活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

「禅」の修行4

2016年11月06日 | 

広く伝えられている禅の誤りに、

「禅の修行とは、坐禅によって今の自分の様子を修正していく」

「坐禅をして、自我を忘じて、無我になることである」

「禅を学んで、無や空を思想として勉強し、何か自由なものの見方、

新しい考え方を習得することが禅である」

という例が多くあります。

 

「修正していく」 のが修行ではなく、

「修正しようとしている自分を捨てる」 のが修行なのです。

 

「無我になろう、あるいは仏になろうとしている自分を忘じた様子」 が

真の無我であり、真の仏というべきなのです。

 

「ものの見方や考え方を学ぼうとしている自分」 を捨てたところに

「無」 とか 「空」 とかいうものの見方、考え方を離れたものがある

ということです。

 

そういうことを「実証〈理(理論)においても、事(事実)においても証明する〉」

していくのが、禅の修行なのです。