「今の事実」は又、日常生活におけるほとんど全ての精神活動と同じように、
あくまでも「自然界(現象、実存)」を人間の心に投影したものであり、
仏教では人間の認識以前の存在事実(森羅万象)を自然(じねん)といいます。
「自然界(しぜんかい)」は、「理解(説明)」という意識の働きに因って心の中に
組み立てられたモデルであって「実存の自然界(じねんかい)、事実そのもの」では
ありません。
ですから、「今の事実(真理)」は、「今の事実」をもってしか識ることは出来ないのです。
「今の事実(真理)」は悟りに因ってのみ、識り得るものなのです。