「Barbaraの失声について」は幾分形而上的過ぎて、日本語にする時、明快に書ききれていない、表現しきれていない部分が一箇所あった。全力を尽くしたのだが、読み手にその概念を充分に把握してもらえるかどうかは、その部分賭けだった。
英訳にして少しは明解に出来たが、それでもその概念の伝達に不安は残った。
この英文を最初に評価してくれたのは「Ann'SoとRoland Romanelliへのインタビュー」記事も書いているRFI musiqueの記者Catherine Pouplainだった。英語を理解できるフランス人ジャーナリストにはその真意が伝わったのだと大変嬉しかった。表現が達しえていない部分を彼女の知性が補足して捕捉してくれたのだと思う。
英文原稿はLes Amis de BARBARAに一年以上前から託していた。適性のある翻訳者が易々とは見つからなかったのだ。
アメリカ人Liza MARKUNSONの偶然的出現で一気に現実化した。仏訳者二人Liza MARKUNSON(米人)とValentin Terrer(仏人)は、この原稿のためにLes Amis de BARBARAが選出してくれた。そして彼ら二人は、それぞれのBarbaraへの想いを込めて、この労力の要る作業に挑んでくれた。
Les Amis de BARBARAの会長、Fabienneから掲載への打診があった時、必ず仏訳者から、何らかの質問なり問い合わせがあると思ったが、それはなかった。
多少内容が違ったものになっても、それはそれで別の解釈として意味を持つのだ、それも面白いに違いない、と覚悟した。
26号が完成して郵送され手元に届くまで、誰にどのように訳出され、どのような扱いになるのか、全く知らされていない。
実際初めて手にして、喜びがジワリと身体にひろがった。巻頭記事となっていたからだ。そして仏訳を読んで、喜びは感嘆と深い感動に変わった。筆者の概念がパーフェクトなかたちで、言葉として解明され、文字の中に完璧に表現されていたからだ。原文より訳文のほうがより深くより明解に完成されていたからだ。
概念を表現するに際しての、フランス語の強みと言うべきだろうか。
この素晴らしい仏訳はLes Amis de BARBARAの業績であり、今回の転載に際しても、会長のFabienneの許可を得た。
仏訳者二名の名前を、最後に一番大きな文字で表記したのは、以上のような理由から、今なを抑えきれない筆者の、彼ら二人に対する感動と感謝の気持ちの、ささやかな表現である。
: 「LA VOIX de BARBARA」 :