夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

地下鉄萌え

2014-03-20 23:44:14 | 旅行
比叡山からの帰りは、京阪電車で坂本駅から浜大津を経由して三条京阪で降り、京都の繁華街を歩いてきた。
その際、三条京阪の駅地下構内を歩いていると、「地下鉄に乗るっ」という3連のポスターが張ってあるのが目に付いた。


右が太秦萌(うずまさもえ)で、京都市営地下鉄や京都市バスを宣伝する萌えキャラらしい。
京都市内の高校2年生で、地下鉄を利用して通学している設定になっているのは芸が細かい。

中央は、その友人の松賀咲(まつがさき)で、萌の幼なじみ。色黒なのは、陸上部だからという設定らしいが、金髪は校則違反ではないのだろうか。(うちの学校なら謹慎モノだ。)
左も萌の友人で、小野ミサ。軽音部所属でギターを弾いているらしい。お下げ髪にメガネで、見るからに不思議ちゃんキャラである。

それにしても、いいなあ、地下鉄がある都会は。
岡山には路面電車(それも運行距離が短い)しかないし、こんなご当地キャラまではできそうにない。
ああ、燃え(萌え)ない県民性よ。

東塔・根本中堂

2014-03-19 23:11:54 | 旅行
もと来た無動寺谷参道を、今度は上り坂に難儀しながら歩き、再び延暦寺ケーブル駅前を過ぎて、東塔エリアへ向かう。
その途中に、延暦寺について簡単に説明した看板があり、
  世の中に山てふ山は多かれど山とは比叡の御山(おやま)をぞいふ
という慈円の歌(『拾玉集』宇治山百首・1089)が紹介されていた。
延暦寺は、延暦七年(788)伝教大師・最澄により開かれた仏教修行の山岳道場。天台宗の総本山で、山門と呼ばれる。
深山の道の左手には切り立った崖、右手には深い谷があり、高い木々の間から向こう側に堂塔が見え、鐘の音が聞こえてくる。
延暦寺会館に着いた頃、参拝客に向けて放送が入った。まもなく午後2時46分になりましたら、皆さま、東日本大震災の犠牲者の方々の御冥福をお祈りして、一分間の黙祷を捧げましょう、ということだった。
地震や津波で被害に遭われたり亡くなられた方々、今なお被災地で、あるいは仮設住宅での生活を余儀なくされている方々を思い、お祈りを捧げた。


手水所の前に、消え残っている雪が。この後、延暦寺の総本堂・根本中堂(こんぽんちゅうどう)に参ったが、その庭にもまだたくさんの雪が残っていた。この日は3月16日で、旧暦では2月16日の春半ばなのに、御山では春が遅いのだなあと思う。
国宝・根本中堂には、御本尊の薬師如来がまつられた宝前に、開創以来1200年守り続けられている「不滅の法灯」が輝いていた。ここでは、両親の長生きと亡き友人の冥福をお祈りした。

御堂を出てすぐの廻廊のところに、
  あきらけく後の仏の御世までも光つたへよ法のともし火
という最澄の歌が掲げられていた。
この歌は、『新拾遺和歌集』(釈教・1450)の歌で、詞書に「比叡山の中堂にはじめて常灯ともしてかかげ給ひける時」とある。最澄が一乗止観院(いちじょうしかんいん。現在の根本中堂)を建てた時に詠んだ歌である。


重要文化財の大講堂。学問修行の道場であり、ここで経典の講義などが行われるのだそうだ。
この大講堂の前に鐘楼があり、「平和の鐘」を誰でも撞くことができる。ケーブル駅を出た時から聞こえていたのは、この鐘の音だったのだ。


右は法華総持院(ほっけそうじいん)で、慈覚大師・円仁(えんにん)によって創建された天台密教の根本道場。左は阿弥陀堂で、先祖や故人の供養をする御堂。

この時詠んだ歌。
  深き谷切り立つ崖に囲まれし比叡の寺よりひびく鐘の音
  3.11震災起こりし時刻にぞ御山をあげて黙祷捧ぐる
  如月の半ばなれども風さえて雪なほ残る比叡の山陰
  み仏の御前にともせし法(のり)の灯(ひ)を今につたふる根本中堂
  常灯は不滅の光といふなれば父母の長寿ぞまづ祈らるる

無動寺谷

2014-03-18 23:40:30 | 旅行
日吉大社にお参りした後は、そのすぐ近くにあった「真猿(まさる)蕎麦」で昼食。
鴨なんそばを食べたが、とても美味しい。この辺りには蕎麦屋が目に付くなあと思っていたら、昔は比叡山で断食の行を終えた修行僧たちが、弱った胃をならすために蕎麦を食した、と言われているそうだ。


ケーブル坂本駅から、昭和2年開業という日本一長いケーブルカーに乗って、比叡山(848m)を登り延暦寺へ。(ケーブルカーは始点・終点とも毎時00分、30分に出発)
坂本ケーブルは、窓の大きなヨーロッパ調のデザインで、なかなか洒落ている。写真の縁号と、それとは緑赤の配色が逆の福号が、坂本側と延暦寺側で同時に出発し、中間の「ターンアウト」と呼ばれる、線路が二つに分かれる区間で行き違う。
ケーブルカーは、約2㎞の急勾配の道のりをゆっくりと、11分かけて登っていく。車窓からは、比叡の山や谷、また遠くに琵琶湖の雄大な眺めが見える。

終点のケーブル延暦寺駅に着くと既に1時過ぎであり、寺内の拝観は午後4時半までなので、この日は延暦寺の三つのエリア(東塔・西塔・横川)のうち、ケーブル駅に近い東塔(とうどう)エリアを中心に回ることにする。もともと、延暦寺を半日で回るのは無理があったと、今さらのように後悔されるが、気を取り直して、まずは無動寺谷へ。


無動寺は、比叡山の南方の峰にある回峰修行の根本道場である。円仁の弟子・相応和尚により創始され、その後、本堂(明王堂)には不動明王像が安置された。
後鳥羽院の護持僧であり、天台座主(ざす)であった慈円も、若き日にこの無動寺で千日の回峰修行を行っている。
ケーブル延暦寺駅を出て、左手に目もくらみそうな深い谷を見つつ、急な坂道を下りていくと、昔の修行僧たちが煩悩を克服し、悟りの智恵を求めるためにこそ、このような険阻な所で難行苦行に耐えたことがわかってくる。


親鸞聖人は、比叡山にいた頃には、この大乗院で修行していたそうだ。
膝の痛みに耐えつつ、人気のない山道を歩きながら思ったこと。
自分の名誉や栄達・利益・快楽ばかり追い求める、その世俗的欲望が、人を苦海に沈めているのではないか。
子どもの頃には、それでも多少は許されるかもしれないが、大人になり他人を一人でも多く救い、願いを叶えさせてやるべき立場になっても、相変わらず自己一身のことしか考えていないのは、結局自分を苦しめることになる。
他人を幸福にし、願いを達せさせられるようにするごとに、自分が少しずつ救われ、楽になる、…ということではないのだろうか。



写真は、明王堂。この辺りを歩いていたとき、不思議なくらい歌が心の中に浮かんできたので、見られる程度のものを書き付けておく。

いにしへの回峰修行を思ひつつ無動寺の谷ひたすら歩む
深き谷険(さが)しき峰をめぐりてぞまことの智恵に逢はむと思ひし
悟り得ぬ煩悩の根をたづぬればわが心から見る魔なりけり
みな人の苦しといふは苦をいとふ己(おの)が心のまねくなりけり
今ぞ知る苦を一身に引き受けてつとむるときに苦は消え失すと
愚かなり苦し苦しといひながら苦しみをなど放さざるらむ
悟り難き衆生を導くてだてとて忿怒(ふんぬ)の相をとる不動尊

日吉大社

2014-03-17 23:31:48 | 旅行

後鳥羽院の足跡をたどる一日旅で、今回は滋賀へ。
京都駅から湖西線で坂本へ行き、日吉大社へ参る。
日吉社は比叡山の鎮守神であり、後鳥羽院が参詣しまた和歌を奉納もしている。伊勢・石清水・賀茂・春日・住吉・熊野などの諸社とともに、後鳥羽院の和歌と信仰と政治との関わりを考える上で重要な神社である。学生時代に一度訪れたことがあるだけなので、ぜひまた詣でたいと思っていた。


日吉社は日本で最も古い神社の一つであり、東本宮・西本宮共に本殿は国宝に指定され、その他の社殿、神輿、石橋などはいずれも重要文化財となっているそうだ。
上の写真は、国宝の西本宮(にしほんぐう)本殿。この時はちょうど、神職の方が祝詞(のりと)を読んでおられた。
左右の竹台は、伝教大師最澄が中国から持ち帰った竹で、「丸く真っ直ぐ節目正しく生きよ」の意と伝えられているという。


東本宮にもお参りしてから、八王子山(381m)参道を登り、頂上に近い牛尾宮・三宮宮を目指す。
つづら折りの急な坂道が延々と続き、たっぷり30分ほどかけて登り切った。
道の左右には、高さ2、30mはあろうかという老杉が立ち並び、昼でも鬱蒼として暗い。
時折、風が吹き渡り、木々の枝がざわざわと音を立てる以外は、静寂そのものの空間に包まれる。


いよいよ頂上が近くなると、約100段の急な石段が社殿まで続く。
先ほどからじんじんいい始めた膝に、この傾斜はこたえる。


ついに牛尾宮(右)・三宮宮(左)の姿が見えてきた。どちらも桃山時代に建てられ、重要文化財に指定されている。
この美しい懸造(かけづくり=傾斜地に張り出して造られた建物)の社殿を間近に見たかったから、膝の痛みにも耐えてずっと登ってきたのだ。
山王祭のときには、両宮の神輿が三月初めに担ぎ上げられ、また四月の本祭の時には、麓まで神輿を担いで急坂を駆け下りるのだそうだ。


八王子山(牛尾山とも)の山頂近くには金大巌(こがねのおおいわ)と呼ばれる巨石があり、その上からは琵琶湖と湖南の平地を見渡すことができる。ただし、この日は曇り空の上に霞んでもおり、遠くまで眺めることはできなかった。

この日できた歌。
山王祭には神輿も通る急坂に昼(ひ)も暗きまで杉立ち並ぶ
奥宮へ参る山道険(さが)しくも神にひかれてなほ歩まるる
神のます山を春風吹くからに杉の木立もややそぞめきぬ
牛尾山巌の上より見渡せど霞に閉づる鳰(にほ)のみづうみ

まだまだ修業が足りない。

(参考図書『週刊神社紀行 日吉大社』学習研究社)

明石海峡

2014-03-14 23:44:46 | 旅行

淡路島から明石海峡大橋を渡る前に、淡路SAで一休み。
ここの展望台からは、明石海峡大橋の姿が一望できる。
これは世界最長の吊り橋(全長3,911m)で、パールブリッジとも呼ばれるそうだ。
この日はとてもよい天気で、真っ青な空と海、行き交う船、対岸の明石・須磨から神戸の街までを見渡しつつ、こんなにきれいな景色を眺めることができた幸運に感謝した。


この後、一緒に旅行に行った先生方と、この花時計の近くで記念写真を撮った。
皆さん、買い物に夢中で展望台にはなかなか出て来ず、F先生から、
「せっかくだから、みんなで写真を撮りましょう。」
と言われて初めて建物内から外に出、この景色を目にして、「おお~!!」と感激しておられた。


淡路SAには、「恋人の聖地」といって、この展望台から遊歩道に続き、「ハートライトゲート」に至るエリアがある。
ここのシンボル的なモニュメントであるゲートは、奥まった静かな場所にあり、眺めもなかなかよい。
ゲートの天井にはハート型に穴が穿(うが)たれており、天気のよい昼には、ハートの光がキラキラとシャワーのように降り注ぐ。
若い恋人同士が、写真を撮り合ったり、あるいはプロポーズのシーンを素敵に演出したいときによいのではないだろうか?
ただ、「恋人の聖地」というベタなネーミングだけは、なんとかならなかったのか、と思ってしまうが…。