近頃ますます「道(法)」を求めて修行する内外人の多いことは一面悦ぶべき事に相違ありません。
しかし、その反面悲しむべき事も多くあります。
それはこの「平常心」を自ら認識する事に因って、仏道との隔壁をつくり、その隔壁のある事をむしろ尊び、そして階級的に「仏」に近づき「道(法)」と親しくなっていくことを修行であると錯覚して無駄な努力をしている人がいるからです。
近頃ますます「道(法)」を求めて修行する内外人の多いことは一面悦ぶべき事に相違ありません。
しかし、その反面悲しむべき事も多くあります。
それはこの「平常心」を自ら認識する事に因って、仏道との隔壁をつくり、その隔壁のある事をむしろ尊び、そして階級的に「仏」に近づき「道(法)」と親しくなっていくことを修行であると錯覚して無駄な努力をしている人がいるからです。