「善悪を思わず、是非を管すること莫れ」というお言葉が在ります。
物事を能く知(識)っている人は、「善悪を思わず」と言えば、善い事悪い事と言うのは「思ってはいけないだ」と理解してしまいます。
又、「是非を管すること莫れ」と言えば「他と比較してはいけないんだ」と考えを先に立ててしまいます。
別の言葉で言えば、「法」を求めて行く上には、「思ってはいけないんだ、考えてはいけないんだ」と言うように「思いを先に立ててしまう」のです。
そうしたら何が残るのかというと、「考え(思い)を出した自分」が残っているということです。
それだと、何時まで経っても「そうしてはいけないんだ、そうあるべきだ、そうすべきだ」というものを先に立てて、そして自分をそれに沿わしていこうとします。
それでは「発心(ほっしん)が正しくない」ということです。