の根幹を司る食養生における日本人にとっての中心「味噌汁」・・・「体質と食物―健康への道」を読んで

2013-10-07 07:22:08 | 健康・医療・暮らし 2012~2017
 「悔い改め」と「食い改め」
 次の本を読みました。
 「体質と食物―健康への道」(著者:秋月辰一郎氏、出版日:1980/11/1、出版社:クリエ―出版)
 60ページ程の薄い新書サイズの本書の中に、日本人にとっての「食養生」の大切さが濃縮されて込められており、中でも特に「味噌汁」の重要性が説かれています。
 「味噌汁」等と言うと、世間一般的には軽視して侮る傾向が有る様に思います。逆に、特に病気や疲労がある時等に利用しがちな薬や栄養ドリンク、サプリメント等に対して、科学的、先進的、近代的なイメージを持つ傾向が、世間一般的には強い様に思います。しかし、薬は基本的に体にとっては異物・毒であり、特に継続使用で症状が慢性化、悪化、副作用の発症等となり、サプリメント等も偏った栄養摂取によって逆に健康を害する事にもなります。「味噌汁」は「調和料」として食物相互作用をもたらし、様々な効能が有ります。
 著者は大正時代に長崎県で生まれ、子供の頃から虚弱多病の体質を持っておられました。戦前に医師となり、第二次大戦中は結核を持ちながらも軍隊に入ったり、医師不足の中で医業に携わり、長崎の病院に勤務中に原爆に被曝しました。被曝後も医業に携わり続け、それと並行して原爆関連の各種委員等も務められて精力的に活動され、8年前の2005年に89歳で生涯を終えられました。自身が元々生まれながら持っていた虚弱体質と原爆被曝経験から、また自身の「味噌汁」による「食養生」から、そして論文や研究に没頭する学者としてでは無く現場で診察等の活動をする医師としての立場から、本書に「体質と食物」に関する重要性が纏められています
 著者は、現代医療が「原因療法」では無く、対症療法や手術療法等の「結果療法」である事に絶望して、「食養生」が人の根本である「体質」を改善して「原因療法」となる事を見出しました。そして、「食養生」における「食物」の重要性、中でも日本人の風土に最も適した「味噌汁」こそが、日本人にとっては特に重要である事を確信しました。
 「身土不二」と言う言葉を著者は用いています。仏教でも別の意味で使われていますが、明治時代の軍医・医師・薬剤師であった石塚左玄氏が提唱されていた内容を基にしての「食養学」においてのスローガンとして用いられたその意味は、「地元の旬の食品や伝統食が身体に良い。」(ウィキペディアより)と言う事です。地産地消、スローフード、自然食、発酵食品、有機栽培等は、その考え方を基にしたもの、あるいはそれらから得た考え方であるものと言えます。
 日本の伝統食「味噌汁」の中に、ワカメ、揚げ、野菜、豆腐等を入れ、味噌汁が「調和料」としてそれら食材の「相互作用」を促し、食材一つひとつが単能的に機能が働くのでは無く、味噌汁として「多能的」に、総合的に、一つの症状だけでは無く身体全体の改善、「体質改善」と言う「根本的改善・治療」になる事を教えられています。
 「味噌汁」はアルカリ体質を作る働きが有り、現代の西洋化した食事により動物性蛋白質や加工食品、甘味品等の過剰摂取によりとかく酸性化しがちな身体を中和させます。身体が酸性化している事によるアレルギー体質や易感染体質を改善する効果、虚弱体質を改善する効果が有ります。味噌汁の中の塩分等の各種ミネラル(無機塩類)が、抗酸化作用を発揮します。また揚げ等に含まれる脂質は、結核や放射線の影響、寄生虫感染等の予防・治療に効果が有ると言っています。また発酵食品である為に、乳酸菌の効果で腸内腐敗を防いで免疫中枢機能の強化等と、長寿に繋がります。栄養の補助・補足と同時に、毒消しの効果があります。
 本書には書いていませんが、味噌やわかめにはヨウ素が含まれており、放射線被曝した時の甲状腺がん発症の予防にもなります。
 「味噌汁」の他にも、日本の昔からの伝統食としての「五穀」が有ります。「米・麦・黍・粟・大豆」、又は「米・小麦・大麦・小豆・大豆」の事であり、それらを柱とした「食養生」が日本人にとっては大事であると言っています。味噌汁のミネラルや善玉菌と同様に、穀類の繊維素が腸内環境の改善、免疫機能の改善に繋がります。
 症状に対して個別に一つひとつ対応する「結果療法」・「対症療法」では無く、根本的に体質を改善して全ての病気に対抗出来る体を作る「原因療法」・「根本治療」としての「味噌汁」に代表される「食養生」が重要である事を説いておられます。新薬等の効きやすい体を作り、薬の服用を減らす事にも繋がります。自身の「味噌汁」による虚弱体質の改善と、自身の原爆被曝体験に対しての「味噌汁」による放射線の毒を消す事を、身を持って証明されました

 
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旧約聖書・出エジプト記を通して現代社会を見る

2013-10-06 08:39:47 | 世間・空気
 現代の社会において、世間一般の人々は、日々、朝早くから満員の通勤電車渋滞する車での通勤をし、日中は会社・組織と言う機械の一部品である小さな歯車の様になって、自分の意志も無い様な形で只々全体主義に従って働き残業後の夜遅くに帰宅して、自分の時間を持つ事も出来ず、疲れの余りにテレビ、酒で時に流されてしまう。
 給料の為、自分が食べていく為、家族を養う為、遊ぶ為の金の欲しさから、単純に、単能的に、スピード・効率重視、毎日まいにち同じパターン、同じ事の繰り返しを、仕事は勿論、生活全般においても、自分で考える事が無く、思考を働かせる事が無く、自分を見つめ直す事も無い、時間や空気に只々流されるだけの毎日を送っています。
 今から約3500年前へブル人(現在のユダヤ人)も同じ様な状態に在りました。エジプトにおいてのへブル人は、食事や住居等の基本的な生活が保障されていましたが、それと引き換えに、現代の社会と似た労働を行なっていました。その当時のへブル人(イスラエル人)も、出エジプト時における飢え等の困難に遭う上で、食べる事が出来たエジプトでの労働と生活の方が良かったと回想し、不平不満をもらします。食べていく為には隷従的扱いを受けても良いと……


 旧約聖書・出エジプト記5章4節
エジプトの王は彼らに言った。『モーセとアロン。おまえたちは、なぜ民に仕事をやめさせようとするのか。おまえたちの苦役に戻れ。』」
 同書5章8~9節
「そしてこれまで作っていた量のれんがを作らせるのだ。それを減らしてはならない彼らはなまけ者だ。だから、「私たちの神に、いけにえをささげに行かせてください。」と言って叫んでいるのだ。あの者たちの労役を重くし、その仕事をさせなければならない。偽りのことばにかかわりを持たせてはいけない。』」
 同書5章13~14節
監督たちは彼らをせきたてて言った。『わらがあったときと同じように、おまえたちの仕事、おまえたちのその日その日の仕事を仕上げよ。』パロの監督たちがこの民の上に立てたイスラエル人の人夫がしらたちは、打ちたたかれ、『なぜおまえたちは定められたれんがの分を、きのうもきょうも、これまでのように仕上げないのか。』と言われた。」
 同書5章17~19節
パロは言った。『おまえたちはなまけ者だ。なまけ者なのだ。だから「私たちの主にいけにえをささげに行かせてください。」と言っているのだ。さあ、すぐに行って働け。わらは与えないが、おまえたちは割り当てどおりれんがを納めるのだ。』イスラエル人の人夫がしらたちは、『おまえたちのれんがのその日その日の数を減らしてはならない。』と聞かされたとき、これは、悪いことになったと思った。」


 同書6章5~9節
「今わたしは、エジプトが奴隷としているイスラエル人の嘆きを聞いて、わたしの契約を思い起こした。それゆえ、イスラエル人に言え。
 わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出し、労役から救い出す。伸ばした腕と大いなるさばきとによってあなたがたを贖う。わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出す者であることを知るようになる。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓ったその地に、あなたがたを連れて行き、それをあなたがたの所有として与える。わたしは主である。モーセはこのようにイスラエル人に話したが、彼らは落胆と激しい労役のためモーセに聞こうとはしなかった。」


 同書14章10~16節
 「パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、主に向かって叫んだ。そしてモーセに言った。『エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。「私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。」事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。』それでモーセは民に言った。『恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。』
 主はモーセに仰せられた。『なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真中のかわいた地を進み行くようにせよ。」


 同書16章2~4節
「そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。イスラエル人は彼らに言った。『エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。』
 主はモーセに仰せられた。『見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。」


 同書17章2~3節
「それで、民はモーセと争い、『私たちに飲む水を下さい。』と言った。モーセは彼らに、『あなたがたはなぜ私と争うのですか。なぜ主を試みるのですか。』と言った。民はその所で水に渇いた。それで民はモーセにつぶやいて言った。『いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのですか。私や、子どもたちや、家畜を、渇きで死なせるためですか。』


 旧約聖書・民数記11章1~6節
「さて、民はひどく不平を鳴らして主につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。すると民はモーセに向かってわめいた。それで、モーセが主に祈ると、その火は消えた。主の火が、彼らに向かって燃え上がったので、その場所の名をタブエラと呼んだ。
 また彼らのうちに混じってきていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエル人もまた大声で泣いて、言った。『ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。』


「歯ぎしり」

2013-10-06 07:43:12 | エッセイ・コラム
 「歯ぎしり」について。聖書より。


 旧約聖書・詩篇35章15~16節(ダビデによる)
「だが、彼らは私がつまずくと喜び、相つどい、私の知らない攻撃者どもが、共に私を目ざして集まり、休みなく私を中傷した。私の回りの、あざけり、ののしる者どもは私に向かって歯ぎしりした。」


 同書35章19~22節
「偽り者の、私の敵を、私のことで喜ばせないでください。ゆえもなく私を憎む人々が目くばせしないようにしてください。彼らは平和を語らず、地の平穏な人々に、欺きごとをたくらむからです。彼らは私に向かって、大きく口を開き、『あはは、あはは、この目で見たぞ。』と言います。主よ。あなたはそれをご覧になったのです。黙っていないでください。わが主よ、私から遠く離れないでください。」


 同書37章12~13節
「悪者は正しい者に敵対して事を図り、歯ぎしりして彼に向かう。主は彼を笑われる。彼の日が迫っているのをご覧になるから。」


 同書112章7~10節
「その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。その角は栄光のうちに高く上げられる。悪者はそれを見ていらだち、歯ぎしりして溶けさる。悪者の願いは滅びうせる。」


 旧約聖書・ヨブ記16章9節
神は怒って私を引き裂き、私を攻めたて、私に向かって歯ぎしりした。」


 旧約聖書・哀歌2章16節(エレミヤによる)
「あなたの敵はみな、あなたに向かって大きく口を開いて、あざけり、歯ぎしりして言う。『われわれはこれを滅ぼした。ああ、これこそ、われわれの待ち望んでいた日。われわれはこれに巡り会い、じかに見た。』と。」


 新約聖書・マタイの福音書8章10~12節
イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。『まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。』」


 同書13章37~43節
イエスは答えてこう言われた。『良い種を蒔く者は人の子です。畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。」


 同書22章1~2節
イエスはもう一度たとえをもって彼らに話された。『天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。」
 同書22章10節
「それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。」
 同書22章12~14節
「そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。』」


 同書25章14~18節
 「天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し。それから旅に出かけた。五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。」
 同書25章26~30節
「ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。」


 新約聖書・ルカの福音書13章22~30節
 「イエスは、町々村々を次々に教えながら通り、エルサレムへの旅を続けられた。すると、『主よ、救われる者は少ないのですか。』と言う人があった。イエスは、人々に言われた。『努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、「ご主人さま、あけてください。」と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、「あなたがたがどこの者か、私は知らない。」と答えるでしょう。すると、あなたがたは、こう言い始めるでしょう。「私たちは、ごいっしょに、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました。」だが、主人はこう言うでしょう。「私はあなたがたがどこの者だか知りません。不正を行なう者たち。みな出て行きなさい。」神の国アブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちがはいっているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるのです。』」。


 関連動画↓↓
 

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YouTube: 「携挙で残される人々」(泣いて歯ぎしりしないために)




 関連記事↓↓
   「雲の柱・火の柱 アウトロー神学者の終末世相診断」~2013年9月1日付「『携挙で残される人々』(泣いて歯ぎしりしないために)」


販売するアジ・イワシの中に猛毒を持つフグの混入

2013-10-06 07:36:02 | 食品
 大衆魚として馴染みが深く、釣りの対象魚としても人気の有る鰯(イワシ)や鰺(アジ)の中に、猛毒を持つ河豚(フグ)が混入すると言う事件が有りました。カタクチイワシ、豆アジ、フグはそれぞれ小型の魚であり、一度に大量に扱う場合には気が付きにくいものと思われます。
 消費者庁リコール情報サイト~2013年9月12日登録「(株)ウオロク東新保店で販売した『生鮮魚介類:寺泊産 豆あじ』- 回収」より、「平成25年9月8日(日)に三条市の食料品店「ウオロク 東新保(ヒガシシンボ)店」で販売された『豆あじ』のパックに有毒のフグが混入していた可能性があることが判明しました。」。
 同サイト~2013年9月25日登録「フグが混入した可能性のある『愛知県産カタクチイワシ』 -自主回収」より、「9月24日(火),福山地方卸売市場の卸売業者である株式会社クラハシから,福山市保健所へ『本日取り扱いをした「カタクチイワシ」の中に「フグ」が混入していたことが判明したため,自主回収を行う。』旨の報告がありました。
 同社によると,販売先の小売店 1店舗において,『カタクチイワシ』を容器に移しかえていたところ,『フグ』が混入していることが発見され,その連絡を受け,直ちに各販売者に対し,販売中止等の連絡をしたが,消費者に販売されている可能性もあることから自主回収するとしております。9月25日18時現在で、本件以外のクレームの発生はなく、9割の回収若しくは廃棄の確認をしております。」
 また、「フグ目フグ科のフグは猛毒のフグ毒テトロドトキシンをもちます。」(同サイトより)
  「厚生労働省『自然毒のリスクプロファイル:魚類:フグ毒』」


米国のデフォルト目前・・・世界同時不況、or 際限無き債務上限引き上げで回避するも「破滅」への道・「終わりの日」

2013-10-06 06:58:43 | ユダヤ支配下アメリカ2012~2019
 総タイトル:【米国のデフォルト目前・・・世界同時不況、or 際限無き債務上限引き上げで回避するも「破滅」への道・「終わりの日」】

 アメリカの、医療保険改革等、財政問題での議会の調整が上手くいかず、現在執行中の政府機関閉鎖による連邦政府職員80万人以上の休職と、今月17日に期限が迫っている米国債務上限突破を回避する為の債務上限引き上げが行わない場合、米国のデフォルト(債務不履行)となって米国債の売りに繋がって米国債の金利が上昇し米国債の保有額第一位の中国、同第二位の日本を始めとした国々に影響が出る事となり、また、米国の信用下落からのドル売り円買いに繋がっての円高となる恐れが出ています。そして、世界同時不況の恐れも有ります。
 また例え債務上限引き上げが議会で可決されたとしても、現在の超天文学的な債務上限16兆7千億ドル(約1640兆円)を更に上回る事となり、単なる一時しのぎで、この先未来に向けてもその繰り返しが予想され、「破滅」が確実で、「終わりの日」が刻一刻と近付いている事が解ります。