雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

それぞれの賢さ

2006年04月22日 | Wonder of Autism
アスペルガー症候群当事者で翻訳家・著作家としても有名な
ニキ・リンコさんが訳された「私の障害、私の個性。」(花風社)という本の
前書きに、リンコさんがこんな一節を書かれています。

「自閉者だけではありません。知的障害者にも、精神障害者にも、
 幼い子どもたちにも、『健常者』と呼ばれる人たちにも、
 その人らしい賢さの『かたち』があり、それが一人ずつ
 ちがっているのだと思います。」(花風社HPより)

これを読んだとき、私は本文そのものより強い感銘を受けたのです。
(原著者さん、訳者としてのリンコさん、ごめんなさい)

それぞれの賢さ。それぞれの無限の可能性。
「息子には知的障碍がある」というたびに
「どうして親の癖に子どもの可能性を信じないのか」
「どうして障碍を克服させる努力をさせないのか」と
言われては傷つき揺れた、私の迷いを吹き飛ばしてくれる
言葉でした。

息子には知的障碍がありますが、彼は馬鹿でも愚かでもありません。
障碍があるらしく見えないようになることは、
私と彼の目標ではありません。
訓練を受けることは息子の息子らしい賢さを伸ばし、息子が
生き生きと暮らしていけるように援助することで
知能検査や評価を受けることは、息子の認知にはどんな特徴があるのか、
それぞれの分野でいまどのあたりから手をつけるのが
息子にとって最良なのか、「息子らしい賢さのスタイル」を
考えるための手段にすぎません。

IQというのは、「その人がその時に、標準化された知能検査に
応える能力の高さ」を数値化したものです。
IQでは計れない「我が子の賢さ」と「その子にとっての幸せの形」を
見つけていくことは、障碍のある子をもった親にとって
とても大切な仕事であるとともに、ひょっとしたら
障碍のある子を授からなければ知ることのなかった喜びなのかも
しれないと思っています。

IQも高く、進学校・一流校というところを出ていても
結婚していてもお勤めをこなしていても、
自閉ゆえの不全感や生きづらさに苦しんでいる人が多くいることや
なまじ勉強ができ、「目だった障碍らしさ」がなかったために
成人になるまでなんの援助も得られなくて、人知れず苦しんできた人が
沢山いることを、私たちは知っています。
自らの傷口を開くような思いで成人自閉者の人たちが語ってくれる
経験から、貴重な教えを受ける幸運に、私たち世代は恵まれました。

そこから何を学び、子どもに何を与えていくかは
親である私たちの「賢さ」にもかかっているような気がします。