私たち衆生は「四十九年一字不説」というと、何かそれが「仏法(仏道)」の大意、究極だと考えがちです。
けれども「仏法(仏道)」ということを思ったり考えたりすることでも、既に「言葉(文字)」に囚われて迷いの元になるものです。
「四十九年一字不説」という「言葉(文字)」は有(在)っても実体はありません。
ですから、「四十九年一字不説」という「言葉(文字)」を使った実体のない「その事(事実)」を自分のものにする以外にないのです。
「仏法(仏道)」という「法(道)」に従って究極に至らなければならないのです。
既に「仏法(仏道)」の中に居りながら「非常に矛盾した事」ですけれども、それを行なわなければならないのです。
「実に余分な事」ですけれども、それを行なわないと「真実(事実、法、道)」というものは本当に分からないのです。