活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

相続

2021年05月13日 | 法理

「愚のごとく魯(ろ)のごとし」というお言葉が在ります。

 

他から見たら何をしているのか分からない、「修行」らしい事を一切していない人に成って「修行を相続していく」という事は大変な事です。

 

「相続して行く」という事は「続けていく」という事です。

 

「修行」というものは、「やりなさい」と他から強いられて行うものではありません。

 

この事は出来そうで中中出来ない事です。

 

然して「平常心是道だから何をしていても坐禅だ」という考えに堕ちやすいものです。

 

「坐禅の嫌いな人」が「何をしていても坐禅なのだから、ことさらに坐禅をしなくても善いじゃないか」というような事を言い出すのです。

 

然しそれは間違いです。

 

何故ならば、何をしていても坐禅ならば、坐禅も「何をしていてもという中の一つ」ですから、坐禅をしようと、横になっていようと、どんな事をしていても、全てが「何をしていても相続でないといけない」という事です。

 

この事は非常に大変な事ですけれども、そういう努力が必要だという事です。