只の消滅
2018年06月15日 | 禅
例えば坐禅の力に因って静かになってきたことを「只に成った」というように
「錯覚」を起こすと、そのままで修行が止まってしまいます。
そこをもうひと踏ん張りしていただかないと「只が消滅しない」のです。
修行というものは、修行することによって修行を消滅していくことです。
そうすれば「何をしていてもそれが修行に成る」ということです。
別の言葉で言えば「日常のことが全て道に成る」ということです。
そこまで懸命に努力して頂きたいと思います。
「ああなりたい、こうなりたい、こうしたい、こうでなければならない」
ということを、色々と考えるからそれだけ「苦」が多くなるのです。
そんなことを考えずに「祇管(只管)(しかん)、ひたすら」に坐って頂きたいと思います。