Hubert Ballayという名前が判明したと12月のペイジに書いている。Monsieur H...
今日受け取ったLes amis de BarbaraN.29を見てビックリした。そのMonsieur Hubert Ballay氏が29号でGilles Schlesser氏のインタヴューを受けている。Les amis de Barbara独占掲載。興味深いことをいろいろ知ることができた。いつか整理して「Music cross talk」の記事にするかもしれない。
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Gilles Schlesser: 「Barbaraについて書かれた多くの書物でMonsieur Hと記されている、Barbaraの最愛の恋人、そしてBarbaraが「いつ帰ってくるの?」とたずねた相手。ところで何故帰らなかったのですか?そもそもどのようにして知り合ったのですか?」
インタビューはこの質問から始まる。
「Quel Joli temps(Septembre)」
par Sophie.Makhno avec la voix de Henri Garcin
「Sans Bagages」par Sophie Makhno
ビックリしたことがもうひとつ。1963年から1966年までBarbaraにスカウトされBarbaraの秘書を務めたSophie Makhno氏が3月1日夜から3月2日明け方にかけて心臓発作の後の手術中に死亡した。
彼女が書いた「私の知っているBarbara」という書物とその展示会。
彼女が書いた曲のリスト。勿論最初がBarbara。そして最後がこのBLOGでも紹介したAline de Lima. Aline de Limaが歌う「Quel Joli Temps」
Sophie Makhnoという名前はウクライナのアナーキストNestor Makhno氏への敬愛から使用し始めた。
Nestor Makhno氏について。Nestor Makhno氏の英語資料。
Nestor Makhno氏自身によるフランス語の資料。思いもしないところに話が繫がるものだ。(私Bruxellesは今偶然ウクライナの政治史を調べているところなんです!)
Tara Gano このピアノ伴奏をしているのがJean Schoubert氏。1953年から1957年まで「Chez Moineau」でピアニストをしていた。しかもL'EcluseでBarbaraの伴奏をしていた、このBlogでもすでに紹介したことのあるDarzeeの、夫でもある。この人もLes amis de Barbara 29号でBernard Merle氏のインタビューに答えて、とても興味のある証言をしている。アフリカのAbidjanへ行ったいきさつ(いままで言われていたことと少し違う)やHubertとBarbaraのこと、そして「Dis ,quand reviendras-tu?」の制作にかかわったと言っている。これも初耳。はじめはTangoだったとか。この人が「ワルツにしたら」と助言したと言う。とにかく昔の話がぎっしりと詰まったインタビュー。このインタビューも整理してそのうち「Music Cross Talk」に書くかもしれない。
{追記} 4月27日
Jean Schoubert氏は軍隊にいた後Chez Moineauのpianistに。1956,57年からFernand Raynaud氏の専属pianistになった。Jean Schoubert氏はConservatoireで正規の音楽教育を受けた人だが、Yves Natという教師にMusichall行きを勧められた。ところでFernand Raynaud氏は60年代大人気芸人だった。Fernand Raynaudについて。
Fernand Raynaud : J'M'AMUSE
Fernand Raynaud : Les gens sont mechants