私たち衆生の「日常生活」というものは、知る知らないに関係なく、又、そいういうものがない処で「日常生活」を営んでいるのです。
ただそのことに気が付かないだけなのです。
「花」は雨で散っても「花そのもの」は一向に悲しんでいません。
あるいは、咲いたからといって喜んでもいません。
時期が来れば「花」は咲きますし、散ります。
何かそこに隠されているものがあるでしょうか。
私たち衆生はやらなければならないことは、ちゃんとやれますし、やってはいけないことは、ちゃんとやらないでいられます。
これはもう本当にその通りの「日常生活」を営んでいる訳です。
考えれば実に「不思議(不可思議)」なことです。