ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

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2005-09-27 13:18:35 | 楽描き
友達が、少し過酷な状況にあるようだ。
とても芯のしっかりした子なので、私ごときの力は支えるに足りず、必要もないだろう。


人の心の中は、多分『空』なのだと思う。
闇ではなく空・空間・間
何か心が動くことがある時(それは喜びでも怒りでも)その空に泡が立つのだと思う。
その泡は、小さいまま消えることもあれば、大きくなって壊れることもある。寄り集まって一つになろうとするのもあるだろう。
たくさんの、浮いては消え、消えては出てくる泡達の中で、際立った一つがあるならば、それが希望へと変わるのかもしれない。
ぶつぶつ泡立つ心の中で、何処かに向けて輝く灯りとなるかもしれない。


引き寄せられる

2005-09-27 01:41:24 | 呟き
以前から、無理があるかな?と思いつつも、何か大きな力で引き合っているように感じる事がある。

数年前に、劇団四季の『異国の丘』に異様な程めり込んだ。その時代をすごく知っている訳でも、非常に興味があった訳でも、ましてやその歌を知っている訳でもなかった。初めは戦争のもたらした悲惨な結末に涙した。そして何度も見ている中に主人公の悲恋に涙した。最後はどちらにともなく、どちらとも言える涙になった。
異国を見る少し前に読んだ本が北村薫さんの『リセット』だった。
そして異国が千秋楽を迎えた後に行った東京。ゆりかもめから見えた飛行艇。
全部が近い時期に重なって私をこの時代に導いた。「あぁ、今年はこう行った歴史に触れる年なんだ・・・」などと思ったのである。
まぁ、特別に知ろうと資料を捜してまで勉強はしなかったのだけど。

私には自分に科せられるブームがあるのかな?と、ちょっと思う事がある。

ついさっき友達にもお薦めした本なのだが、リン・ストッケ作の『トロルのなみだ』という本を、本のバーゲンでゲットした。半額でゲット出来たので非常に嬉しい1冊なのだ。ハンス・ノルマン・ダールと言う人の絵がとても優しい絵本だ。もう少し大きくなったらあーに読み聞かせる予定(もちろん、読み聞かせるのはママの役目だ。)
その本を買ったその翌日に『アシュリー』という難病プロジェリアの少女のドキュメントを見た。
その数日前、本屋で一冊の本を手にとっていた。私の苦手な蝶々が装丁されているにもかかわらず、手にとった。
本田孝好さんの『MOMENT』である。トロルを買う少し前に読み終えていた。
今回も引き合ったのだと思う。この3つに関係するキーワードは「生」である。
常に一番無関心な「生」について、今は考える・・・いや、感じる時期なのかもしれない。

ちょっとした偶然に理由を付けているだけかもしれない。
でも、それが切っ掛けでもいいのだと思う。
年を重ね経験を重ねると、どうしても目の前に最終兵器のように「死」を持って来る。でも、今、私は「生」を感じようと思う。

私の想い猿のワカシロは、喉に大きな穴を抱えて生きている。
穴からご飯や水が溢れても、ただ黙々と食べる。溢れる。また、食べる。
シロは難しく生きない。生きる為に生きている。のだと私は思う。

難しく「生」のあり方を考える必要はない。
ただ今迄より少し、「生」を身近に感じたいと思う。

全集

2005-09-25 03:33:58 | 問わず語り(マンガ・本・アニメネタ)
子供の頃、お金を溜めて一生懸命に講談社文庫から出版されている『佐藤さとるファンタジー童話集』及びさとるさんの本を集めていた。
今思うとたいした金額ではないにせよ、お小遣いでやり繰りしている当時にでは、数百円を捻出するのは結構いろいろ我慢をしなければいけなかった。
もっと頑張って当時に全巻を集めていればヨカッタのだが、全部集め切る事の無いままになっていた。
さて、社会人になって自由にできるまとまったお金を手にした私は、「そうだ、さとるさんの本を全部集めよう!」と思い立った。しかし、講談社文庫では見つける事が出来なくなっていた。(どうやら文庫は絶版になっているようだ)
で、遂に見つけたのが講談社文庫から出版されていた『佐藤さとるファンタジー童話集』ではなく、講談社から出版されている『佐藤さとる全集』だった。
大人になっていたので、大人買いをした。
全巻揃った箱で注文したんだな。
ちょっぴり自慢のワンセットなのだ。(写真参照)
その後、たまに本屋を覗いては、さとるさん及び村上さんの本が発行されていないか見る様にしている。
しかし全集は、買っただけでちゃんと読んでいなかった。手に入れた事で満足しちゃってたんだよね。
で、今、遅ればせながら読み返している。トコロ。




全然話は本と違うんだけど・・・スーパーの食器売り場でこんなの見つけた。
 『ぶたの落としぶた』
オイラはこれを握りしめ、本気で買おうかと悩んでしまった・・・
一人暮らしだったら買っていたかもしれぬ
だって、可愛くね?

脱落者・・・

2005-09-25 03:08:22 | ぶらり・・・旅
数カ月前にチャレンジしようとして、雨でお流れになった『鎌倉山の行者道』に再度チャレンジ。
今回は前回は仕事の都合で参加出来なかった元不幸Yも一緒である。まぁ、出雲メンバーって事ですな
前日から悪魔Aのお家にお泊まりさせてもらい、行者道に挑んだワケだ。
決行日は9月23日である。
幸いお天気にも恵まれた。
車を普光寺さんの駐車場に止め、行者道の入り口まで坂道を下る。
さぁ、いざ、登らん!行者道!!

・・・とまぁ、意気込んだのもつかの間
山道に入っても全然木陰がなく、陽射しはジリジリと照りつける。
汗はポタポタと雫になって落ち、休憩に頭を下げると視界がグラグラ回るではないか。。。
「ちょっとオイラ調子が上がってきてない?」
と考えつつ、二人の後をえっちらおっちら登っていた。
・・・30~40分程登った頃だろうか。
汗だくなのに、胃のアタリが冷たい・・・うーん気持ちが悪くなって来たぞ・・・
大体、2年程前に月イチくらいで自分で企画して登っていた奈良や京都の山々の時には、雫になる程の汗はかかなかった。
「もしかして・・・オイラ体調不良?」
山道での無理は命取りである。諦めるなら、体力の在るうちに決断せねば。
そんなワケで、私は起点より1150mに位置する『弥勒菩薩石仏』を見る事なくリタイヤ。もと来た道を引き返したのでした。

二人は行者道を続けて登る。私は下山をし、麓の田んぼや畑をぶらぶら見て歩く。

行者道の入り口は民家をちょっと入ったところで分りにくい。一応下りて来てから起点を写してみた(笑)
ぶらぶら歩いていると体調も戻って来たので、田んぼの向う側に見えた神社迄歩いてみた。

名前はメモして来なかったので覚えてないけれど、お社の彫り物が素晴らしい神社だった。
出雲大社の本殿にいたうーたんに似た、波間に遊ぶうーたんの姿や、となりの御神木の近くに設けられた社のカエルまたに彫られた龍の後ろには見え難いかもしれないが、おさるさんも彫り込まれていたのだ。過去にうーたんを彫込んであるお社は何度か見たが、おさるさんは初めてである(山門にいる事はたまに在るんだけどね。)
リタイヤしちゃったけど、別の収穫があったので個人的には大満足なのだ
体調も回復し、山頂で食べるはずだったおにぎりを神社の境内で風に吹かれながらいただいた。
非常に美味しかった

田畑もお家のお庭も既に秋の香でイッパイだった。


私自身は、行者道リタイヤしちゃったけれど、二人はきちんと全行程をこなして下山した。
予想以上の暑さにヘバッテはいたけれども・・・
私は秋を満喫し、満足をして帰路に付いた。

双璧

2005-09-21 17:40:44 | 問わず語り(マンガ・本・アニメネタ)
たいして活字好きでなかった私。本を選ぶ時は絵の多さで選んでいた。
そんな私が本を人並みに読むようになった切っ掛けの本。
それが、佐藤さとるさんの『コロポックルシリーズ』松谷みよこさんの『ももちゃんシリーズ』だった。
小学校の図書館で偶然借りたその本は、ある意味、私が私であるためのバイブルかもしれない。

活字嫌いの私は、喜び勇んで借りたのではないと思う。
でも、読み終えた次の日には次の本を借りに行っていた。

コロポックルシリーズに限らず、佐藤さとるさんの本は全部好き。(全部は読んでいないけど
どれもキラキラの夢ではなく、ずっしり現実に根ざした目線で掛れていて、とても面白い。
さとるさんのお話は、大人になってからも楽しめる、考えること沢山あるお話。
さとるさんの作品になくてはならないのが村上勉さんのイラスト。
大~~~~好きな絵描きさんです。とってもとっても可愛いのだ。
さとるさんの文章の上を勉さんのイラストが跳ねる。
このバランスが大好き。

松谷みよさこさんの作品は、実はももちゃんシリーズ以外は読んだことない。
あ、龍の子太郎は大人になってから読んだな。
ももちゃんとあかねちゃんの成長がとても可愛らしいのだ。
でもね、ももちゃんの住む環境はすごくシビア。よくよく読むと、現実だな。と感じずにはいられない。子供の目線から見たらば、世の中はこうだったのかもしれない、と思わせてくれるお話。
まぁ、小学生の私にはその時には解らなかったこと等は、すっと体に入って、それが理解できる年齢になった時に「あれは、そうか」と思った。


子供の時から好きな本はありますか?
ずっと大事に語り継ぎたい本はありますか?

私は友達の子供の誕生日プレゼントに、ももちゃんシリーズを1冊づつあげている。(しかし、毎度何巻まであげたか忘れちゃうので確認しなければイカンのが難点・・・つーか、覚えとけよ、それくらい・・・)

芋タコなんきん

2005-09-20 17:52:43 | 呟き
昨日(19日)、父がナンキン(1/4個)を買って来た。その前日(18日)母がなんきん(1/2個)を買っていた。。。

ベランダに芋が6本ほど転がっている。さつまいもだ。金時芋ではなく、白っぽいさつまいも。名前は知らぬ。。。

消費せねばなるまい。大量の芋となんきん。
そんな訳で、作ってみたのさ。芋となんきんの炊いたん。(←この、『炊いたん』という表現は京都を中心とした関西の方ではお馴染みの言葉やね)

芋を3本鷲掴み。
なんきんの1/4をガコガコ切る。
固いよな。芋って。なんきんって。
レンジでチンしてから切ればいいのだけど。面倒なので力技。
ここに蛸があれば、いわゆる『いもたこなんきん』なのだがタコはなかった。まぁ、いいさ。
ここに小豆があったなら、『いとこ煮』になるんだけど、湯でこぼした小豆を常備はしてない。まぁ、いいさ。

芋となんきんを鍋に入れ、ひたひたのお水に醤油・みりん・お砂糖・出汁の素を適当に入れる。
買ったまま使う機会のなかった、煮物用の『蜂蜜』もたっぷり使用。


ぐつぐつぐつぐつ・・・・・


お芋に串が通れば出来上がり。
火を止めて、休ませる。この時にお味がぎゅぎゅ~っとしみ込むのだね。
で、出来上がったのが『いもなんきんの炊いたん』である。
蜂蜜たっぷりなので、おかずと言うよりはお菓子に近い感じかも。。。(いや、おかずだけどね。)

たまには作るのよ。大量に捌かないといけない時に。
今回も会社に持っていき、お昼に女の子のお弁当になんきん1コとお芋1コを強制的に付けました。
美味しいといって食べてくれたので、一安心だ。(主婦が含まれてるからね

料理にせよ、お菓子にせよ、たまに、忘れない程度に作っておかないと、作れた記憶だけ残ってて、味付けや手順がイマイチになるんだよな。
ま、3連休。なぁ~んもせずに過ごしたけど、まぁ、いいか。



ちなみに写真は、十五夜のお月さんとあーママの作った十五夜のご飯(まちたけのお吸い物、きぬかつぎ、栗ご飯、酢の物、うさぎのじょうよ、りんご、みかん)(ウチは写真アップしてないけど、きぬかつぎ、お月見団子、蓬大福、無花果、うさぎの和三盆でした)

真澄鏡

2005-09-18 03:16:09 | 楽描き
旧暦の8月15日は中秋の名月である。
古の中国では、この日に天人が月から降りて来るとされ、瓜や秋の草花で出迎えたのだとか。平安時代に日本に伝わり、月を愛でる宴となった。

月にはそれぞれ名前がある。
新月 古くは朔と呼ばれたが、西洋占星術ではニュームーンと呼ぶ所から、新月と名付けられたらしい。
月の姿は見えないが、月がいる・・・そんな始まりを感じさせると思うのだが。。。
二日月 針で引っ掻いたように薄い薄い月。在るか無いかの絹糸の様な光。
三日月 細く儚気で優雅な月。
上弦・下弦の月 『う』字が脹らんでいく7日目前後の上弦と、『し』の字で細っていく22日前後の下弦。弓のしなるような姿から、弓張月とも呼ばれる。
個人的に上弦の月と下弦の月という呼び方が好き。
小望月 満月(望月)の前日、14夜の月をそう呼ぶ。
実際にはこの日の月の方が、満月よりもまん丸に見えるから不思議。
十六夜 いざようように出る16夜の月。『いざよう』とは、進もうとして進めない、ためらい、たゆたう樣。らしい。
立待月 立ちながら待つうちに出て来る17夜の月。
居待月 座って待つうちに見える18夜の月
寝待月 寝て待つ程に時間が経ってから出て来る19夜の月
更待月 夜更けになってやっと出て来る20日目の月。
有明月 夜が明ける頃に出る26日目の月。

月の満ち欠けに、古人は永遠の不滅を感じていた。満ちては欠け、欠けては再生する月。
その不思議を愛でながら、きぬかつぎやお月見だんごをつまみ食いするのが好き。
お月様が笑いながらこちらを見ているような優しい感じ。
月のウサギも一緒に飲みましょうよと誘ってみる。

タイトルの『真澄鏡』とは、満月の姿を鏡に見立てたもの。
この鏡に写るのは、自分自身の姿では無く、心が写し出される。
『美人の日本語』に載っている、9月18日の『言葉』がこの真澄鏡だった。

ぴょんと月から飛び出したうさぎさんと共に、今宵は月を愛でながら、心の中も覗いてみるか。

生け花

2005-09-16 02:41:16 | 楽描き
柳の緑と、菊の赤紫の組み合わせが綺麗だったので。

1本の柳の中にある、直線と曲線のコントラストが面白かったので。

緑の直線と曲線。赤紫の塊。空間を流れる時間。




・・・などとかっこいい事書いてみたけど。。。
そこ迄あんまし考えて描いてないな。わし。



せっかくなので、元ネタの生け花も公開。
オイラが習っている流派は嵯峨御流といいます。
壺に行けるから、瓶花(へいか)といいますです。
両方に主になる枝を配し、その間を引き締める様にお花を入れてます。両成体間留めというという生け方です。
まぁ、これが、あんな絵になっちゃった訳ですね。

ジプシー

2005-09-14 02:27:18 | 問わず語り(マンガ・本・アニメネタ)
今回は戯曲の紹介。
作:横内謙介 ジプシー ~千の輪の切り株の上の物語~

遠い昔、静かに張りつめた水面に、小さな一滴の雫か落ちた・・・・すると張りつめた水は揺れ、雫の周りに、一つの小さな輪ができた・・・・そして、その小さな輪は、幾重にも連なる波紋となって、遠く、大きく、広がっていったのじゃ・・・・すべてのはじまりは、ただの一滴の小さな雫だった・・・・その雫の命が、季節の巡り来るたびに新しく描かれる輪から輪へ、託され、伝えられたのじゃ・・・・
ワシらのはじまりの家族がここにいた・・・・それはもはやワシらの心の中の思い出からは消え失せ、ただこの身の中にだけ生き続けている、ワシらにとって一番最初の小さな雫じゃ・・・・そして、その雫の命を受け継いだ子供達の家族がいた・・・そして、また次の子供達の家族がいて・・・その子供達の家族がいて・・・その、終わりない繰り返しの果てに描かれた千の輪の切り株の上に今、ワシたちはいる・・・・     (ジプシーより抜粋)


私が初めて観た善人会議(現在の扉座)の芝居である。善人会議を見る切っ掛けは『きらら浮世伝』という作品で、上演したのはM.O.P.だった。この芝居を切っ掛けに、善人会議を見るようになったのだ。
数ある横内さんの作品の中で、多分、一番好きな作品がこれ『ジプシー』
ラストで語られるセリフも大好きだ。

「思い出がたくさん眠っているところには、思い出になるようなことがたくさん起こるものだ。」

悲しいは悲しいを呼ぶ。嬉しいは嬉しいを呼ぶ。思い出は思い出になる事を呼び、私たちはそれをたくさん心に重ねて『自分』という樹を大きく育てる。
感じた事は全部年輪として刻まれる。同じ刻むなら深くしっかり密に刻みたいではないか。

作品の中にレーナウの「三人のジプシー」と言う詩が出て来る。最後の部分
「三人とも昂然と胸をはり 何も囚われずにこの世の中の運命を無視していた」
世の中の運命ではない。自分の運命を昂然と進むジプシー。


現在扉座の公演レパートリーには入っていない作品。仕方がないので、たまに戯曲の頁をめくって、いろんなシーンを思い出す。
心の中に焼き付いた舞台を思い出しつつ・・・



イラストはね、久々に描いてみた。パソコンで。
影響されやすいの、ワタシ。
千の輪の切り株のイメージです


・・・・ちなみに没ネタはこちら・・・

こっちは、『も♪っちゃまの石・naoSIDE』になるはずだったもの。なんか、足りないの。なんじゃろね?