ちいさなつづら

肩幅で暮らす。

伊予生糸の伝承へ!!

絶滅の危機にある文化、養蚕・製糸。その中でも、最高級品質の絹糸、「伊予生糸」は、日本の地理的表示保護制度の認証を受けています。養蚕農家、製糸技術者が減ってゆく中で、どのように後世に残して行くか、皆さんのご協力を得ながら、課題解決に向けて頑張ります。応援よろしくお願い致します!

秋と言えば

2014-11-11 11:44:12 | 大地の恵み

 干し柿。


 
 柿も、豊作と不作を繰り返す果樹ですが、うちでは結構安定して、毎年柿が採れます。



 まあ、これはほとんど自家消費用なので、少なくても困らないし、多いときは日曜市で販売したり、調整がききます。


 明浜は、基本的に暖かいので、干し柿づくりは結構難しいです。


 
 あまり早く干すと、気温が高くてカビが生えるし、遅くなると柿が熟しすぎて干せなくなったり。タイミングが、難しいです。



 熟しすぎた柿は、柿酢作りにもってこいです。おいしい天然醸造酢が、作れます。



 写真は、今年第2弾の仕込み。山にはまだまだ、柿があるので、随時作業してゆきます。

くるま

2014-11-11 06:31:20 | かんがえるあし

 寅さんの話では、ありません。


 父の話。



 父は、長年、自動車の整備士をしていました。


 自動車が好きだから、やっていたのでは、ありません。


 戦後日本の高度経済成長以降、わりとなりやすい職業の一つだったこともあるのでしょう。


 あとは、父が結構手先が器用だったこともあって、向いていた仕事だったのかもしれません。



 車よりも、自然の方が好きだった父は、「オレの仕事が自然を破壊している」と、ときどきこぼしていました。


 家族を養うためには、やりたくない仕事でも、しなければならない時って、あるのだと思います。そんな思いに挟まれながらも、私たち家族のために働いてくれた父には、どれだけ感謝してもしきれないところです。


 「やりたいことを仕事にできる人は、世の中にはそういない」とも、よく言ってました。私が進路で悩んでいるときとか。


 
 自動車の整備士をしていたこともあって、自家用に乗るのは、たいてい、廃車寸前のポンコツ。修理すればとりあえず走る、という実用本位の車。定年まで、続きました。次々にいろいろな車に乗り換えるので、ある意味、様々な車種に乗れたのは、家族には良かったと思います。



 定年退職を機に、退職金で、初めて、父は新車を購入しました。人生初の、新車。まあ、ご褒美みたいなもんですね。


 その車も、最近、70歳で、手放しました。


 東京都では、都営交通に限り、高齢者は無料で利用できるのだそう。



 東京のように、駐車場代が家賃並みなところでは、車の維持費が馬鹿になりませんし、高齢者の運転は、リスクが高いので、賢明な判断だと思います。



 話がそれますが、本州よりも10年先を行く、超高齢化の四国では、80歳以上のドライバーが、ものすごく危険な運転をしているのに、再三出くわします。いずれ日本全国で、そうなりますよ。


 
 父は今、『自然流』(じねんりゅう)尺八の奏者として、活動しています。自然が大好きなのです。


 私が、大学を出て教員を目指していたのに、挫折した時、父はものすごくがっかりしていました。それでも、サラリーマンをやめて農業の世界に転身した時、私のことをうらやましく思っていたのは、まぎれもなく、父です。


 父は好きでもない仕事をつづけながらも、家族を養う、という、素晴らしい業績を残しました。この点では、私はまだ達成できていないところで、足元にも及ばず、父を母とともに尊敬しているところです。



 私は、今、自分の好きなことを生業にして暮らしています。父と母のおかげです。



 さて、今年の夏、NPO法人「いよココロザシ大学」の講師になった時、真っ先に父に報告をしました。父の父、つまり私の祖父は教員だったこともあって、何よりも喜んでくれたに違いありません。


 そして、この冬、東京の小学校で、食育の授業を行うことが予定されています。回り道をしたけれど、そして、教員ではないけれど、次世代に、大切なことを伝える、という仕事にかかわることができています。



 くるまの話から、だいぶそれましたね。ともあれ、父と母には、出来る限り長く、健康でいてほしいと思っています。