雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

世間は狭い。

2006年04月11日 | Wonder of Autism
唯一通園施設時代からお付き合いが続いているママさんから
久しぶりにメールが届きました。

なんとちびくまの担任だったK先生がその方の
お嬢さんの担任になったとのこと。

まあ、その地区の養護へ変わられたので、誰か知人の
お子さんの担任になるかもしれないなあ、とは思っていたのですが
その中で1人だけ親しくしている人とつながるとは。

でも偶然はそれだけではなくて、K先生が赴任先で
同じクラスを担当することになった先生が
ちびくまのことを知っている、と、これはK先生から
教えてもらいました。

最初お名前を聞いてもぴんとこなかったんですが、
よーく考えてみると、今もお世話になっている教育大に
6年前初めてお世話になりはじめたころ、その研究室に
おられた院生の方でした。
ちびくまがまだ日本語が話せなくて、訓練室にもすんなりとは
はいれなくて、課題もほとんどこなせなかった時代を知る
いまや貴重な人かも。

でも、なんか、私、こういう偶然にであいやすいような
気がするんですよね~。

たとえば。

○就職して最初に配属された部署の直接の上司は
10年以上前に転居していった幼馴染のお父さんだった。
(私は小学生のとき「○○くんのおじちゃん」と読んでいた。)

○次に配属された部署の部長は、高校の同級生のお父さんだった。

○息子がお腹にできて、産婦人科に行ったら、20年以上
 あっていなかった従姉に会った。

○産婦人科のマタニティビクスで仲良くなった人の
 だんなさんを紹介してもらったら大学時代のクラスメートだった。

○息子を産んだとき同室で仲良くなったママは、同じマンションで
 仲良くなったママと職場の同期だった。

○アメリカに住んで仲良くしていたお宅のご主人の
 取引先の人が私と同じ大学出身だというので、よくきいてみたら 
 これも大学時代のクラスメートだった。

○ダンナがアメリカでの確定申告を会計士さんに依頼したら、
 いきなり私の出身大学を言い当てられてびっくりしたが、実は
 その人の部下が私の大学時代のゼミの同級生だった。

ああ、世間は狭い。悪いことはできないわ~。

入学式

2006年04月10日 | 楽しい学校生活
今日はあいにくの雨の中、入学式でした。
息子の学校では2~5年生はお休みで、息子たち6年生だけが
在校生代表と言うことで出席します。

ついこの間入学したばかりのような気がするのに・・・。

息子は春休みからずっと
「にゅうがくしきのとき、1ねんせいのおててつないであげるの」と
楽しみにしていました。

入学式では、新入生は6年生にエスコートされて入場します。
ちびくま自身も、5年前は6年生のお兄ちゃんに手をひかれていました。
「初対面の上級生と手をつなげるかどうか」と心配する母をよそに
ちゃんと手をつないでもらって、列を乱さずに歩いている息子の姿に
それだけでうるうる涙した母親でした。

そのちびくまが、今日はエスコートする側に回ります。
できないことは沢山沢山ある子だけれど、ちゃんと
自分の入学式のことは覚えているし、
「自分は最上級生だから、小さい子の面倒を見てあげなければ」という
気持ちもあるのです。

そんな息子の晴れ姿(?)を見に行きたい気持ちだけど、
今日の主役は新入生とその親御さんなんだから、我慢我慢・・・。

帰ってきた息子ははればれとした笑顔で
「にゅうがくしき、がんばってきました!」

今日は担任の先生たちは新入生の子にかかりっきりになるので
(学校生活は初めが肝心!)
ちびくまは大好きで仲良しの介助のK先生(本当は別のクラスの担当)
に付き添ってもらい、無事に役目を果たしたようです。

連絡帳には
「1年生と手をつなぐと、とてもいい笑顔になりました。」とのこと。
だって一番やりたかったことなのですもの。
手をつないだお子さんの親御さんは、自分の子が障級の子に
手をひかれていたと知ったらびっくりするかもしれませんけどね(笑)。
本人のやる気を生かしてくれる学校で良かった。

明日から、ちびくまのクラスには1年生が2人加わります。
その子たちが順調に学校になじめるように、そして
ちびくまや仲間たちと同じように、学校で楽しく過ごして
すくすくと伸びていってほしいと思っています。

あっ、そうそう。
全国の新入生の皆様、

ご入学おめでとうございます。



新学期

2006年04月07日 | 楽しい学校生活
いよいよ今日は始業式。新学年の始まりです。

今年、息子は障担が変わり、バスの添乗員さんが変わります。
それからこれは毎年のことですが、交流級のメンバー、交流級担任、障級の
メンバー、介助の先生の顔ぶれも変わります。

息子にとっては3年生の春以来の大きな変化です。

それでも息子は
「ちびくまくんは、いちばんおにいちゃんだからがんばる。
 にゅうがくしきでも、1ねんせいのおててつないであげる」
と大張りきりで登校しました。

担任の先生がどんな方かわからないので、今日はとりあえず今年版の
プロフィールノートだけ持っていってもらいました。

万が一、自閉についての知識の全くないような先生だったら、
どんな資料を持っていって読んでもらおうか。
今まで面識のない先生だったら、早めに一度面談を申し入れたほうがいいかも。
そんな思案をしながら、息子が帰ってくるのを待つ4時間の長かったこと。


送迎バスを降りた息子に対する最初の質問は、もちろん
「ちびくまくん、何先生のクラスになったの?」

ちびくまはのんびりと答えます。「Mせんせい~」

やった!
M先生はこれまでここにも何度か書いた
「Mクッキングスクール」(調理実習)担当の先生。
ちびくまとは去年まで隣のクラスで、合同授業もよくあったので
ちびくまのことはひととおりご存知です。
言葉があり、こだわりの強いタイプの自閉症に強いとの評判で
これまで受け持ってもらった自閉っ子のお母さんたちからは
絶賛されている先生です。

とりあえずは一安心。

でも息子は、大好きなTくんと今年は同じクラスになれなかったので
ちょっと寂しそうでしたが・・・。

ともあれ、小学校生活最後の1年、楽しく充実したものになりますように。

共に暮らすということ。

2006年04月06日 | 楽しい学校生活
さてさて、離任式から丸1日たってもまだへろへろ状態の私なんですが。

昨日の離任式(本来は先生方と児童だけの式にもぐり込み)のこと。

何年もM小におられた先生が転勤される式だけに
先生方から児童へお別れの挨拶があったり、児童から
先生へのお礼の言葉と花束贈呈があったり、と
それなりにしんみりとした式なのですが、

そんな中でも息子のお仲間たちは「キャー」とか「キー」とか
叫んでみたり、跳んでみたり、泣いてみたりするわけで。

でも、この学校のすごいところは、そんな声が上がっても
だ~れもそっちを見ないことなんですよね。
1年生から6年生まで。
ずっとこの子達と一緒に暮らしてきて、車椅子もバギーも
奇声もパニックも珍しくないから、誰も「なになに?」と見ないんです。
どのクラスにも障碍のある子がいる学校のこの子たちには
「障碍があること」も「普通」のバリエーションの1つなのかもしれません。

うちのマンションの子どもなんて、息子がエレベーターの中で
幸せそうにひとりごとを言っただけで凍ってますけどね(笑)。

私は、どんな障碍がある子でも一律普通学校に、一律普通学級に、という
考え方には賛同できません。
息子の進路として真剣に養護学校を見学し、実際に障碍児学級に
通わせてみて、やはり障碍児学級だからこそできる教育、
養護学校だからできる教育、というのは確かにある、と感じているからです。

でも、それはそれとして、やはりどこの学校・どこの学級に
行っている子どもでも、そのありのままの姿が「普通」になるくらい
日常的に接することができたらいいなあ、と思ったのでした。

夢物語でしょうか。
でも、それを夢でなくするのはこれからの私たちのような気もします。

離任式

2006年04月04日 | 時には泣きたいこともある。
今日は、M小から転任・退職される先生方の離任式でした。

実は息子の嘔吐症のウイルスをしっかりもらった私、昨日の夕方から
吐きっぱなしで水分すらとれず、よれよれだったのですが
それでもどうしても今日だけは、と足を引きずるようにして学校へ向かいました。

それは、息子が3年間お世話になった障担K先生が転任されるから。

今だから言えるけれど、担任がM先生からK先生に代わった時、
私は「なんでこんな人が自閉症児の担任になったんだ?」と思いました。
障担経験者という話なのに、声のかけ方が違う。授業の勘所が違う。
子どもの見方が違う。
自閉っ子との付き合いの経験がないことは明らかでした。
私が意見するまでもなく、クラスの子どもたちはみるみるうちに
崩れていきました。送迎バス内での頻発するパニック。帰宅後の
パニック。息子は家に帰ってくるなり吐いたり、これまで数年間も
なかったような大パニックを起こしたり、ついには疲れから
発熱してしまいました。
そして、初めての参観日、先生の準備不足からパニックになった息子を見て
私は初めて、先生にはっきり先生の指導への不満を伝えました。
でも、先生も疲れきっていたのです。「私もできるだけのことは
やっているんです。これ以上、どうしろとおっしゃるんですか」

この学校に入れて、こんな目に会うなんて。入学してから2年間、
かゆいところに手が届くようなM先生の指導を受けていた私には
とても納得がいきませんでした。
ゴールデンウイークの間、私はネット仲間たちに相談しました。
その時、いつも私たちのアドバイザーであるMさんがこう言ってくれたのです。
「初めて自閉症に出会った若いパパだと思って、1から教えてあげて。
 観念論ではなくて、具体的に、どうすれば指導がうまくいくのか、
 目からうろこを落とす体験をさせてあげて」

ゴールデンウイーク明けの先生は、やっと一息つくことができたせいか
少し元気になっていました。
連休明けの家庭訪問で、私たちは3時間近く話をしました。
私が最後に先生に言ったのは
「先生は教育のプロですが、私は息子を8年育ててきました。いわば
息子のプロです。
 先生に一人の子についてそこまでになってください、というのは
 無理だと思います。先生にはクラスの生徒全員を教えるという仕事が
 ありますから。ですから、親の知識を利用してください。
 私は先生に指導法を指図するつもりはありません。でも、1から
 先生流をやろうと思っても、子どもたちはついていけません。
 まず、これまでうまくいっていた指導を引き継いで、それが軌道に乗ってから
 先生独自の良さを少しずつ入れていっていただけませんか」
先生を駐車場まで送る道すがら、先生が
「私はこれまでも知的障碍の子は見てきたけど、自閉の子はまた
 それとは随分違う視点から見なきゃいけないんだな、と思いました。
 今はお互いのベクトルがずれちゃっているけど、
 私もお母さんも、子どものために一生懸命やりたいと思っている。
 そのことが一致している限り、きっとうまくやっていけると
 思うんです」
と言ってくれたことで、一筋の明かりを見たような気がしました。

それから私はちょこちょこと学校へ足を運んで
息子の個人指導の際にアドバイスをしたり
連絡帳などに気が付いたことをちょこちょこ書き込んだり
していきました。
自分が「これは」と思う本もお貸ししました。
個別指導を受けている教育大へ半ば無理やり引っ張って行って
教授にお説教をしていただいたりもしました。

6月の自然学校を終えた頃から、先生はどんどん自信をつけて
こられたように思いました。
その頃から、「今度はこんな指導を」という先生のほうからの
提案が多くなってきました。そしてひとつの指導がうまくいくと、
またそれが他の指導に良い影響を及ぼす、という感じで、
先生と子どもの間がうまくまわり始めました。
その1年が終わる頃には、「先生の判断にお任せします」と言える
先生になっておられました。

私はうるさい、手の焼ける親なのです。他の親御さんなら遠慮して言わない
ようなことも必要だと思ったらずばすば言ってのけます。
変にプライドの高い先生なら、「素人のくせに指導にうるさく口を出す」と
疎ましがったり、嫌ったり、却って意地になったかもしれません。
でもK先生は私がやってくださいとお願いしたことはとりあえず1度は
試してみてくれる素直さと謙虚さを持っていました。
そのことが、先生自身の大きな力になったように思います。
ご自分でも「この1年は1つ大きな壁を越えたような感じ」と
おっしゃっていましたが、私は先生の底力を見たような気がしました。

それから翌年、また翌年、と息子は3年連続K先生に担任していただきました。
その間、私が勧める本を、市の先生方の勉強会で紹介してくださったり、
センター校移転の騒ぎのときも、先鋒に立って私たちの見方を
してくれたりしました。

3年間、毎日毎日連絡帳やメールでやりとりし、息子の可能性や
将来について語り合った相手。夫よりずっとこまごまと、発達障碍や
特別支援教育のことまで語りあってきた気がします。
私にとって、K先生は、息子を支える大切なパートナーでした。

その先生とのお別れの式だから、どうしても出たかったのです。
でも、個人的にお話する時間があるかどうかわからないから、
息子と一緒に手紙を書いて、息子にもって行ってもらいました。

さて、何とか学校に着いて、体育館へ行こうとすると、
ちょうどそこに保健の先生が通りかかりました。すると、私の顔を見て
「わ、おかあさん、ごめん。今日、K先生、来られへんかってん」

・・・な、なんどすて~・・・
なんと、K先生、転任先の会議と重なって、今日の離任式には
出席できなかったのです。


でも、まあ、気をとりなおして、体育館の一番後ろで、他の先生の
転任のご挨拶を聞きます。

K先生の他には、去年障担になられたばかりのN先生が転出、
それに介助の先生が4人退職されることになりました。

もううちの学校には8年もいるK先生が今年異動になることは
みんな覚悟していたけれど、N先生にも抜けられてしまうとは、
予想外でショックなことでした。

でもN先生はこれからは全市の障害児教育の質を上げる為の
指導主事になられるので、他の学校の子どもたちのためには
喜ばないといけないんでしょうね。

全校での離任式が終わったあとは、障級関係者だけがもう一度
集まって、毎年恒例の障級だけのお別れ会をします。
ここには他のお母さんたちも沢山集まってきました。
先生たち1人1人の挨拶に、涙ぐんだりするお母さんたちも出る中
(なんと言っても、普通学級に比べて、先生と保護者の仲が
 ずっとずっと緊密ですから)
最後にみんなで記念写真を撮って、解散です。

K先生には会えなかったけど、ちゃんとメッセージは用意されていて
他の先生が代読してくださったし、私たちの手紙も先生たちの手で
渡してもらえることでしょう。

「K先生が来てたら、号泣したかもしれないから、会えなくて
 良かったのかも。私にとっても息子にとっても大事な人だから~」と言ったら
介助の先生がにやっと笑って、
「当初はいろいろありましたけどね」
・・・先生の立場もあるだろうから、介助の先生に担任の愚痴は言わなかったはず 
  だけど、知ってたのね。ひょっとしたら担任が愚痴ってたかも(笑)

でも、あの時期があったから、余計大切に思えるのかもしれない。

ちなみに、K先生は、ちびくまと同じ通園施設に通った子どもたちがいる
養護学校へ行かれることになりました。
障担として3年付き合った先生が、養護学校への転任希望を出してくれた、と
いうのは、保護者として嬉しいと言ってもいいかも。


さて、全てを終えて帰宅した私、完全グロッキーで息子の昼食に
ピザを焼くのがやっとのこと、そのまま布団に倒れこんでしまったのでした。


そわそわそわ。

2006年04月02日 | Wonder of Autism
うちの県でも4月1日に先生の異動が発令されましたが
地元の新聞には管理職の異動しか載らないので
担任を持っている先生たちがどう動くのか、全くわからないんです。

例年は発令日に連絡網が回ってきて、障級関係の先生の
異動だけは教えてもらえるんですが(離任式の日に
希望の保護者が学校に行けるように)今年は土日だったせいか、
それもまだ~。ああ、落ち着かない。


もっとも、先生の異動がわかっても、子どもの担任が誰になるかは
新1年生を除いて始業式まで教えてもらえないんですけどね。

息子は1・2年をM先生、3・4・5年をK先生に担任してもらって
来ました。小学校最後の1年、どの先生のクラスになるのかは
もう大問題。このままK先生が卒業まで持ってくれたら、それが
一番安心なんだけど~。

そんなそわそわした気分のところへ、息子は今朝から体調不良。
この期に及んで、どうやら吐き下しの風邪にやられた模様。
明日は一緒に神戸へ行くつもりだったんですが、どうやら
行き先は小児科に変更になりそう。

今回はウイルス性のものではないかと思うのですが
息子は環境の変化などで強いストレスがかかると、熱が出たり
食べ物を受け付けなくなったり、と自分の体を痛めつけるほうに
反応が出るタイプです。
朝から、何度も吐いてぐったりしている息子を介抱しながら、
余計に新学期のことが気になったのでした。