活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

四十九年一字不説6

2020年07月17日 | 法理

本当に「真実(事実、法、道)」に成ってしまえば自分をも含めて何もかもないのが本当です。

 

私たち衆生は何気なく日常生活を送っていますが、その事に満足が得られてないものです。

 

何故、満足が得られないのかというと、「子供の時分に物心が付いた」からです。

 

「物心が如何にして付いたのか」ということは、誰一人として分かりません。

 

「物心が付いた途端」にどんな人でも皆、そうなるのです。

 

これは「人間(にんげん)の本性」なのです。

 

それを「認識」というのです。

「識」を初めて認めたのです。

 

子供自心には物心が付いたという「自覚」がありません。

それですから、「無明の煩悩」といわれてるのです。


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