外に出てみて下さい、諸々の環境に接した時、接しようと思ったのでは
ないのです。
知(識)らないのですが環境というものが「有(在)」るのではないでしょうか。
環境といいますが、みんな「此の物(身体の機能ー眼・耳・鼻・舌・身・意)」
の様子なのです。
ですから、本当は環境ということも無いのです。
そういうことが如何してこの様に「区別」が付いたのかといえば、
「物心ついた時点」でそうなったのです。
「此の物(身体機能)」を考え方に移行したからです。
考え方としてものを捉えたからです。
そして今の様な「問題」が起きる(生じる)のです。