Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

川口町

2010年09月01日 | Weblog

先日のツーリングで帰路R117をMOMOさんと走った際、新潟県の川口町を通過した。国道17号と交差する少し手前で、信越線(?)の古びた鉄橋を見てアッと思った。この景色に見覚えがあるのだ。あの時確かR17のこの辺りを何度か自分のバイクで通った記憶がある。

2006年5月新潟県中越地震がこの辺り一帯を襲い山古志村や川口町に甚大な被害をもたらした。その10年ほど前に阪神淡路大震災があり、そのころから一般人のボランティア活動が大いに盛んになった。阪神淡路では関西人の友人も参加していたというのを聞いていたし、父親の田舎が新潟県であったことから、意を決して土日の二日間だけ川口町の災害ボランティア活動に参加したのだった。

地震発生後1週間ほどして高速道路の応急修理が済み、川口町ICまで走れることが分かったので早速出掛けたのだが、被災地に近づくにつれ、道路は大きく波打ち、崖は崩れ、家々は傾いたり倒壊したりで、巨大地震の激しさを初めて目の当たりにし、自然災害の怖さを実感した。

ボランティア活動そのものも初めての経験だったから、最初は何をしてよいか分からず唯災害救助センターの中をウロウロするだけだった。そのうちセンターで求めている仕事の案内しているコーナーあることを知り、自分に出来そうなことがあれば手を挙げて参加する、という仕組みが分かった。30分ほどして「何方か調理師の免許お持ちの方はいませんか?」という案内。誰も手をあげる様子がない。何をするのかも分からないまま「ハイ!」と手を挙げた。めくら蛇もいいところ、今思っても冷や汗ものである^^!

連れて行かれた先は山間の避難所。小学校の体育館で70人ほどがいた。そこで2日分の惣菜の献立と調理を任されたのである。ご飯と味噌汁だけは自衛隊が用意するので惣菜だけ2~3品創ればよいのだけれど、何しろ免許はあっても家庭料理しかやったことがない「俄か調理師」だから、70人分と聞いて面食らった。・・が、やるしかない。
前任者から手元の食材の説明を受けながら、またまた困った。インスタント・ラーメンや缶詰のようなものばかり溢れるほどあっても、肝心の野菜や調味料などは種類が限られて量も少なく。肉など生ものは一切ない。兎に角ありあわせの材料で夕食2回分と朝、昼各一回分の献立を作りどうにか凌いだ。

しかし調理の手伝いをしてくれる若いボランティアの女性たちが沢山いて、よく働いてくれたのにはとても感心した。中には泊り込みで1週間も働いている方もいて2日間しかやれない自分は肩身がせまく感じたものである。日本もまんざら捨てたものではないのだ。

ツーリングの途中でフッとむかしのことを思い出したのでした。