活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

禅を学ぶ2

2016年11月08日 | 道元禅師

昔、中国には 「公案禅、看話(かんな)禅」 とか、

「黙照禅」 とかいう「禅」がありました。

 

そういう 「禅」 があってはならないはずなのですけれども

あったのです。

 

たとえば、「公案禅、看話禅という禅」 は、「公案」 というのが千七百則あり、

一応それを学べばそれで終わり(卒業)ということなのです。

 

そういう 「禅」 を教えられ、また 「それが禅だと思って学ぶ」 ことがありました。

それでは、「公案が限りなくあったらどうするのか」 ということになります。

 

これはあってはならないことで、大変な間違いです。

ですから、「今、自分自身が何を求めて坐っているのか」 ということを、

よく自分で考えて頂かないと 「労して功なし」 ということになってしまいます。