「その声」を人間の見解(けんげ)で分かろうと思っても隔て(距離)が
有(在)るのです。
それを道元禅師は「将に見んとすれば白雲万里」といっているのです。
隔て(距離)が在り過ぎて分からないとおっしゃっているのです。
「此の物(身体機能)」は般若心経にある通りに「無眼耳鼻舌身意」なの
です。
おシャカ様在是の時に、自分で自分の機能としての「六根」を問題にした
人は、おシャカ様以外にはいなかったのです。
多くの人は「此の物(身体機能)」を「私物」という考えを中心にしてそれの
便利のいいところだけを考えて来ただけだったのです。