「如是の法」というのは誰がつくったものでもありません。
自分という中心になるものが有(在)って、働かせているものが
別に有(在)るという考えに成り易いのが人の働きです。
「自然法爾(じねん ほうに)」というお言葉がありますが、もともと
「そういう働き(六根)だけが集まって今此処に在るということなのです。
そのことを禅語では「天真にして妙なり」といいます。
しかし、これは「体験の世界」ということではありません。
「天真にして妙なり」とは、人の知恵に因ってつくり出したものではない
ということを、よく知(識)って頂きたく思います。
別の言葉で言えば、「人間(にんげん)の認識する以前の森羅万象の様子」
をいっているのです。
即ち「今の事実」です。