ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

コメント大歓迎!BUT訳の解らない書き込みはザクザク消しますッス!

水雲山潮音寺

2011-10-19 08:48:38 | 神社仏閣
オイラがお薬師さんを好きなのは周知の事実。
そんな薬師寺さんの東関東別院に水雲山潮音寺とゆーお寺があります。
茨城県潮来市にあるお寺なんですが、いつか行ってみたいなぁって思っているお寺の一つでした。

3月11日の東日本大震災。
この大地震で、お寺は本堂以外のほとんどの建物が全半壊という大きな被害を受けたのです。
一番の原因は地盤の液状化だそうです。
しかし建物は壊れても、仏様たちは奇跡的に倒れることなく御無事だったとのことです。

地震の後、HPでこの惨状を知ったオイラであります。
行きたいなぁって思っていたお寺の壊滅的な写真が載っていました。
ニュースでいろんな場所の震災の被害の映像を見たときと同じに心がギュッと縮みました。

その後4月くらいだったでしょうか、薬師寺さんの境内でお会いしたお坊様に潮音寺さんの事を聞いてみました。
「復興は必ず致します。でも、まだその方向を決めていません。これはしっかり決めないといけない事ですから」
その時はそうおっしゃってました。

それから約半年。
先日薬師寺さんへ行ったとき、潮音寺さんの復興のためのお写経勧進の案内を見つけました。

もっと早くからあったのかもしれませんが、オイラは地震にも負けない潮音寺さんの仏様と違って、地震でも何でもない時にスッテンころりんと転がって足首抜けちゃって、晩夏からこっち安静生活をしておりましたから^^;
気づいたのはつい最近でした。

潮音寺さん以外にもいっぱい被害があった大震災。復興を志している場所は数多あります。
でもここは、行きたいなって思っているお寺。
これもご縁だと思います。
このパンフレットには、この倒れなかった仏様を守ることを最優先にと書かれていました。
仏様の形そのものという意味だけでなく、仏様=人が集える拠り所、仏様=次に伝え繋げる心なのだとオイラは考えます。
オイラ一人では大したことはできないけれど、ちょぼちょぼこちらの勧進をしようと思った次第なのでありました。





BUT!
いきなり申込書の記入を間違った事は内緒です。
一枚しか取ってこなかったので、もっかいもらいに行かなければ^^;








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ELECTRIC CITY ~外伝・SANGE~

2011-05-07 09:29:51 | 神社仏閣
前回書いた「ELECTRIC CITY」の記事に、散華を英語で説明できないかと問うてみたところ、回答をして下さった方がおりました。
なので、アノインテッドさんがこのブログを見ているとは思えないけれど、英訳を頼んでくれた方&英訳して下さった方の心を有難く頂戴して、散華(SANGE)の英語説明を載せます!
もし外国人の方に薬師寺の散華を説明したい場合は、利用してみてくださいね^^


This temple celebrates Yakushi Nyorai , the god of doctors.

At the festivals here “SANGE” are scattered.

“SANGE” are lotus petals.

Shaka ~the Goutama Buddha~ rides on a lotus flower.

If you get a “SANGE” at a festival you will have a healthy body and mind.



健康とは「健体康心」
体と心が健やかであることを差します。





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安倍文殊院

2011-04-14 15:28:58 | 神社仏閣
4月10日の続きです。
名張を後にしたオイラが向かった先は。。。橿原神宮にするか、大神神社にするか悩んだ結果。。。安倍文殊院に☆

この選択は正解でした♪
なんでも文殊さんはうさぎ年の守護神なんだとか。なので、ご本尊様の文殊様とご結縁が結べるんですね。近くでお参りすることができます。
拝観料は700円。もちろんお会いしてきましたよ~♪


先ずは入り口近くの毛氈の敷いてあるお部屋でお茶のお接待をいただけます。


お菓子は晴明印の入った餡入りの落雁です。ホロホロっとした口どけで大好きなんですよね~♪

お菓子を頂いた後、ほっこりした気持ちで本堂へ。
丁度ご祈祷していただくご家族さんがいらっしゃったので、なんとなく段の下で控えて見守ってしまいました(笑)

見た目は普通の本堂なんだけど、なんだかお寺の内陣っぽくないお堂の中でしたね。
何ていうんでしょう、がらーんとした印象なんです。天井がすごく高くて明るかったからかなぁ。
獅子に乗られ、4人の脇士を伴う「渡海文殊」というお姿なんですって。
文殊さんを振り返る善財童子の表情が非常に可愛いでした。
うるうるっと濡れた瞳の善財童子様は、兎の眼で有名な西大寺の善財童子にも何となく印象が似てる気がしたなぁ。

文殊さんをお参りした後は、脇の間にいらっしゃるその他の守り仏様もしっかりお参りする。

拝観券と一緒に五堂巡りの用紙もくださったので、早速お参りしてみる。


稲荷社への途中で振り返ると、桜が満開の浮御堂が見えました。
ちなみに、稲荷社は「金運」です。


次に行ったのが白山堂。朱塗りの美しいお堂です。屋根の曲線が大変素晴らしいお堂なんですって。
こちらは「縁結」。しっかり拝んできました。まだ、諦めてませんよ!


阿迦井の古墳をお参りした後、合格の門を通り抜け、向かうは晴明堂でございます。
藤原の都が一望できる高台です。
二上山が見えて、大興奮!!大津~♪
水煙の左側にうっすら見えてるのが二上山ですよ~
「開運」の場所です。

展望を堪能した後、桜並木を通り抜け仲麻呂堂(浮御堂)へ。
浮御堂だけのお写真撮らなかった!
こちらは「厄除」。
晴明さんの像などが安置されているそうです。春と秋の寺宝展の時のみ厄除け七まいりとゆーのの後に拝観できるようなのですが、オイラ出来ないんだーと勝手に思って拝観しませんでした。失敗したな。晴明さんに会いたかったなぁ。
厄除け七まいりってどんな事するんでしょう?


最後は本堂です。
もちろん「智恵」でございます。
5社巡り終わると、腕輪お念殊をいただけます。オイラはローズクォーツのお念殊を頂きました。(帰ってから母にあげました^^)


最後に表山門に抜けて、帰路に着いたのでした。

白状すると、この後薬師寺へ行こうと企んでたんですが、桜井の駅に着いたのがすでに16:00を大きく回ってます。ルート検索をすると西の京には17:00過ぎにしかつかないことが判明し、泣く泣く諦めたのでありました。
しかし諦めきれず、二上山を愛でながら帰るか薬師寺の前を通って帰るか悩み、結局、橿原線を利用して薬師寺を眺めながら帰った事は内緒にしておこうと思う。









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神社を二か所+α

2011-04-12 14:27:26 | 神社仏閣
4月9日。3dayチケットを利用して、天理にある石上神宮と大和神社を巡ることにした。
最近、朝目覚めが悪く。。。この日もウダウダしておりまして、家を出たのは11時頃。


天理教の信者の方と何度もすれ違いながら商店街を抜けていきます。行く途中の道は、桜が満開でした。
石上神宮には2時頃に到着。人もまばらで、ゆったりできます。
やっぱ、奈良はええねぇ♪



よくよく考えると、以前石上神宮に来てる^^;
あれは数年前。歩こう会と称して月イチ古道を歩くってのをやってた時に行ったんだ。山の辺の道。その中間地点の入口が石上神宮だったんだぁ。
コッコを見て思い出したよ。



楼門。菊のご紋が燦然と輝いてますね。



拝殿。ちょうど祝詞を上げてもらっている方がいらっしゃったので、こそ~っとお参りを済ませました(笑)
元々は拝殿を持たなかったらしいですね。禁則地に今でもその名残が残っているそうです。
ウサギ年の干支みくじがあったので引いてみました。(引くと言うよりは選び取るって感じ)
すると、なななな、なんと!大吉でした~♪
ただし、お酒で自滅するから注意することって書かれてた^^;飲み会は気をつけよう。。。



境内にあった消防用のポンプ。
永久寺と名前があります。お寺からもらったのかなぁ~?



神社の吊灯篭の模様も大好きなオイラ。(鋳物のデザインが好きなのかも。)
この神紋は物部石上氏の紋で、上がり藤です。


 
もちろん、石の灯篭も大好き♪
苔むした感じも良いし、日月星のデザインがいいですよね~^^(後一個はなんだろ?北極星カナ??)


石上神宮の参拝を終えると、そのまま山の辺の道に沿って歩きました。



しばらく行くと、永久寺跡に。
境内にあったのは、ここのお寺のポンプだったんですね。
元々は興福寺系のお寺だったらしいですが、明治の廃仏毀釈にて廃寺になったとか。
今では桜が淵を飾る池がその跡を示しています。


池のほとりには後醍醐天皇が一時身を隠されたと伝えられる、「萱御所跡」という旧跡が残されています。

ここから山の辺の道を外れ、大和神社を目指すことに。
駅でメモしたお手製の地図以外、ちゃんとした地図なしで歩くのだからなかなかチャレンジャーでしょ(笑)


途中、目印にしていた西乗鞍古墳に到着。案外迷子にならずに進んでます。
桜が満開。
前方後円墳のこの古墳、登ってみるとお花見をしているおじちゃんグループが一組いました。

さて、てくてくてくてく、街中を歩きようやくJR長柄の駅が見えました。
こっちと選んだ道は長柄駅へと通じていて、ちょっとだけ遠回りになったんだけど、無事大和神社にも到着。



大和神社。読み方は「おおやまとじんじゃ」
奈良時代、遣唐使たちが出発前に参拝したとされています。交通(航海)の守り神なんですね。
時代が下って、太平洋戦争の頃。かの戦艦大和の守護神とされています。無念の最期を遂げた司令長官以下大和の乗組員2763の御柱も祀られております。


扁額の文字が切れてる~~~^^;



さて、帰りはJR長柄駅から天理まで、ひと駅まほろば線で移動です。
単線ですよ~。ホームも1つ。無人駅でワンマン走行だそうです。


そろそろ16:30。お寺拝観の入場はたいてい16:30までと決まってます。
電車よ急げ~ってな気持ちで(笑)
30分より少し過ぎてましたが、滑り込んだのはこちら。


蓮の鉢がすでに境内に設置されているのは・・・

  
てへへ。薬師寺さんでーす。
5日に行ったばかりなのに、どんだけ薬師寺に行くねーんって突っ込みは無しね(笑)
閉館間際の滑り込みですから、参拝者はパラパラです。
しかし何度見ても、この竜宮造りの金堂は見飽きませんね。東塔西塔も同じく。


いつもは見落とす(落としちゃだめ^^;)この歌碑も、この時期には雪柳に囲まれて賑やかです♪
佐佐木信綱の歌碑です。(←実はあんまりちゃんと知らない。)
石薬師村(三重県鈴鹿市)出身の歌人なんだって。石薬師村って石薬師寺があるところだよね。なんだかお薬師さんにご縁がおありなんですねぇ。
同姓同名、勝手に武将だと思ってました^^;調べて良かった(苦笑)


さらにいつも写さない大講堂。(写せよ^^;)
5時の鐘も鳴り終わり、いい加減退出せいよとお寺に言われている気がしたので・・・しぶしぶ退散。(もっと早く来い)
なんとなく、名残惜しかったので足を伸ばしてみました。


携帯では綺麗に見えないけれど・・・大池から見た薬師寺の伽藍。

こーして奈良での一日が過ぎたのでありました。






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當麻 奥の院と東西塔

2010-07-15 17:17:10 | 神社仏閣
さて、中之坊から出てきたら、なんつっても1300年祭の恩恵で拝むことが出来る東西塔の初層公開へ行かねばなりません。
っつか。過去に何度か訪ねている当麻寺ですが、塔にお参りするのは初めてです。
16時で扉が閉じられてしまうので、急いで行かねば~・・・と思いつつ、でもでもやっぱ本堂のお参りは後には出来ぬ・・・と本堂へ(本当は曼荼羅堂)。
ご朱印もこちらでいただく。

手水の竜が、ごっつかわいいお顔でございました。

んで、ようやく初層をお参りに。

先ずは、西塔。
西塔の基壇は非常に脆くなっているので、塔の前に足場を組んでのお参りです。
平安初期に作られた塔なんだって。
直線的で、がっしりした塔です。

すぐに西塔を拝みに行くかといいますと、TOPのおじさん(石像)に呼ばれまして(笑)
こーゆーきれいな誘惑がオイラをいざなうんですな。。。
ベンガラ塗りでしょうか。丹塗りの塀って珍しくないですか?しかもちゃんと5本線。めっちゃ中国テイスト~(笑)
ふと見ると・・・

竜宮城の入り口みたーい♪
丹塗りの門が石段の上にあるんです。ここはどこでしょう?

先ほどのおじさんが番人をしている門に戻り奥へと進む。ここが奥の院です。
ふと瓦を見ると・・・

じゃじゃーん!
葵の御紋。
天皇家とも徳川とも所縁がある奥の院なんですね。

さて、本堂に着きました。

蓮の花がヒュルリと拝むように伸びてました。

そーっと中に入ってお参りをさせていただく。

奥のお庭も拝見♪

何のお花でしょうか?
葉っぱの感じが蒲に似てると思うんだけど。

ぐるっとお庭を巡り宝物殿の方へ向かうと、先ほど下から見た楼門が間近に!


宝物殿では、二十五菩薩来迎像とゆーのが、めっちゃ可愛いし綺麗だし動き出しそうだし楽しそうだった。それぞれに違った表情だし、見てて飽きない~
人もまばらで、ゆったり宝物館を堪能出来ました。

こんな形の三つ葉葵も。

気になったので受付の方に聞いてみると、徳川さんの宗派は真宗なんですね。で、こちらの奥の院、実は知恩院さんの奥の院らしく、真宗つながりで徳川さんが関わっているそうなんです。いや~。。。びっくり。

ちなみに当麻寺は、浄土真宗と真言宗の2つの宗派からなる珍しいお寺なんだそうです。(詳しくは、お寺のHPをどうぞ!)


妙に可愛いお不動さんもいらっしゃる^^

奥の院でのんびりしていたら、時間がヤバシ!!
ようやく奥の院を後にして、急いで西塔へ。

どどーん。
西塔は基壇の上まで行くことが出来ます。
こちらは奈良末期の作。
直線的な平安初期の東塔と比べると、緩やかな曲を感じる屋根や張りです。
東西でセットで作られているはずなのに、作られた技法の違いなどやはり時代を映し出している。水煙の形も違いましたよ。
こうやって塔を見比べるのって何だか面白いですね。
実は薬師寺の東西塔も、新旧以外にもちょっとづつ作りが違います。(←一部お坊様に教えていただいた。)薬師寺よりも塔と塔の間隔が遠いので、見比べるのも細部ではなく全体で、また違った感じです。

逆光モードで写したら、こんなに丹の色が鮮やかなんですよ^^


金堂のあたりから東西塔を写してみました。
これくらい離れてます。
ようやく金堂をお参りし(←遅すぎ^^;)、インディラな四天王様を数年ぶりに拝む。何度見ても異国情緒あふれるお顔の四天王だぁ。。。

西塔を優先したために後回しになってしまった大師堂へ行くと、法印様が作務衣に着替えてはき掃除をしていらっしゃった。
「あ、タッチの差。今、鍵閉めてもうたわ」と軽やかに言われ、こちらもふふふと笑っちゃいました。
ここでも法印様といろいろお話をさせていただき(めっちゃ面白いんです~)、すっごく心を満たされた当麻寺詣でが終了しました。

帰り道、振り返ると二上に抱かれる当麻寺の境内が。

実はひっそり建っているんだけれど、日本最古の梵鐘が門の近くにあります。

その梵鐘を見ている時、金堂の係をしていたおじちゃんが帰るのに会ったので少しお話した後「おおきに、さよなら~」と言うと、すぐ後ろにいたおばあちゃんとお孫さん風の参拝者のお孫さんも「ありがとうございました!」とおじちゃんに大きな声で言ってました。いい絵やねぇ。いい子やねぇ♪

ぷらぷら~と、どこまで歩いて帰ろうかなぁ・・・と迷いつつ歩いていると、當麻蹴速の塚が。


ここ、相撲の発祥の地なんですよ。

塚の後ろの相撲館の軒先に、ツバメがチュンチュクおりました。
もう少しで巣立ちでしょうか。

マンホールの蓋にも二上が♪
素敵な街だぁ・・・

駅前で中将餅をGETして、五位堂まで歩く決意をする(笑)
中将餅は蓬がすんごく香る、めっちゃ美味しいお餅です。當麻に行ったら是非食べてね。
地図を片手に歩いていると、オイラが帰ることを悲しむかのように(爆)雨が降り出した。

振り向くと、雨にけぶる二上が。

大津、また来るからさ。泣かんといて。
などと、フザケタ妄想をしながら(笑)五位堂へと歩く。
道、分かんないから「たぶんこっち」な歩き方で(^^;)

雨が小康状態になり、五位堂の駅が無事見えてきたころ。
もう一度二上山を振り返ると、雨に濡れて黒々とした木々を湛えて二上山は相変わらずオイラを見送ってくれていた。

田んぼに映る二上山がとってもいいですね。うんうん。

帰りの電車を待っている時に、向かいのホームにラッピングカーが。

額田ですよ。額田王。
他には、柿本人麻呂とかいたのかな。歌人ラッピングでした。

こーして、オイラの長い長い一日が終わったのでした。

家の近所の電車もやはりラッピング。

こちらは機関車トーマスでございました。(写真は、ヘリコプターですが^^;)



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タギマジのテラ

2010-07-09 16:39:42 | 神社仏閣
二上の麓にあるお寺。当麻寺
信貴山の次に目指したのは、当麻寺なのであります。
ってか、この日のメインは当麻寺だったんですけどね^^
当麻寺は、中将姫様が蓮の糸で綴ったと伝えられる當麻曼荼羅が有名なお寺。
この曼荼羅の絵解きというのもがございまして、コレを聞きに行ったのであります。
絵解きは13時から始まりますから、何が何でも13時までに当麻寺に辿り着かねばなりません。
信貴山から気持ちはずっと駆け足で當麻へ向かったオイラです。
当初の予定では、JR五位堂からブラブラ歩いて当麻寺へ行く予定でした。しかし・・・
信貴山へ行ったことと、信貴山で空鉢さんまでお参りしたことでブラブラする時間はなくなっております。
ブラブラどころか、13時までに辿り着けるかどうかさえ怪しい状態。
かなり焦りモードで、王寺の駅からひとまずJR五位堂へ。そこから、タクシーで当麻寺へと行ったのでした。
近鉄の五位堂の駅は比較的にぎやからしいのですが、JR五位堂はかなりのんびりしてますので、タクシーが並んで待っているなんてことはございません。駅員さんに来てくれるタクシー会社の番号を聞いて、急いで呼んだのであります。

無事、13時10分前くらいに当麻寺に到着。
受付を済ませ、絵解きのお部屋へ。
天井画が非常に素晴らしい、普段はお写経やお写仏をする間を絵説きのときに解放してくださるんです。

小柄な法印様が軽快な口調で、拝聴に来た人たちに、絵解きが始まるまでの間話しかけていらっしゃいました。
適当な場所に腰を下ろし、汗がひくのを待つ。
しばらくして絵解きが始まった。

中将姫様が織られた曼荼羅は、とても大きくとても古いので、ここで使われるのは小さく、でも忠実に再現された曼荼羅です。これを竹竿で指し示しながら絵解きをするんですね。
この解きの口調が独特の節回しで、歌っているような諭しているような・・・なんとも楽しい節なのです。
その昔、まだ出稼ぎとかそういったことがなされていなかった頃、当麻寺の付近の農家の方が農閑期に、お参りに来る人々にアルバイト的に行っていたのが絵解きなんだそうです。なので、文字の読めない民百姓でもわかるように解かれている言葉です。非常に分かりやすいのが特徴で、難しい言葉使いはありません。
誰にでもわかる・・・これが当麻曼荼羅絵解きの特徴のようです。(他の絵解きを聞いたことがないので比べられませんが^^;)
昭和の初期まで語り継がれていた絵解き。途絶えちゃう少し前、当時小坊主だった法印様が、当時のご住職にいやいや覚えさせられたのが絵解きだったんだそうです。戦後から高度成長期、農家の方が出稼ぎに出、語り継ぐ人がいなくなり伝承者が法印様だけになった時、お参りに来られる方全員に対応できないからと途絶えてしまったのだそう。唯一お坊様で絵解きを伝承されたのが法印様だった訳ですが、そういった事情で絵解きは途絶えてしまったのです。
しかし長い間語り継がれた絵解き、本当に途絶えさせてしまっていいんだろうか・・・数十年ぶりに現院主様の勧めで絵解きは復活し今日に至っているそうです。

言葉は書きとめれば残るけれど、節回しは書きとめることができない。
本当に途絶えてしまう前に復活してよかったなぁって思う。
いったん伝承者がいなくなってから復興したものは、「こうだろう」という枠を超えることのできない復活でしかないから。(お能や狂言でも最近とみに復活能とかあるけれど、結局のところ「完全復活はあり得ない」とおっしゃっています。そりゃそうね、本物を知っている人がいないんだもの。この時代これが流行っていた、こう書かれているという資料から推察するしかないんだもんね。)

そんなわけで、ええもん聞けてよかったなってこと。

長くなったので、当麻寺続きます。
次回は写真たくさんアップしますね。




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信貴山の本名

2010-07-02 11:54:42 | 神社仏閣
会社のチームがお引越しをし、席替えがございまして・・・どーにも内職がしにくい席と相成りました。
更新頻度が激減致しております。
御心配下さった皆様、オイラは元気です。内職出来ないだけで^^;
でもでも、時間を見つけてちょぼちょぼアップ致しますので、ゆるりとお待ちくだされい。



さて、王寺からプラッと信貴山へ登ることを決め「信貴山下」の駅に到着。
王寺から近鉄でひと駅。150円なり。

ご存知でした?信貴山って、本名は朝護孫子寺とゆーんですよ。
虎を祀っているので、今年は1300年祭と合わせてお参りの方が多いんだとか。

信貴山下からはバスがあるんですがね、これが2時間に3本くらいかな・・・^^;
オイラが駅に着いた時間帯に、バスはありませんでした。
時間の都合上、仕方なくタクシーに。¥1,200-で、参道鳥居前まで行けました。
信貴山下駅から1時間ほどで登れるらしいので、時間があれば自力で登るのも良さそうです^^

信貴山と言えば虎。
いろんな所に虎さんがおりました。

参道の燈籠がいいですね。こーゆーずらっと並んだ感じ、大好きです。

鳥居さんからでも、本殿まではちょっとあります。
ひとまず納経所は通り過ぎ、本殿にお参りしなくっちゃ!



本殿には毘沙門様が祀られております。
つか、額の回りの飾りが百足です!
こーわーいーーーーー(笑)
毘沙門さんって百足なの?それとも信貴山が百足なの~?
百足に対してウダウダ言いつつも、御戒壇巡りへ。
受付のおじちゃんの言いつけをしっかり守り、右手は常に壁を触って進みます。
本当に真っ暗。ちょっとの光もございません。
ドキドキはするけれど、本堂の下を歩いていると思うと、怖さはそんなにないかな。
一つ目の灯明のある場所では、自分の干支の仏様にお参りします。灯明もわずかだし小さな仏様たちなので、中に入る前にしっかり自分の干支守りのと仏様の位置を確認しておくのがよいでしょう。
そして最大の山場は、覚鑁上人様が850年前、夢に出てきた毘沙門様より受け取られたという如意宝珠の奉安されている場所。仏様の持ち物の宝珠ですから、我々が直接触ることはできません。厳重に安置されている場所に施された錠前を触ることで、如意宝珠の功徳を頂けるとの事。
ここにお灯明はございません。如意宝珠が納められた扉は壁とは手触りが異なりますから、手触りが変わったら、手を上下させてしっかり錠前を探し出すことがコツであります。
一願成就の宝珠です。錠前に触れると願いが叶うと言われております。

真っ暗な戒壇巡りが終わると、そこには入る前に見たはずの飛鳥の街が見えます。
なんだか少し違って見えるのは気のせいかなぁ。。。
本堂から町を眺めていると、御戒壇巡りの説明をして下さったおじちゃんが、万葉集のお話をしてくれた。
個人的に、なんつっても大津ラブな人ですから、大伯の詩で大盛り上がり(笑)だっておじちゃん全部覚えてらっしゃるんだもの~(←オイラは覚えてない^^;)
大津関連の詩を説明してもらって、本堂を後にした。

そのまま王子の駅目指して戻ればいいものを、出来る限りお参りしたい誘惑に負け、次に目指したのは空鉢護法堂。
本当は経蔵の経厨子をまわしたかったんだけど、最低3人から回して下さいと書かれている上に、一人では到底ビクともしない重さでした。←一応挑んでみた(笑)
経蔵を諦め、空鉢さんへ。本殿の下アタリから、約600mの所にあるとの事。
高をくくって登り始めましたが、早々に後悔(笑)
だって山道なんだもーん。
しかし登り始めたら後には引けないでしょ。他に登っていらっしゃる方と挨拶をかわしつつ、なんとか頂上まで行ってみたのである。

空鉢さんは巳さんです。(あ、ちょっと略し過ぎ?)
こちらも一願成就であります。
願い事をして祠の前の石の巳さんを持ち上げた時、すっと持ち上がればその願いは成就する、重ければ難しい・・との事です。
頑張って登って、しっかり持ち上げるのも気分がいいですよ。
しかも、一番高い所に空鉢さんはいらっしゃるので、眺めがスンバラです!

ちなみにオイラが巳さんを持った時、軽く持ち上がったけれど、雨にぬれて下の台と仲良しさんになっていた巳さんは・・・ぐっと気合を入れて持ったオイラ→一瞬台にくっついてたがパッと離れてスッと持ち上がる→勢いづいてガン☆と顎にぶつかる・・・とゆー感じで持ち上がりました(笑)

山頂が信貴山城址でもあります。

こんなトコロに城を築くとは・・・昔の人ってすごいよね。
妙な関心をしつつ、下山。

汗だくになって空鉢さんまで行ったけど、結果清々しい気持ちになれてよかった♪

さて、時間も押し迫ってきております。
次の場所へ移動するためにも、ササっとご朱印を頂いて、キリキリと信貴山下の駅を目指さねばなりません。
サクサクっと納経所を目指していると、行きには気付かなかった太子様が。。。

すっかり忘れてましたが、聖徳太子縁の場所でもあるんです。信貴山。
なんか、横笛みたいなのを吹いてました。

ちなみに手水の口は、龍ではなく犬(?)だった。
いろいろ決まりがとがあるんだろうね。

登りの時には気付かなかった像やスルーした堂にお参りをし、無事ご朱印もGET。

もちろん、帰りのバスもタイムリーにあるハズもなく・・・タクシーを呼んで信貴山下まで行ったのでありました。

次回へつづく




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亀山

2010-04-21 09:06:14 | 神社仏閣
鵤から網干へのバスは二時間に1本です。
姫路へ出るバスは一時間に1本です。
この場合、姫路チョイスでしょ~?
ほんの一瞬、白鷺城をバスの窓越しに見て、次に目指すは亀山です。

亀山と言っても、三重県じゃございませんよ。
山電姫路駅から2駅行くと、亀山とゆー駅があるのです。

Q.こちらで下車するとどこへ行けるか

Ans.本徳寺へ行ける

さ、亀山本徳寺と聞いてピンとくるアナタは、新撰組オタクですね。


そーです。第二の目的地は亀山本徳寺でございます。

なんと、本徳寺さんでもこの日は法要が営まれておりまして・・・
あぁ、本堂のお参りは無理か・・・と思っておりましたが、法要は終わっており、蓮如堂に場所を変えてご法話されておりましたので、本堂へのお参りは可でございました。
よかったぁ~^^


この威風堂々たる妻入りの本堂は、1873年に西本願寺より北集会所を移築されたもの。
そーですよ。幕末、新撰組が屯所として利用した建物なのです。
なので、本堂の柱には刀傷もあるんですよ~(あぁ、なんてお行儀の悪い集団^^;)


本堂の入り口。柱が写りこむほどに磨き上げられた縁が良いですね。ツルツル~♪

 
こちらが刀傷。(多分^^;)

個人的な目的はこの本堂でございましたが、このお寺、見どころがたーくさんございます。


見目麗しい太鼓楼


風になびく吹き流し


庭の枯れ池に佇む蛙さん♪ゲコ☆

中でも一番のオススメは、大広間の上段の間の天井画
描かれたのはそう古い時代ではありません。1996年に石川ヨシ子氏がご寄進されたものです。
天井の一枚一間に描かれた花々は、ため息が出るほど美しいです。これを見るためだけに足を運んでもいい!って思える位の美しさです。
特にオイラが気に入ったのが、中央の蓮。ハチの巣が少し見えた蓮を取り囲む4つの蓮のピンクから白、白からピンクへ移り行く色のグラデーションが、再生を感じさせてとても良いのであります。

あとね、オススメが庫裡に面したお部屋にいらっしゃる仏様。
くらーいお部屋の中で、ぼぅ・・・とお厨子が浮かんでおります。
心静かに手を合わせられますよ。

寺事務所で「ご由緒書きを頂けますか?」と聞いたんですが、「(浄土)真宗ではご用意してないんですよ」と言われました。ご朱印をされていない事は知ってましたが、ご由緒書きもないんだ・・・と一つ賢くなったオイラであります。
ご朱印はされておりませんが、記念スタンプはありました(笑)
なので、手持ちのご朱印帳に「今日のお参りに来た印」としてペタンと押してみました。
うーん。ご朱印と意味合いが違うから、今後ご朱印をいただく時に「!非常識な奴だ」と思われちゃうかも・・・と、ちょっとドキドキなオイラなのであります。

蓮如堂以外をゆっくりとお参りさせて頂き、本徳寺さんを後にしたオイラ。

参道の入り口にこんなお船が・・・

今の姫路港に当たる場所が、昔は飾磨津湊と言われて花山法王の時代から瀬戸内の交通の要所だったんだとか。
飾磨街道は「銀の馬車道」とも呼ばれ、明治期には銀を運ぶ馬車の往来もあったとのことで、姫路の陸路海路共に交通の要所でもあったんでしょうね。

そんな歴史ある街を後にして、次に向かうはどこだと思う?
次回、感動の最終回(笑)



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