今日では報恩感謝の念が薄くなってはいないでしょうか。
「権利と義務」を親子兄弟ふうふの間にまで振り回す人がある事は、驚くほかはありません。
心すべきことです。
然らば如何にして「人の人たる道」を全うすることが出来るのでしょうか。
道元禅師「修証義・行持報恩」に「其(その)報謝(ほうしゃ)は余外(よげ)の法は中(あた)るべからず、唯当(ただまさ)に日日(にちにち)の行持其報謝の正道(しょうどう)なるべし、謂(いわ)ゆるの道理は日日の生命を等閑(なおざり)にせず、私(わたくし)に費やさざらんと行持するなり」と。
あるべきように今日を過ごすことです。
別の言葉で言えばその日その日その場その場に全力を挙げることです。
経に曰く、「若し人生とて百歳なるも諸仏の機を会せずんば、生まれて一日にして能くこれを決了するに若(し)かず」。
人生の目的は諸仏の機を会することです。
そこで初めて真に「報恩底の人」というべきです。