「禅」というのは、「元来一つの物が分かれたまま一つで在ったと体得すること」です。
南泉禅師が「平常心是道(へいじょうしんぜどう、びょうじょうしんぜどう)」というお言葉で示して居られますが「平常心是道」とは自分自身の事です。
従って「これは平常心で、これは平常心ではない」などというものはありません。
私たち衆生は改まって平常心を探すという考えを働かせなくても、既にその中で生活しているという事です。
「戒」というのは宇宙を全自己として行動する事です。
既にこの「戒」が守られている中にいる状態が「禅」です。
或る時は坐禅、或る時は作務、或る時は毎日の会話など、「日常生活の全てが禅」です。
この様に「禅と戒」は別の物ではありません。
「一つの事象」を禅(平等)戒(差別“しゃべつ”)から捉えたに過ぎません。
禅と戒を知(識)るということは、「自分の本性」を知(識)るという事です。
「自分の本性」とは「四大(しだい)“地水火風”」です。
人間(にんげん)だけではありません。
万物のあらゆる事象が四大に因って構成され「因縁果」を繰り返しているのです。