ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

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静かな街並み~庚申堂へ

2009-11-30 10:18:39 | ぶらり・・・旅
京都は人が多くて、奈良は人が少ない・・・と言う図式を勝手に持っているオイラ。
でも、やはり連休の最終日(しかも晴天)ともなると、奈良にも人が多い。
天邪鬼なオイラは、案内板や人の流れから外れてぶらぶらと歩きだす。
そして、大概迷うのである(笑)

新薬師寺を出たオイラは、比売神社と鏡神社をお参りしてから新薬師寺界隈を後にした。

そうそう新薬師寺ですが、西の京の薬師寺とは関係がなく、「新」は新しいという意味ではなく、霊験が「新たか」であるという意味の「新」なのだそう。
光明皇后が聖武天皇の病気平癒を願って創建したそうな。(逆に聖武天皇が光明皇后の病気平癒に。。。という説もあるらしい。)←頂いた栞をちゃんと読めって^^;

ここからは元興寺さんを目指して歩くのですが、ぶらぶら歩いているとこんな素敵なお家が・・・

すごく古そうな煉瓦で出来た塀です。
3~4軒続いてこの壁が囲っておりました。
どこかから移築してきたのかな~?普通に暮らしている感じでしたが、なんだかええ感じでございました。

更にてくてく歩いて行くと・・・

絶対猫好き(笑)
本物ではありませんよ。置物のねこちゃんが壁にびっしり遊びまくるお家が☆
駐車場の方までにゃんこたち遊びに行ってました。
すんごい猫好きなんやろうなぁ~

更に更にテクテクテク・・・

き・・・気になる!
激しく気になる!!
住宅街にひっそりとあるお店。
お昼時だったので、入りたい衝動に駆られましたが・・・お値段がね、解らないのであります。
活活亭・・・鰻寮って書いてるってことは、鰻でしょ?鰻ってキリでも高いよねぇ・・・怖くて入れませんでした。(手持ちも少なかったし、まだまだ回らないといけないし。)どんなだか知ってる方は、情報プリーズです(笑)

そうこうして歩いていると、奈良町付近に出てきたらしい。
庚申堂の案内板が出てきました。

この案内板が見えてからは、ふらふら~っと人通りの多い奈良町へ突入っす。
だって、庚申さんがオイラを呼ぶんですもの!!!


ってなわけで、庚申堂へ。
 
屋根の上のお猿さんもプリチーです♪
赤ちゃんを抱っこしてたり、手をあわせていたり・・・とっても可愛いので、庚申堂へお越しの場合は、是非、屋根の上も忘れないようにチェックして下され。

正面にいるお猿さんも要チェック。

微妙に可愛くないお顔なのが良いのです。(え?そうなの??)


庚申堂にお祀りされているのは、青面金剛童子様です。
提灯の向こう側にわらわら~っとぶらくられているのが、庚申さんのお守りです。
さるぼぼに酷似してますが、さるぼぼという名称ではありません。あくまで、庚申さんです。
さるぼぼは猿の赤ちゃん(ぼぼ)って意味ですからね。
奈良町に行くと、軒先にこの庚申さんがいくつかつなげて吊られているのです。
家の外や玄関先に吊るすと家全体の、個人の寝室や部屋に吊るすと個人の身代りになってくれるのであります。
奈良町の庚申さんのお守りを頂くと、1年間の御祈祷がもれなく付いてきます^^(住所氏名と願い事を書いた紙を納めなければいけませんが。)
数年ぶりに庚申さんに詣でたので、ちょっと大きめの庚申さんを連れて帰られてもらいました~♪

第6番 日輪山 新薬師寺

2009-11-28 09:19:27 | 西国薬師四十九霊場
しばらく歩くと、門が見えてきました。
新薬師寺の碑も見えます。
どうやら、裏側の道だったらしく、ぐるりと角を曲がると正面の門に行きつきました。

新薬師寺って言うくらいなので、薬師寺が創建された後に新しく作られた薬師寺なんだと思うんだけど・・・
すごくひっそりとこじんまりと建っておりました。

門をくぐると一番に目に飛び込んでくるのがこの景色。

左側に色づいたもみじ。
 
右側に満開の紅白の山茶花

なんとも美しい~♪

人もまばらで、ゆったりと時間が流れております。


本堂に入って、お薬師さまと対面する。
ぐっと見開いた眼は、ほとんど伏せている印象がありません。
むしろジッと見据えられているような力強さ。
お薬師様を軸に、干支の十二神将がぐるりと輪になっております。
自分の干支の神将のところで、蝋燭を上げるのです。絵馬もそれぞれの神将のところに奉納します。
オイラも自分のトコロに絵馬を奉納し、そのほか身内の干支に蝋燭を上げてきました。

お薬師様の左手側は、お薬師様のいらっしゃる西方浄土である西。
そこには窓があり、ステンドグラスがはめ込まれている。
差し込む光が瑠璃色に染まるその場所は、瑠璃光を浴びる場所となっていた。

これが外側から見た、瑠璃の窓。

そんなに広くない境内だけど、こんなに情緒的な絵にも出会える。

足元のもみじは紅ではなかったけれど、ええ感じの色づきで。
砂利に交じって錦を織りなしていた。


龍女の祠もひっそりと。

最後に門の所でもう一度、本堂を振り返える。

足元には金銀の蛙がいてるので、そっと頭を撫でて「また来るね」と言って新薬師寺を後にした。

奈良公園

2009-11-27 09:27:14 | ぶらり・・・旅
興福寺を後にしたオイラ。
この日の予定に入れるか入れないか迷っていた新薬師寺に、仮金堂を参拝しなかったので行く事に。

奈良へ行くと決めた前の晩から、林檎や梨の皮を鹿ちゃんの為に残しておく。
覚えている限り、持っていくことにしてるんです^^


ちょーだーい♪と寄ってくる鹿ちゃん。
あまり沢山はなかったので、すぐに終了しちゃいましたが、鹿せんべいや芝以外のものもたまには良いでしょう♪


食べ物を持っていないと解ると、さっさと場所を移動する鹿ちゃん・・・
しっかりしてます。


奈良公園でまったり鹿と戯れた後は、新薬師寺さんへGO!

途中の街路樹も、すっかり紅葉しております。

うららかな日差しで、ぽっかぽかです。

 
陽に透けるポプラかな~?
真っ赤で奇麗でした。


新薬師寺はこっち。の札に釣られて脇道に入ると・・・

なんだか可愛いものがいっぱい。
家の壁と基礎の段差に置かれております。


木の枝やドングリがいっぱい入った瓶


松ぼっくりもずらっと並んでおりました。

新薬師寺までは、もうすぐです。

第4番 興福寺 東金堂

2009-11-26 13:57:52 | 西国薬師四十九霊場
10月はおさぼりしてしまった、薬師霊場巡りです。
11月22日、ちょっといろいろと必要に駆られて行ってまいりました。

当初は興福寺の仮金堂と一緒に11月上旬に廻ろうと思っていたのですが、諸事情で11月上旬に行く事が出来ずにズルズルと・・・。
ま、なんとかこの日に行く事になったのでした。


朝はいつもの出勤と同じくらいに家を出る。
少し曇りがち。
地元の駅で「奈良・斑鳩1dayチケット」を購入して奈良を目指す。
施設の割り引きなんかもついていて、お得チケットなのであります。
生駒を越えたあたりで、電車の窓の外はすごい霧。
それでも一路、興福寺を目指したのであります。

10時頃に奈良到着。
興福寺に行くと、210分待ちの仮金堂&北円堂拝観受け付けに愕然。
「お堂に入っていただくのに3時間以上かかります。それをご理解の上、チケットをお求めください!」と係員が大きな声で説明。
こりゃダメダ・・・と、仮金堂は諦めるオイラ。
本来の目的である東金堂をお参りすることに。
西国49ヵ所のお薬師さまは、こちらにいらっしゃるのであります。

とても伏せ目な、静かなお顔のお薬師様です。
日光月光菩薩様は、薬師寺さんの両菩薩様に似ている気がした。


この薬師49霊場巡礼を始めたのは、個人的にお薬師様にごっつご縁があると思っているから。
大好きなお薬師様に出会っていこう・・・と思ったのが始まりです。
なので、特定のお願い事ってずっとして来なかったんだけど、今回は特別な事情がありまして(いつか落ち着いて書けるようになったら書きますね)、イレギュラーながら特定のお願い事を致しました。


東金堂をお参りして出てくると、隣の五重塔が霧にけぶって見えていた。
なんだか幻想的^^

ご宝印を頂いてふと振り返ると、陽が高くなってきたからか霧がすっかり晴れて、礎石の向こう側に、南円堂の瓦がとても奇麗に見えていた。

仮金堂

2009-11-24 12:07:42 | 呟き
興福寺仮金堂に110年ぶりに阿修羅達が安置される・・・

どーしても行きたいと思ってました。
昨日、ラストの日。
行ってみました、奈良に。

したらば、210分待ち!!!

興福寺のみに来てたのならば210分ナンボのもんじゃい!なんですが、一番の目的が大安寺さんでしたので、無理じゃ。。。


ってな訳で、今回の仮金堂安置は見送ったのでした~。
代わりに、本堂へお参り致しました。代わりと言うより、むしろこっちの方が大安寺さんの次にメインだったんですけどね。
本堂は比較的に空いてましたよん^^

る~るるる・・・

2009-11-19 10:26:49 | 呟き
6月に書いた、興福寺110年ぶりの堂内安置の記事。
ひと月以上も安置するし、絶対に行くのねん!!!って思っていたんですが・・・
11月は予定が大幅に崩れておりまして・・・どうやら行けそうにありませぬ。(ため息)
こんなことなら、予定がギュギュッと詰まってたとしても、10月の内に行っておけばよかった・・・。

ご縁がなかったのは仕方ないとしても・・・なかなか上手く行きませんなぁ。。。
くぅ。行きたかったなぁ。。。

どーでも良いが・・・歴史上人物編

2009-11-11 11:51:30 | 好き・応援
どーでもいいシリーズ(笑)第二弾。
歴史上の人物編です。敬称略で行かせてい頂きます。


■聖徳太子
574年2月7日(敏達3年1月1日)~622年4月8日(推古30年2月22日(同29年2月5日説あり))
無条件に好きだったなぁ。だって、一万円札だったんだもん。(←そこ?)
大津と出会うより前に出会ってますが、イワユル調べるほど好き!ってなったのは結構最近なのであります。

■蘇我鞍作
?~645年7月10日(皇極4年6月12日)
杉本苑子さんの「天智帝をめぐる7人」とゆー短編小説を読んだ時、今までの入鹿の印象が変わりました。その後、関裕二さんの本と出会い、どっぷり蘇我派になったオイラであります(笑)
2009年に初めて首塚を詣でました。甘樫丘が良く見える場所で、穏やかな空気でした。

※ホントにどーでもいいけど、中大兄って名前じゃないんだね。長男・末男以外の皇子に対する総称なんだってさ。それが天智帝死後、天皇になる前の天智を指す言葉になったそうな。固有名詞じゃないので、本来は皇子ってつけないらしいです。
諱は葛城皇子なんだそーな。

■大津皇子
663年(天智2年)~686年10月25日(朱鳥元年10月3日)
歴史上の人物の中で、一番最初に「好きだ」と思った方。もちろん、今でも一番好きな方です。オイラの歴史上の人物好きの原点となるお方なのであります。
「宇宙皇子」と言う小説の中で出てきて知ったのが、中学生の時。必死で日本書紀と古事記を読んだ記憶があります。(大津の部分のみですが)
好きになった当初は、悲劇の皇子って見解でしたが、今では絶対野心家だったと思ってます。
初めて認識して行った史跡(墓参りですが。)でもあります。あ、墓マイラーの原点でもありますね。
結構最近まで皇族って事に気付いておらず、自分との隔たりは年代だけだと勘違いしてました。←バカ。

■阿弖流為(悪路王・大竹(嶽)丸)
?~801年9月17日(延暦21年8月13日)
ちょうど小松和彦さんの「日本妖怪異聞録」って本を読んでいるときに見たんです。「AKURO」とゆーお芝居を。見た後、ガタガタガタ~~っとすっ転びました。日本妖怪異聞録に大嶽丸の事が載っていたんですもの。
お芝居を見た時点では、安倍人麻呂って人に惚れたんですが、調べるに従い阿弖流為に興味が・・・(いや、人麻呂も微妙に関係してるんだけどね)
しかも阿弖流為の処刑場が自分の行動テリトリー内ってのも良かったですね。すぐに碑を詣りに行けましたから♪(と言いつつも、関連ある田村麻呂の清水には行き忘れたけどね^^;)

■平将門
?~940年3月25日(天慶3年2月14日)
2009年上半期はこのお方と心定めておりました。
突然、降って湧いたように興味の対象となったのであります。大きな要因としては、加門七海さんの本が一番だろうなぁ(笑)
お江戸にある将門公関連の史跡は、新宿にある鬼王神社以外はほぼ回っております。一般公開されてるの?ってお寺にも強引に入っちゃいました。でも、ご本尊は見せてもらえなんだ^^;

■安倍晴明
921年(延喜21年)~1005年10月31日(寛弘2年9月26日)
大学の時に、原作:夢枕獏さんの陰陽師の漫画(岡野玲子さんのではありません)と出会いまして。。。それまでにも夢枕獏さんの本は「キマイラ」を読んでいたので、すぐに購入→すっころびって感じでした。
このころはまだ今ほど晴明さんのブームではなく、晴明神社もオドロドロ~っとうっそうとした木のある境内でした(笑)鈍感なオイラは平気でしたが、友達は「ここ怖い!」とか言ってましたよ。今じゃ、明るいキラキラした境内ですけどねぇ・・・(笑)

■平清盛
1118年(元永元年)~1181年3月20日(治承5年閏2月4日)
内海清美先生の作品展を見に行って(先生を知っていた訳ではなく、偶然タダ券を持ってたので^^;)衝撃を受けたのでした。
観平家というタイトルの作品展だったんですがね、平家物語のいろんな場面を和紙の人形で表現されておりまして・・・すっごく良かったんです。
先生の作品がイトカワのアートに乗っておりますので、飛んで見てください。WEBで見てもびっくりですよ。(本物はもっとビックリですが。)
以来、平家物語にチャレンジ→玉砕を繰り返してます。毎度、盛遠の袈裟あたりから保元の乱手前あたりで脱落の日々。←平家物語の導入にも及んでないやんけ^^;
只今チャレンジ4回目くらいなんですが、ようやく保元の乱を潜り抜けました(笑)あぁ、先は長い・・・^^;

■鬼一法眼
義経記に出てくる伝説の人。実在人物ではないらしい。
平安期に義経を育てた人として義経記に出てくるらしい。
オイラがこの人を知った経緯は、凛ちゃま(藤木凛)の鬼一法眼シリーズを読んだから。(途中で止まってますが^^;)あ、凛ちゃまって書いたけど、知り合いじゃないんですよ。勝手にそう呼んでいるだけ。
カッパノベルズから出てた分を読んでたんですが、本屋にカッパは少なくって、気付けばどこまで持ってて、どこから持ってないのか解らなくなっちゃったんです。本を整理して、続きを購入しよう・・・
晴明さんに引き続き、陰陽師にハマってました。。。

■源義経
1159年(平治元年)~1189年6月15日(文治5年閏4月30日)
沢田ひろふみさんの「遮那王―義経」と言う漫画を読んで・・・。
源平もあまり興味がなかったんですが(名前の区別がつかないので^^;)、この漫画のおかげでかなり興味を持ちました。現在、遮那王は完結し義経が連載されております。

■真田幸村
1567年(永禄10年)一説に1570年(永禄13年)とも~1615年6月3日(慶長20年5月7日)一説に1641年(寛永18年)とも
大の苦手ゾーンは戦国時代です。唯一ちゃんと調べた武将が真田幸村。
特に幸村が好きだったと言うよりは、きっしぃが出演した舞台に出てきた幸村殿に興味を持ったって言うのが正解。
真田十勇士も読みかけで止まってる・・・^^;
真田の赤備えは、ずっと赤い甲冑だった訳でなく、大阪夏の陣にて備えたものだと最近知りました。そりゃ、ずっと赤備えしてたらお金かかるもんね。

■石川五右衛門
?~ 1594年10月8日(文禄3年8月24日)
劇団☆新感線の五右衛門ロックで激ハマり(笑)
東の次郎長、西の五右衛門と称された義賊。
一応、南禅寺の山門に登った時には「絶景かな、絶景かな~」と言ってみました(笑)

■シャルル・ド・バツ=カステルモール
1615年~1673年6月25日
只今(2009年11月現在)一番熱い想いを寄せている方←バカ。
ミュージカル「シラノ」を観、そこにご出演だったリニエール役のひできが「二人のガスコン」を読んだ。とブログに書いていたので、素直に「二人のガスコン」を購入し、読んだんですね。で、ずぼずぼずぼーーーっとダルタニャンにハマった訳です。
今更ながらですが、三銃士を読みました。ってか、絶版のダルタニャン物語をオクで落札購入致しました。
現在、20年後に突入してます。ダル、かっちょいいです*^^*

■土方歳三
1835年5月31日(天保6年5月5日)~1869年6月20日(明治2年5月11日)
高校生の時に、友達に薦められて新撰組バイブル「燃えよ剣」を読んだのがきっかけ。なにがいいって、顔ね、顔。あの写真がなければ、土方ファンになってないかも~^^;
近畿圏外の史跡に行ったのは、この人が初めてだった。(高校生だったんだけど、一人で石田村まで行ったジョ~)
で、この人追いかけて函館へは3回足を運んどります。しかし、小島資料館にはまだ足を踏み入れてないんですっ!←早く行けよ。

■永倉新八
1839年5月23日(天保10年4月11日)~1915年1月5日(大正4年)
新撰組の中で、土方はゆるぎない絶対的な好きな人なんですが、近寄りたい訳ではありません(←オイオイ^^;)。仲良くなりたーい♪とか、旦那さん(彼氏)ならこんな人☆って枠での好きな人は、新八っつあんなんです。
まぁ、多分に妄想が締めているんですがね、晩年の穏やかさが彼の人柄かな~と思っております。

■阿南惟幾
1887年2月21日(明治20年)~1945年8月15日(昭和20年)
新撰組にスッ転んでた時期に、「南京路に花吹雪」とゆーまんがも好んで読んでおりまして・・・これが第二次大戦下の中国の話だったんですね。
あと、「黄土の奔流」「夢なき者の掟」とゆー小説にもハマってました。
で、第二次大戦を少しだけ調べたときに出会ったのが、阿南大将な訳です。
陸軍大将で、戦後自刃されております。
特に策略家だったり根性悪かったり英雄だったり・・ってエピソードはないのですが、自刃をされた理由がイマイチ不透明で、今でも阿南大将の真意はどこにあったのか、論議がされているそうです。



意外といろんな人に興味を持っているけれど・・・時代が偏ってますよね。
イワユル歴女さんたちのお得意分野である戦国はからっきしダメです。
伊達正宗とか大河でちゃんと見たんだけどなぁ・・・右から~左~って感じで、覚えられません。
皆様の興味はどんなですかね?