ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

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井上内親王様を偲ぶ旅 その2

2017-05-25 16:20:03 | ぶらり・・・旅
御霊神社さんからスグの場所に満願寺さんはあります。
この辺り一帯は御霊神社の神宮寺である霊安寺があったそうです。
明治の神仏分離の影響もあり廃寺となってしまった霊安寺は、沢山あった塔頭もなくなり本堂があった場所に今、満願寺があるのだそう。
本地堂が今あるお堂で、元禄のころに移されたのだそう。なので、建物自体はそれ以前に建てられたものとのこと。


この日は大山蓮華が咲いており、お寺の方が私たちのために手折って見せてくださいました。
蓮の花に赤いおざぶを敷いて座っている仏様のよう。
一日だけの開花なのだそうです。蓮より短いね。

ご本尊様は中央にいらっしゃる、准胝観音様。こちらを御霊大明神(井上内親王様)。
両脇に、千手観音様と十一面観音様。こちらを他戸親王様、早良親王様としてお祀りされているのです。
この配置もお堂の移築前からの並びらしい。



ご住職様が、「御霊さんは東に向いていはる。丹生川と吉野川が合流するその方向を向いているのは、終焉の地を拝むための礼拝所だったんじゃないかと思う。研究がなされていないので何とも言えませんがね」とおっしゃっていた。
その向きに作られている真偽のほどはわかりませんが、もしご住職様が思っておられる通りなら、神社へ行く度にいつでも心が内親王様たちに添っているという、何とも心がホッコリする話。オイラはそうであるといいなぁと思いながらご住職様のお話を聞いてました。


こちらのお寺には、井上内親王様のお名前が刻まれた鐘もあり、お寺の方が「撞いてもいいよ」とおっしゃってくださったので、ツアーのメンバーさんがゴイ~ンと鐘を撞いてくれました。
南無~


オイラの大好きなおちゃると青面金剛さんもいはりました。


満願寺さんは通常公開をしていないお寺です。
参拝を希望される場合は、事前にお寺にご連絡してくださいね。


お寺の門を出ると、昔を忍ばせる三重塔の礎石が民家のお庭にあるのが見えます。
在りし日のお寺の姿に思いを馳せながら次の場所へようやく移動したのでした。


次に金剛寺さんへ。
こちらは西国薬師霊場でもありますので、オイラは行ったことがあったのです。
その頃はギリ大山蓮華が咲いてる。。。状態でしたが、今回は満開でございました^^
御本尊様はお薬師さんですが、准胝観音様を井上内親王様、十一面観音様を天神さんとして祀られた御厨子がありました。
昔は花が咲くのや芽吹きなど植物を見ることで暦としたと教えていただき、沢山のお花が咲く庭を歩きながら、あぁ、若い色の緑に次々に咲く花々を見て、田に水を張り稲を植える時期を読み解いてたのかぁとワクワク気分になりました。

なぜか金剛寺さんではお写真とってなかった模様。。。^^;


次の場所は、火雷神社。

バスで少し移動した後、畑の畦道をテクテクあるいて行く場所です。

  
火雷様は、井上内親王様が五條でお産みなったお子様で、生まれてすぐに火雷神となり、後に母と兄の仇を討たれたそうです。
そんな荒々しい伝説を感じさせないほど、境内は穏やかで、時折爽やかな風が吹き抜ける清々しい場所でありました。

 
狛犬のお顔も心なしかおどけた可愛い感じ。

 
お参りしたり、説明を聞いたり、参加者がそれぞれ楽しそうにお話をしている。。そこにサワワ~っと風が吹くと、もう、歓迎されてる!!って妄想しちゃうオイラであります。


享保年間に奉納されたと思われる手水に「若宮」の文字も見え、ここでもやはり土地の人に愛されて守られて今までいてくれている神社なのだなぁと実感。


文字はもう読み取れなかったけれど、真ん中の社には薄く「御霊」の文字が見えました。

再度バスに乗り込み、他戸親王様墓を車窓からお参りして宇智陵へ。




こちらが井上内親王様が改葬されたという御陵。


因みにオイラよくわからないのですが、こういった場合の改葬って、ちゃんと石室石棺を作っているものなのでしょうか?「遺骨を改葬」ってあるから、ちゃんと石棺におさめているのかなぁ。。。ただ見た目だけの土まんじゅうじゃないですよね?←当日聞けば良かった。。^^;


この神域の中に、整備のためでも入ると雨が降るそうです。
参道を綺麗にするだけでもダメだとは、井上内親王様お厳しい!
あ、もしかすると、近所の小学生などが授業の一環でお掃除に来るのだったら大丈夫なのかもしれませんね。

  
サイドに回り御陵の中を覗く。
ええ感じの木が生い茂ってて良かったですヽ(*´∀`)ノ


帰りにもう一度、他戸親王様のお墓を車窓から拝み、次の場所へ。
こんもり丸く木が見える場所が他戸親王様のお墓。
個人的に体力余りまくってたので、お墓まで歩きたかった。。。


最後のゆかりの地は、井上内親王様が最初に幽閉されたと言われる場所です。
現在は小さな祠があるだけの聖神社。
しかし古くてもきちんと清められているのが感じられる空間。


こんな小さな場所にも桜の木が植えられており、季節の巡りを感じることができるのも素敵です。


井上内親王様が慕われている証とも言えるのが、今では「須恵」という町名であるにも関わらず、今でも昔からの「井上」で呼ばれていること。
聖神社の前にあった消火器具箱にも「井上町自治会」の文字が見えました。


最後の最後に大和八木に向かうバスの中でお土産を頂きました。
やまとびとツアーズさんからはミルクのソフトキャンディを。

五條のパティスリー・クリアンさんからは「七虹(ななつのゆめ)」という、メレンゲのお菓子を。
このお菓子も井上内親王様をイメージし、和のフレーバーで作られているのです。
コーヒーを飲んだあとに口に含むと、至極の世界へ連れてってくれる魔法のお菓子でした。




文献などを見ていると、不幸なだけの人生のように感じられました。事実、最期の時にも疑惑が残るようですし。
しかし五條のまちの穏やかな空気には、そんなジメっとした暗い印象は全くなく、また井上内親王様に対する印象も荒んだ感じがしませんでした。
雅な都から遠く五條へと流されて、初めはきっと心を痛めておられたと思います。
ご自分の足元しかご覧になられなかった内親王様が、ふっと顔を上げられたとき、そこには殺伐とした都では触れられなかった優しい稜線のお山と里が季節を感じさせ、素朴な村の人のお顔があったのではないでしょうか。
きっとこの場所で痛めた心と体を癒されたのではないか。
お土産に頂いた「ななつのゆめ」の言葉通り、穏やかな時間の中で「風にそよぐ花を見る」「窓越しではない手の届きそうなお月様の光を浴びる」「村のお祭りをこっそり覗き見する」「人目を気にせず泣いてみる」・・・・そんな小さな夢をいくつもご覧になられたのではないかなぁと、そんな風に思えた今回の旅でした。













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井上内親王様を偲ぶ旅 その1

2017-05-22 17:02:25 | ぶらり・・・旅
2017年5月21日。
聖武天皇の皇女、井上内親王様ゆかりの地を巡るツアーに参加しました。
井上内親王様は、ジェットコースターのような急激に展開してゆく人生を歩まれ、無念であったのだろうと思われる最後を迎えたお方。

今年は、717年にお生まれになった井上内親王様の生誕1300年。
その節目の年に、内親王様の終焉の地・ゆかりの場所を巡るとゆー、、、なんとも素敵な企画。
行かないわけにはまいりません♪


五條では、内親王様がご機嫌であれば晴、ご機嫌斜めであれば雨と言われているそうな。
この日はピーカンの良いお天気。
内親王様がwelcome!щ(゚Д゚щ)カモーンってな具合にお待ちくださっていたとしか思えません♪



大和八木集合で、一路五條へ。



途中、二上山が見えてテンションアップなオイラ( ̄▽ ̄)



まず始めは五條に23社あるという御霊神社の総元締めである、御霊神社本宮へ。



額の文字がめっちゃ可愛い^^

正式参拝である昇殿参拝をさせていただく。
宮司様の祝詞のお声や所作に合わせ、解らないながらも(←ダメダメなオイラ^^;)平伏しながらウットリ聞き入りコッソリのぞき見する。
ツアーの代表の倉橋みどりさんが玉串を拝礼。
最後にお神酒を頂き(いただく前に一拍するのです)、御下がりを頂き終了。
拝殿の奥にまでお参りさせていただき、ちょーちょーホクホク。
普通に一般で参拝していてはできない貴重な体験をさせて頂きました。



拝殿の屋根に桐の紋を見つけたので、豊臣さんゆかりの何かがあるのかな?と思い宮司様に聞くと「聖武天皇様の皇女様であらせられるので、皇室の御紋である桐紋と菊紋を並べてあるのですよ」と教えてくださいました。
オイラ桐っちゅーたら太閤さんしか浮かばなくって、無知さをご披露致した次第。



続いて少し早いけれど、お昼♪
御霊神社本宮さんの社務所をお借りして、井上内親王様をイメージした美味しいお弁当を頂きました。
このツアーの為だけに作られたお弁当で、お写真NGでした。
の・で、どんなだったのかと口伝しますと、五條に流された井上内親王様に献上されたであろう五條の恵みを今風にアレンジした。。。って感じです。
とにかくめっちゃ美味しかったです♪



お昼の後は、宮司様のお話。

〇井上内親王様の読み方は、「いのえ」「いがみ」などあるのですが、御霊神社本宮さんでは室町時代の縁起書に「いのえ」と振り仮名があることから「いのえ」と読んでいらっしゃるとのこと。

〇宇智群に来られた時、ご懐妊されていたと言われる内親王様。いろんな場所に安産祈願や産湯などの伝承が残っているそうです。幽閉されていたと文献にはあるが、完全に閉じ込められていたわけではなく、ある程度の自由があったのではないかと宮司様は推測されている。

〇子供にやさしい内親王様で、子供のいたずらや遊びには寛大だが、大人が神域で無作法をすると子々孫々まで祟りがあるとのこと。

〇怨霊となったことで祀られている内親王様であるが、23社もの宮分をしているということは、ただ祟る神として祀られたのではなく、自分たちを守ってくれる、願いを聞き届けてくれる、、、そういった信仰と内親王様への土地の人の親しみがあったからだと考えられる。

〇お子様である他戸親王様と共に五條に流されたとあるが、なんと長野県宮田村に他戸親王様の伝説があるのだとか。
梅のない宮田村が「梅の里」と呼ばれる所以を調べると、他戸親王様が忍んで住まわれ梅の歌を詠まれたことが始まりであると伝承されていたそうです。
言われてみると、宇智群には井上内親王様の伝説は沢山あるが、他戸親王様の伝説がないそうです。
また長野県飯田市の八幡宮には御霊媛宮があり、それは井上皇后に仕えたものが土着しこの土地に井上内親王様をお祀りしたとされているそう。

〇春と秋に大祭をする。春は井上内親王様のご命日に、秋は五條に流されてきた時に合わせ、御霊を慰めるために行われたお祭りが、土地の人の生活と楽しみと混ざり合い、現在の形になったのだとか。
本来お祭りは実りへの祈願と収穫へのお礼の為に行われるが、この場所では根っこにあるのは、昔も今も内親王様への村人の想いである。




次に地元の方で、五條の観光に力を入れていらっしゃる中さんのお話。


〇怨霊伝説などは大きくなってから知ったこと。小さいころから「ごりょうさん」「いがみさん」言うて境内で遊ばしてもろて親しんでた近所にある地の神さんなので、全然怖くないし、むしろ怨霊なんてピンとこない。

〇五條あるあると言われている、「井上内親王が白壁王の妻であったことから、白壁を塗らない」「百川の陰謀であったとされていることから、この土地では桃が育たない」については、「壁は黒いもん、桃は見ぇへんもんと思てました」とのこと(笑)

〇数年前から大祭に深くかかわるようになった中さん。
どうすればお祭りが維持されていくのか考えた時、小中高の一番楽しい時期の思い出が大人になってからも忘れないモノであることに思い至ったそうです。
自分の生まれた土地に所縁のある人に天平人がいたことを知ってもらうため、天平行列を始め、その天平人に学生さんたちになってもらう。実際お渡りの距離が長いので、学生さんの体力が必要だとも(笑)
そしていつかウチの町のお祭り。。と帰ってきてくれたらと思いが込められているそうです。
今年は井上内親王様の生誕1300年の大大祭なので、天平人に一般の人も応募できるとか。


最後に横浜美術大学の杉本先生のお話。
本当は法螺貝を吹いてくださる予定でしたが、ご都合つかず^^;残念でした。
代わりと言っては何ですが、生誕1300年大祭に先駆けて、10月8日に井上内親王様の物語を新作能にして上演するお話をしてくださいました。
また、その折、古代色の茜染の幕を使われるとのこと。
チョー楽しみで仕方ありません!!!




めっちゃ長くなってるので、続く。
(っつか、最初のゆかりの地から動いてない^^;)















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