修行とは、「自分を忘れることだ」とよくいわれますが、実際に自分の問題になって来ると
それがなかなか出来にくいものです。
先般も「忍」ということがいかに大変なことであるかということを述べました。
この「忍」を「耐える」という言葉に置き換えて説明すれと、「耐える」ということを
「静かに坐ること」の要領に以ってくれば、「今」出て来た雑念、妄念、分別、
我他彼此(がたひし)をそのままにしておくということです。
修行とは、「自分を忘れることだ」とよくいわれますが、実際に自分の問題になって来ると
それがなかなか出来にくいものです。
先般も「忍」ということがいかに大変なことであるかということを述べました。
この「忍」を「耐える」という言葉に置き換えて説明すれと、「耐える」ということを
「静かに坐ること」の要領に以ってくれば、「今」出て来た雑念、妄念、分別、
我他彼此(がたひし)をそのままにしておくということです。