Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

広島・長崎

2010年08月07日 | Weblog

                 

毎年8月のこの時期になるとマスコミは原爆記念日の特集で賑々しくなる。実際に被害に遭われた方や家族を失った方は、そういう世の喧騒とは別のところで核の恐ろしさと失った人への悲しみを新たにしていることだろう。

広島は8月6日、35万市民の実に4割にあたる14万人を、三日後の9日長崎では全市民の3割7万4千人を、夫々たった一発の原子爆弾で失った。町は完全に破壊されて更地のような荒漂とした景色に一変してしまった。
1943年、米国はマンハッタン計画によって開発を進めていた原子爆弾の使用対象を日本に定めた。そして既に日本の敗色濃かった1945年5月、投下目標を4都市(京都、広島、横浜、小倉)に絞った。

良識ある米国の人々(理論物理学者ニールス・ボーア、原子力の平和利用だけを提言するジェフリーズ委員会、シカゴ大学ジェイムス・フランク、軍人のアイゼンハワーなど)は原子爆弾の使用そのもの、あるいは都市への使用に反対していたけれど、それらの声は時の大統領、ルーズベルトやトルーマンを翻意させるに至らなかった。

投下目標都市についてその後絞り込みが進められ、横浜と小倉が外された。更に京都に投下した場合歴史ある日本の文化財を数多く失うことになり、戦後日本国民の大きな反感をかうとの懸念から京都を除外し、代わりに小倉を戻して広島、新潟、小倉の3都市になった。爆弾の効果を確かめるのに京都の地形は最適であるという根強い意見があったけれど、最終的に京都は外されて長崎が新たに加えられた。
運命の広島は彼等の計画通りリトルボーイが投下された。6日小倉は視界不良のため次の候補地長崎に二つ目の爆弾ファットマンが落とされた。

アメリカは人類史上初めて核爆弾を日本に投下した。その、あまりにも強烈で残酷な兵器を実際に使用した当の米国は内心たじろぎ、政府の公式説明では「日本との本土決戦を避け、早期に戦争を終結させるため」としている。その一方で、戦後の世界制覇を狙い、強大な軍事力を誇示するためと放射線障害の人体実験をするとい目的があったことも事実であろう。

非人道的な兵器を実戦使用した米国を非難するのは容易い。しかしその前に、何故このようなことになったのか、その真の所以を考えなければならない。アジアの覇権を求めて中国、満州、朝鮮を植民地化し、無謀な対米戦争を仕掛けて国民を苦難の道へ追い込んだのは一体誰だったのか。日本を太平洋戦争へと駆り立てたもの、国民を扇動したもの、それらこそがこの悲惨な結果を招いた真の原因である。
世界唯一の被爆国として核爆弾の恐ろしさを思うとき、同時にそれら狂気の原因が何だったのか改めて考えてみる機会でもある。

           

            ☆写真は長崎及び広島の原爆資料館より