私たち衆生は日常生活において、外に出ようと思えば、只、そのまま立って知(識)らないうちに行くと思います。
これが「一切為さず」です。
足がどう運んだのか知(識)りません。
それほどちゃんと行われている真相があるのです。
このことを「自受用三昧(じじゅゆうざんまい)に安住している」と言います。
「自受用」とは、誰もが自分自身を自分自身で何時でも使っているのです。
それに因ってのみ、日常生活を送っているのです。
ただ、それを知(識)らないでいるだけなのです。
いつも行じられている「仏祖深妙の行(ぎょう)」というものは、私たちに在っても欠けず、仏祖に在っても増さず、「永久不変」です。
そういう大きな道を、「仏道」というものは皆教えているのです。