他の有名な覚者のお言葉に、「世法に実(じつ)なるものは、仏法にも実なり」というお示しがあります。
世の中の法に、真面目に真剣につとめている方は、仏法(道)にも実なのです。
世間の法には一如(いちにょ)というような事がありません。
しかし、仏法ではいつでも一如だといっています。
ところが、どうしても自我の迷執というものによって一つのものを二つに見てしまうのです。
これは「無明(むみょう)」の然らしめるところなので、どうしてもこの「無明(むみょう)」を明確にしなければならないという事です。
物事をつきつめていくと、生死(しょうじ)が問題になってきます。
修行することは生死の問題を根本より解決することにならなくてはいけないと思います。
いいかげんな気持ちでは「生きるか死ぬか」の問題は解決いたしません。