本当に「真実(事実、法、道)」に成ってしまえば自分をも含めて何もかもないのが本当です。
私たち衆生は何気なく日常生活を送っていますが、その事に満足が得られてないものです。
何故、満足が得られないのかというと、「子供の時分に物心が付いた」からです。
「物心が如何にして付いたのか」ということは、誰一人として分かりません。
「物心が付いた途端」にどんな人でも皆、そうなるのです。
これは「人間(にんげん)の本性」なのです。
それを「認識」というのです。
「識」を初めて認めたのです。
子供自心には物心が付いたという「自覚」がありません。
それですから、「無明の煩悩」といわれてるのです。