活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

法としての根源2

2019年03月16日 | 法理

外に出てみて下さい、諸々の環境に接した時、接しようと思ったのでは

ないのです。


知(識)らないのですが環境というものが「有(在)」るのではないでしょうか。


環境といいますが、みんな「此の物(身体の機能ー眼・耳・鼻・舌・身・意)」

の様子なのです。


ですから、本当は環境ということも無いのです。


そういうことが如何してこの様に「区別」が付いたのかといえば、

「物心ついた時点」でそうなったのです。


「此の物(身体機能)」を考え方に移行したからです。

考え方としてものを捉えたからです。


そして今の様な「問題」が起きる(生じる)のです。