要は「法(道)」というものは知(識)るとか知(識)らないという、人間(にんげん)の意識(考え方)を超えたところであるということを「理(理論)」として十分に承知しておいていただかないといけないのです。
「今、今」です。
「今」に満足しなければならないのです。
絶えず外に向かって自分の考えを働かせる人が非常に多いと思います。
しかし、十分承知をしていながらも、その道理を掴んでその道理に因って自分自身を当てはめようとするものですから、道理から離れることが出来なくなってしまう訳です。
ですから善くても悪くても、「今」で足りるのです。
「今の事実」です。
この外に無いのです。