人間(にんげん)の執着は何時から始まったかというと、お父さんお母さん
の因縁に因って私たち衆生がお母さんの腹の中に「胎生(たくせん)託生
(たくしょう)」した時から生への執着というものが入ります。
これは自分とか自分じゃないとかということに関わりなく働きとして、
「執着」というものが有(在)るのです。
そういうものが胎内で容(かたち)作られてきて、そしてそのまま誕生して
来るという訳です。
このことを仏教では「業因」といっています。
ですから「不知不識生(ふちふしきしょう)」なのです。
私たち衆生は「三つの弱点(情愛、自体愛、当生愛)」を持っています。
これが苦の根本になっているのです。
生きている今の現実には、誰もがまだそういうことは余り考えないで
生活しているだけなのです。