活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

2016年11月14日 | 

坐禅を一応手段や方法として、万(ばん)止むを得ず

使うことはあります。

 

それは、「法(道)」 そのものに到達する方便として使う場合です。

 

手段、方法ですから、「途中のもの」 です。

あく迄も途中のものとして、そういうものがあっても

差し支えないということです。

 

何故ならば、何もなければ何も分からないからです。

手段、方法というものは自由に一人歩きが出来るまでの

「杖」 のようなものなのです。

 

本当に坐れた時とは、坐(ざ)がなくなった時です。

ですから、形あるものを消滅させて行かなければいけない

ということです。

 

これを、「法を求める」 と言っています。

 

「禅」 は、私たち衆生の 「今の事実(状態)」 です。

その他に特殊なものはありません。