活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

只(ただ)3

2018年06月13日 | 

ところが「無始劫来(むしごうらい)」の自我の迷執に因って、そのことを

どうしても納得(理解)することが出来ないのです。


生まれながらにして「我見の無い人」はいません。

ですから、其のものが其のまま受け取れるようになるには、多少の時間が必要なのです。


そこで修行もしなければならない「道理」が生じるのです。


一番気を付けなければならないのは、「人間(にんげん)」は本来限りあるものを

嫌いますが、「只(ただ)」というと何となく本当のもののようで、途中のものには

思えないものなのです。