ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

コメント大歓迎!BUT訳の解らない書き込みはザクザク消しますッス!

大津に会いに。

2013-02-28 17:23:45 | 奈良
中学生の頃からずっとずっと恋しているお相手、大津皇子様。
いろんな歴史上の人物を好きですが、このお方ほど惹かれ続けている方はいらっしゃいません。
1月の話ですが、今年は十数年ぶりに大津に会いに二上山へ行きました。

あ、どーでも良いことですが(って、オイラ的にはこだわってますが)、個人的には「にじょうざん」とは読まず「ふたかみやま」と読んでいます。
「にじょうざん」って響き、趣ないでしょう?
やはり大和の時代を感じさせる「ふたかみ」の響きが好きなんです(*´ω`*)

ってな訳で、運動不足この上ないオイラの頑張り足跡でございます。


今回のルートは二上神社口下車で。

少し歩くと二上山がすぐ目の前に見えます。

「大津~久しぶり~♪」ってウキウキした気分と、「う゛~~~。これに登るのだぁ」って気分と複雑です(爆)



登り口にある葛木倭文座天羽雷命神社に、登山(とユー程険しくはないが)の無事をお願いする。



その昔登ったときは、この道はもっと荒れてていたんですが・・・綺麗に守ってくださっていて嬉しい限りです。

小さなお子様を2人連れたご家族も登ってらして、一人で登っていても心強かったです。
また、ワンコのお散歩でしょうか、山から下ってこられる方もポツポツ。
今でも二上山は愛されているんだと思いつつ、ひぃ~ひぃ~登る登る。



山頂近くなると、残雪などもあり・・・
たかだか517m(雄岳)の山と侮るべからず!って気持ちになりますね。

登り始めて小一時間。
ようやく山頂にある大津のお墓に到着。


どーん♪
こちらが大津皇子様が祀られている二上山の山頂です。
大津の遺体が埋められているわけではありませんが、大津を慕う人の心はここに集まっていると思います。



陵内にある碑には「大津皇子二上山墓」とあります。
磐余にある訳語田の自宅でで沙汰を受け果てたとされる大津皇子。
彼は死後、怨霊となったため、その御霊を鎮めるために二上山に祀られたと薬師寺縁起は言っています。
実際にどこに改葬されたかは、江戸時代に既にその場所はわからなくなっていることから、大伯皇女の歌から推察されているとのことですが、ここに大津の墓が設けられてからは、実際の場所がどこであれ、きっと大津の心はここにもあると思うんですよね。
あれです。あれ。千の風方式。どこにでもあるんです。いるんです。想う限り。
総都合よく考えながら、ぐるりと周りを歩きます。


時計回りで行きましょかね。


盛土部分は丸いんでしょうけれど、境界は四角く取られています。
中に入る扉。。。中に入りてぇ!!


こんもりワサワサ。木がいっぱいです。


なんだか中へ誘う道のようですよね。


灯篭なんかもあります。


ハイ。正面に戻ってまいりました。

初めて大津のお墓に来た時は、確か中学生でした。
天気の良い日で、墓前に寝転んで空の写真を写したことを覚えています。
大津が真上にいる気がしたんだよね。

空を見上げていると、登山途中であったおばちゃんと再会。
ゆるゆるお話を聞いていると、おばちゃんも大津が好きなんだって。時間があるときには、大津に会いに上りに来るそうです。
素敵~♪
ひとしきりおばちゃんと大津談義に花が咲きました。


まだしばらくお参りしているというおばちゃんと別れ、もう少し登ったところにあるホントの山頂を目指す(笑)
行く途中に、振り返ってもう一度大津のお墓をパシャリ。

少し歩くと、すぐに山頂に着きます。

以前来た時には、こんなのあったかな?


山頂には葛木二上神社が鎮座しております。
昔はここに登山料を納めるところがあったんだけど・・・なくなってました。


焦っていたのか、雌岳の山頂へ行かずに當麻へ下っちゃったオイラ。
途中、昔見た木立に似てる・・って思って歩いてたんですが、昔通った道とは違いました。だって、昔は雌岳山頂まで行ってから當麻を目指していたので。
どうやら少しショートカットルートだったのな。登ると非常に険しい道を下ります。
下りは膝にくるって言うけれど、上りの方がしんどいオイラであります。軽快に下っていきましたさ。
オイラを通り越す子供と話ししたりしながら、楽しく下山。


途中にこんな水飲み場があり、いつもと違う道もいいなって思いました。


今度は空のペットボトルを持っていこうかな(笑)


沢に沿って下るので、マイナスイオンもいっぱいです♪

さて、急いでくだったのには訳があります。
大津のお墓に詣でるってのがこの日のメインイベントだったのです。
山頂の陵墓でメイン終わり!

・・・

ではなく、こちらへも絶対行きたかったの!!


鳥谷口古墳。
大津のお墓とも言われている古墳です。


二上山付近にはこの鳥谷口古墳しか、古墳はないそうです。
謀反の罪で自害した大津を、もし古墳を作って弔ったとするなら・・・この小さな古墳は大津のお墓にふさわしいという考えもあるんですって。


古墳の入口はしっかり保護されています。


小さな石棺が中にあります。


花が手向けられているってことは、ここを大津の墓所として参っている方がおられるって事でしょう。
オイラ、花を持ってくる余裕はなかったよ(苦笑)


のんびりと古墳の前でぼんやりして、ようやく當麻へと下っていったのでした。



途中の當麻山口神社の鳥居。


更に下るとこんな碑が。。。


大津を歌った大伯皇女の歌碑ですね。
ちょっと泣ける。

更に下ると、當麻寺の奥の院に着くのです。
拝観料を払って中に入ると・・・

10月桜という小さな可憐な桜が咲いてました。


もちろん寒牡丹もまだ見ることができましたよ。(1月20日に行きました)


ギリギリ滑り込みで見られたようです。
数日前の寒波の頃だったら、雪を被ってたのなかぁ~とか思いつつ。


なんと、三叉も咲いてました。
可愛いねぇ~♪


一応、本堂も写してみる。
この中に中将姫子ちゃんの當麻曼荼羅があるんですね。


當麻寺の境内から見る二上山。
中将姫が見た「美しき人」を見たいなぁって思う。

當麻寺も堪能したので、少し早いけれど帰路に着く。

お腹が空いたので、大好きな中将餅屋さんに立ち寄ります。

中将餅とお煎茶のセット。

こし餡に見えるかもしれないけれど、ところどころに粒がある餡なんです。
草の香りがしっかりしてる、あっさりとした美味しいお餅。
當麻へ行ったら必ずお土産で買うんですよね。お店の中で食したのは初めてでした。


あぁ。のんびり。
大津を詣でた一日でした。





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France×France×Spain  食事編

2013-02-25 13:03:39 | 食べる・食べる時・食べれば・食べれ
大変満足したピアフ観劇。
少々早いんですが、その足で京ちゃまとディナーへ向かいました。
以前、お友達のブログで知ったビストロ・ダ・アンジュのレミディナーです。
ガッツリ堪能した品々をご紹介♪


●アペリティフ

シャンパーニュ「ルネジョリー」ブランドノワールブリュット

腹ペコで喉が渇いていたオイラ達・・・おいちぃ~!!!っと言いながら、ハイペースで飲んじゃいました。
口に含むと甘い香りと清々しさが広がるシャンパンでした。


●前菜

岡山寄島港直送の牡蠣の白ワイン蒸し

前菜と言うにはあまりにもボリューミィーな牡蠣。全部で5個か6個ありました。
海のミルクと称される牡蠣ですが、ほんとにミルク色の美味しい濃厚なお出汁が出てました。
美味しすぎてメロメロの一品。
っつか、これひと皿でコース料理の値段しそうなくらいの量でした。
この牡蠣、姪っ子に食べさせてあげたい!!!


●白ワイン

ジョンティ forコゼット

牡蠣に合わせたのは、ソムリエがコゼットをイメージしたという白ワインのジョンティ。
爽やかな軽い口当たりで、乙女を感じさせるワインです。
濃厚な牡蠣のお味にもピッタリ。


●赤ワイン

手前:エスプリ・ド・ヴィーニュ forバルジャン
奥:マディラン プレニチュード forジャベール

メイン料理には赤ワインを合わせました。
バルジャンをイメージしたとされるヴィーニュは、少しくすみのあるような味わい。司教様と出会った頃やマドレーヌさんの頃のバルではなく、もう少し年老いて神に召される前のいろんなことを悟ったバルジャンな気がしました。
対するジャベなマディラン。これはインパクトの強い赤です。ガツンガツンと攻めてくるって感じ。間違いなく「牢獄で!ジャベール!!!」と歌っている頃のジャベです。個人的には今さんが警棒を捏ねくり回しながらバルを睨んでいるシーンが浮かびましたの事よ(笑)

ちなみにこれがジャベのボトル。錫のラベルがジャベの心の鎧を表しているようですね。


●メイン


子羊のロースト

柔らかいお肉にかかったソースが非常に優しいお味でした。(なんのソースかわからなかったけど^^;)
人参のグラッセも絶品♪


●メイン

寒ブリのポワレ

バターソースに負けない寒ブリのお味。魚料理ですがパンチがあります。
赤ワインに負けないお魚でした。


食いしん坊なオイラ達は、メインをシェアしていただいちゃいました(笑)

ho!non!!
なんてコッタイ。もう一ついただいたワインを写すの忘れてました。

●赤ワイン
サンタムール forファンティーヌ

画像がなくってすみません。
このワインはなるほど、処女ではないものの娘の純粋さを思わせる感じ。
死ぬ間際のファンテというよりは、「待ち続けてるわ、あの人の帰りを・・・」と歌っている時のファンテって感じでした。


●カフェ

エスプレッソ

〆はカフェで。
個人的にめっちゃテンションが上がったのがこちら。

密教の宝具、三鈷杵に似たこの道具。

ウィ~ン。ガシャン。
砂糖を掴むアイテムでした(笑)


大満足のレミディナー。
お味ももちろんですが、料理でこんなに舞台の話題が盛り上がるとは!って感じでした。
映画のレミで選ぶなら、バル・ジャベ・コゼット・ファンテの4人のワインでしょうけれど、エポや学生なんかもどんなのを選ばれるのか聞きたいところでした。
ちなみにオイラは、アンジョは赤よね、マリウスはやっぱ白かな。コンブは白よ!あとひとりは誰選ぶ?レーグルで赤・・・あ、グランは外せないか?ブランデー。京ちゃま的にはフイイ入れたい白?赤? 原作忠実ならクールフェラックも外せんな・・・と取り留めなかったです(爆)


そして、満腹。。。でももう少し飲みたいオイラ達は、場所を梅田に変えて飲み直し。
そこはFranceではなくSpainバールにしたのでした。
なので、タイトルがFrance(ピアフ)×France(ディナー)×Spain(飲み)となったのでございます。


因に、次はがたろうで飲む予定。









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France×France×Spain 観劇編

2013-02-25 10:03:11 | 舞台関係
いろいろ観劇もしているんですが、ちょっぴりすっ飛ばして(苦笑)

2月24日(日)京ちゃまと一緒にピアフ観劇してまいりました。
23日のもーちゃんを、寝坊して観に行けなかったことには触れないでください!!!
(´;ω;`)

さてさて、大竹しのぶさん主演のピアフ。
役者さん目当てというよりは、物語目当てでとったという感じでしょうか。
何度か書いているかもしれませんが、どちらかというとテレビで見る大竹しのぶさんは苦手なんですよね。。。しかも別にピアフが好きな訳でもないとゆー。。。なんで観に行く気になったんだかって感じです(笑)
ディートリッヒを見たときとか、美輪様の舞台を見たときとか、ピアフが出てくるので気になってたんですね。

ま、そんな訳で観に行ったピアフ。

これがまた、めちゃ良かったんです。
っつか、大竹しのぶさんにピアフ降臨してたでしょう?って感じ。
特に歌うシーンはゾクゾクするくらい神がかっていたと思うのは、オイラだけではあるまい。
下手に歌うたいの人じゃないってのが何よりよかった気がするんです。
ヘタとか上手とか。。そういった世界の歌じゃないんだと思う。ピアフの歌って。
だから上手に歌っちゃうとつまらない歌になるんだと思うんですよね。
ピアフ本人の歌より、しのぶさんピアフのCDが欲しいと思いました。

一番泣けたのがカテコ。
演者と演奏者に舞台上で説明して、会場全体で歌った歌にボロボロ泣いちゃいました。

大竹しのぶさんの演技ってすごい引力で、オイラ、大竹さんは前にも述べたように苦手なんですが、その演技には吸い込まれちゃうんです。
肝っ玉母さんの時しかり、トッドさんしかり・・・苦手な役者さんなのに、3時間近く惹きつけるってすごい演技だと思うんですよね。
でも今回は違いました。カテコを含めて、しのぶさんが好きだ!ってくらい惹かれました。
今後も、しのぶさんの舞台は苦手かも~っと思いつつ観に行ってそうな気がする(笑)


ちなみに今回の舞台、しのぶさん以外に誰が一番印象に残ったって、、、藤岡くんでしょう!
声量あるのは重々承知しておりましたが、まさかあそこまでオペラ調で朗々と歌うとは・・・びっくりでした。前回は万里生くんが演じた役なんですってね。それも知らなかったので、ほんとビックリ。
そのあとの役者さんの歌が耳に残らないくらい素敵でした。(他の役者さん、すみません^^;)


ピアフにのみスポットを当てた舞台だなって感想です。
でも、それで十分な舞台です。


でもちょっと・・・登場人物も時代も丸かぶりなので、ディートリッヒと混同しちゃって混乱したのは内緒ね(爆)






食事編に続く。











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おほほ~♪

2013-02-20 10:14:03 | 呟き
朝の連ドラ「ごちそうさん」
キャスト発表だそうで。。。

ドリさんに充希ちゃんとは、めっちゃ楽しみですなぁ~♪
正臣さんもカーネーションに引き続きご出演だし。財前さんも好きだし~

放送は9月30日とまだまだ先だけれど、♪(´∀`*)ウフフで楽しみなのであります。








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記憶に残る2月14日

2013-02-16 14:48:56 | 奈良
「2月14日に思い出す 奈良の素敵な物語」と題された講演を聞きに行ってきました。
2月14日に。

タイトルに惹かれて聴きに行ったのではなく、講師に惹かれて聴きに行ったのであります。
ハイ。ワタクシ、西山先生の大ファンでございます。
もーもーもー。大好きという形容詞以外ありません(←バカ)

さて、西山先生のお話はどんなお話だったのか。
笑い満載の魅力あふれる講演をオイラの文章力では再現できませんが、ちょろっとご紹介。



奈良といえば、大仏さん。
奈良公園の鹿とセットで東大寺の大仏さんを思い浮かべるでしょう。
時は遡り、奈良は天平の時代。ひとつの勅が発せられた。

「大仏を作ろう」

この大仏建立の発願をされたのは聖武天皇である。

聖武天皇とはどんなお方か。
お父さんは文武天皇で、お父さん方のおじいちゃんは草壁皇子。ひいおばあちゃんは持統天皇で、ひいおじいちゃんは天武天皇である。
お母さんは藤原宮子で、お母さん方のおじいちゃんは藤原不比等。
こんな家系の天皇様です。

神仏をよく信仰し、24歳で天皇即位した後、社寺の清浄を命じています。
聖君であれば国は豊かで犯罪がないと信じておられ、受刑者の刑の軽減(やり直す機会を与える)や豊作の時には税の免除なども行ったとか。
27歳の時に皇子を授かり、大変喜んだ帝は生まれてすぐの皇子を皇太子にします。
順風満帆な帝の前に落ちてきた暗雲は、某王(皇太子)の死。
皇太子の死を境に、3年ほどまとまった雨が降らず飢饉が国を襲います。更に追い討ちをかけるかのように大地震が起き、天然痘が流行ります。

「責めは我一人に有り」
帝は、すべての原因は自分にあるとしたのです。

某王没後9年。国に降りかかる禍いを払うべく勅を発せられる。
737年3月3日 国ごとに釈迦仏の像 1体  脇侍菩薩 2躯を造り、兼ねて大般若経一部(600巻)を写さしめよ
同11月3日 畿内と七道の諸の神社を造らしむ

大般若経とは、仏教で非常に重要なお経で、明治時代まで禍いを祓うことができると信じられてきたお経さんです。
そして同じ年に神社も綺麗にせよとおっしゃってるんですね。

そして・・・
741年2月14日 国分寺国分尼寺建立の勅を発布。
中国の、690年則天武后 大雲寺。707年中宗 龍興寺。738年玄宗 開元寺という、日本で言うところの国分寺建立を手本としたとされます。

ここに一つ目の2月14日の物語があるのですね。

国分寺の正式名称は、金光明四天王護国之寺。国のお寺ですから僧侶は国家公務員のようなものです。金光明最勝王経を読み、四天王に禍の消滅を祈ります。
国分尼寺は、法華滅罪之寺といい、法華経を読みます。国家の滅罪を祈り、禍いが起きないように懺悔(さんげ)するのです。
国分寺・国分尼寺はそう言った役割を担ったお寺だったんですね。

国分寺・国分尼寺の勅を発する一年前。
帝は河内国の知識寺を訪れ、そこで盧遮那仏と出会い大仏建立の決意をします。
知識とは多くの力の集合を意味するそうで、知識寺の盧遮那仏もまた、その土地の多くの人の力で作られた大仏だった。

聖武天皇が31歳の時に写された「鏡中釈霊実集」の中に「盧遮那仏」の文字があるので、遅くとも31歳の時には盧遮那仏という言葉をご存知であったことがわかるとのこと。

大仏建立に当たり、聖武天皇はいいます。
「すべての動物 すべての植物が ともに栄える世の中をつくりたい」
そして更にいいます。
「大きな力で造るな。たくさんの富で造るな。」
ではどんな作り方を望まれたのか。
「1本の草を持ってきた人にも ひとにぎりの土を持ってきた人にも 手伝ってもらおう」
帝の心は「何を造るのかではなく、どうやって造るのか」という知識にあったのです。
知識の集まりを目的としていた大仏建立事業は、752年4月9日 大仏開眼という結果を残します。
260万人の人が結縁して造られたとのこと。


時は下り慶応四年。
旧幕府軍に勝利した明治新政府は、天皇を中心とした国家をつくろとします。
天皇家の正当性を強固にするために神仏分離を行います。
その内容は神社に対し、神社に僧侶がいることを廃し、神様を仏教用語で読んではいけない、また、仏像を神社に祀ってはいけないというものだった。

奈良時代に取り入れられた仏教。その性格の近さから日本人は神と仏を融合します。
僧形の神様の像とか、仏を守る神様だとか。いっそ神様やめちゃう神様とか。
時代が下ると、キリスト教のマリア様が融合され、マリア観音などが信仰されます。これはマリア様と観音様が似ているからなんですね。
そうして日本では、神仏習合が長い年月なされたわけです。
これを分離することが、明治政府の狙いです。
だって、神様は天皇家の祖先なわけだから、他のものに寄り添ったり変わったりすると不味いんですね

なのでこの決まりごとは、神社に対してのみ発令されたのです。
お寺はどっちでもいいよ、的な。

これは廃仏毀釈と混同してはいけません。
廃仏毀釈は、お寺やお坊さんに不満をもった民間によって起こった暴動を指すのです。国の政策ではないんですね。

将軍から天皇を中心とした国家とすることは、お寺から神社へと流行りが移る・・・という風潮になります。
その時、先を見越した興福寺のお坊さんは、みんな揃って嘆願書を出します。
「春日さんへ移りマース」って。
それが受理されて、興福寺のお坊さんはみんな春日さんの神主さんになったんだそうです。
なぜすんなり受理されたのか・・・この経緯をザックリ説明すると、興福寺も春日さんもどっちも藤原家に縁があるってことだそうです。(次男三男が興福寺・春日さんに入るというもの)
無住となった興福寺を、西大寺と唐招提寺が管理するも、広大な興福寺を管理しきれず。。。一部の建物が官庁の扱うところとなり、後に廃寺になります。
これを憂えたのは町の人。
どうにかでいないかと考えたのが、興福寺の境内を公園として運営することだったのです。
明治13年2月14日 奈良公園誕生
二つ目の2月14日です。
県民の民意によって興福寺の境内は、ほとんどの建物が壊されることなく守られたのであります。(廃仏毀釈の場合、暴動なので壊されちゃいます)

その後興福寺は復興されるわけですが、その時公園の境界を興福寺の境内だけでなく大きく全体を取り入れたので、奈良公園は日本で唯一1300年の歴史を包み込んだ公園として今日も愛される形となりました。

奈良公園には3つの顔があるそうで、県立都市公園として指定されている場所(春日山、花山など)、名勝としての場所(東大寺など)、漠然とした場所(春日大社、奈良博など)と分けられるそうです。

西山先生はおっしゃいます。
2月14日を思うとき、奈良公園の歴史を思う。
それは公園ができてから今日までの歴史と、公園ができるまでの歴史。
この二つの物語を併せ持つ公園は他にないと。
聖武天皇の知識の場所が今も受け継がれている、そんな場所が奈良公園なのかもしれません。










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大藤原京左京五条八坊の現地説明会

2013-02-15 13:08:29 | 奈良
2月9日、人生で初めて現地説明会へ行ってまいりました。
ニュースなんかではよく目にするんですが、現場へ行ったのは初めてです。


問.何故大藤原京左京五条八坊の現地説明会へ行ったのか。

答.そこが磐余池候補地として有力な場所だから


最近お邪魔するようになったブログでは、ご自身の活動の他、飛鳥中心でいろいろ行われているイベントを幾つか紹介してくださっていて、それで今回の現説を知ったのであります。
ほんとに好きな方は、もっとちゃんと情報を集めていらっしゃるんでしょうけれど、そこは、それ・・・所詮オイラのことですから^^;
知識も関わりも努力も。。。いろんなところが浅いんです(爆)
自分で地道に情報を集めるっていうよりは、こーゆーマメな方の発信に助けられているオイラであります。


さて、その人生初の現説はどうだったかというと、風邪っぴき上り調子だったにもかかわらず、テンションの上がる楽しいものでした。

一番の最寄駅はJR香久山ですが、近鉄大福からオイラは行きました。
道すがら、ちゃんと案内が出ております。

親切ですね。

一日に4回ほど現説があったのかな。
オイラは朝ゆっくり寝てたので(寝坊ってわけではなく、風邪っぴきなので^^;)最終の現説に合わせて行きました。
現場へ行く途中、現説に行くのであろう人や帰りであろう人とすれ違う。
なんか、臭でわかりますね(笑)
ワクワクが増していきます。

現場到着。
今回の調査地は右側の黒く塗られたところ。

昨年、道路拡張工事のための調査で見つかった堤跡の続きの調査なんだそうです。

14時から始まる説明までの間に、ゆっくり見学しました。

何かの基礎のあとでしょうか?
この浅い段差は、この浅さでものがはめ込まれていたのではなく、何回かの埋め立てによって、現在残っている深さになったんだそうです。

大溝の土層断面。
わかりやすいように、土の種類の境界にラインが施されています。

砂利の入っている土、黒っぽい土・・・と層が綺麗に見えますね。
オイラ、土層で時代が判別するものと思ってたんですが、こーいった土の重なりでわかるのは、水に使っていた土かそうでないか、混じりものがある土かそうでないか。。。ってことだけなんだそうです。
この層の中に、何か時代がわかるもの・・・須恵器とか土器とかそう言った遺物が混入されていて、初めてその地層の年代が特定できるんだそうです。

この石敷き部分が、今回の目玉。

三層に石敷きが重なっているそうで、堤の工事に伴い敷かれたものであろうとのことです。

奈良にあるたくさんの池は、人口の池が多く、もともとの地形を生かして貯水をしているそうです。昔の人の知恵ですね。
貯水するにあたり必ず必要なことは、排水施設を設けること。
磐余池候補地の西の端に大門という土地名が残っており、この場所が一番深い溝なんだそうです。
今回の調査地は東に当たり、東の端は樋の口という地名が残っているそうです。
憶測の域を超えないものの、これは池の水を排泄するための施設があった名残で、石敷き部分は護岸施設ではないかと仰ってました。(実際地名には、元々あた物の名前とか、そう言ったいわれのあるものが多いですからね。)

  
石敷き部分をいろんな角度で撮ってみたんだけど・・・あんまり違いが解りませんね(笑)


途中に四角く切り取られている場所が幾つかあるんですが、これは何かの遺構の形なのではなく、地層の繋がりを見るために土を切り取ったあとなんだそうです。
垂直に切り取って断面をチェックするわけですね。


調査の説明をしてくださったのはこのお方。
お名前はわかりませんが、穏やかな口調でいろいろ教えてくださいました。
説明の後に、いろいろお話を聞かせていただきました*^^*
ほかにも、現場には何人かの調査の方がいらっしゃるので、いろいろ質問すれば教えてくださいます。
何か聞きたいけれど何を聞いたらいいか解らないオイラは、質問している方の横にくっついて一緒にお話を聞くとゆー技を編み出しております(笑)
自分で聞くこともありますけどね。

2012年の11月から始まった調査。あの石敷きが出てこなければ年内で調査は終了する予定だったそうです。
石敷きが出たことで、延長して調査がなされたわけですね。
磐余池であると確定するためには、それを示すものが発見されなければいけません。
木簡とかそういうの。
もし見つかれば、すごい発見らしいです。(この年代の木簡はまだ発見されていないので。)
その日が来るまで磐余池は特定できません。あくまでも、有力候補地のままなんですね。なので磐余池と名乗ることはできないんです。

この堤が発見された為、拡張されるはずだった道路は堤を迂回して通されます。
そしてこの調査地、9日の現説のあと埋め戻されるそうです。(来週には埋め戻されちゃいますって言ってました。)遺跡の保護は現状維持が一番ですから。また長い眠りにつくのであります。
埋め戻された堤跡は、公園か広場か・・・そういったものになるだろうとのことです。平城宮跡のような残し方は、ほとんどの遺構では行われません。

今回の調査地から池のあった御厨子の方角を見る。

今は冬なので休田中。


遠い奈良の飛鳥の時代には、こんな感じだったのかな~?

もう少しして水田に水を張ると、磐余池のイメージにピッタリになるんだそうです。
その頃にもう一度来なくっちゃ。


因に反対側の御厨子側から調査地を見るとこんな感じ。


風邪っぴき大将でくしゃみ連発、声ガラガラという状態でしたが、せっかくなので御厨子神社をお参りし、妙法寺で鐘を撞かせていただく。

調査地の横を通り過ぎ、稚櫻神社へ。
前回行った時には気づかなかった・・・

うーたん発見♪

まだ時間があったので、風邪っぴき大将ではありますが、もうひとつの若桜神社を目指し桜井の駅へ行くことに。
ついでに土舞台も見たいな~なんて思いつつ。。。

。。。思っていたんだけどねぇ。。。なぜか土舞台まであと0.4kmって地点で見失い(笑)もういいかぁ、また今度!ってことでスルーしちゃったんですよね。


若桜神社にはちゃんとたどり着きましたよ。

町中にある、小さな神社でした。どんとの跡があったのは、節分の名残かな~。

ようやく桜井の駅に到着。
駅前のパン屋さんでお腹がすいたのでパンを購入。

テレビでも紹介された有名なパン屋さんらしい。

食パンで餡を挟んであげたのが有名らしいけれど、オイラは別のパンを購入。
いちごクリームの入ったフランスパンにかぶりつきました。パン生地がめっちゃ美味しかった!!!(歩き食いはお行儀悪し。やっちゃったけど^^;)

で、反対側にある気になってたお店でお惣菜を購入。


お夜食に食べちゃいました。(風邪っぴきでも食欲落ちず・・・)

サーモンマリネ、コロッケ、食べちゃって写ってないけど春巻き。


酢豚はおじちゃんがおまけしてくれました。

コロッケが甘くって美味しかったなぁ~♪
また、桜井に行ったら買ってみようと思う。




去年はゴロゴロ過ごしてしまったので、今年はアクティブに!ってスタンスですが、風邪っぴきが未だ治らないので、明日のお出かけをどうしようか悩んでおります。






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うぬぅ。。

2013-02-14 10:21:25 | 呟き
昨日、五右衛門ロックを観に行ったので観劇録を書きたいところですが、1月に行ったもろもろ記事とか、書きかけの記事が3つもあって。
それらを既に数日間放置している状態なので、観劇録は書かないかも。。。愚痴にもなりそうだしね。←いろいろ思うところがある。


とりあえず、書きかけの記事をなるだけ早くアップできるように頑張る。


あ。今日はバレンタインデーですね。
本命チョコなんてココントコずーーーーっとない状態のオイラです。
観劇もブッキングしていないので、役者さんにもあげてない(笑)
最近、マイチョコブームがした火なので、自分チョコも買ってないなぁ。(←全盛期には自分チョコを2万近く購入してた^^;)

みなさまはどのように過ごされますか?

オイラは、大好きな西山先生の講演を聞きに行ってきます♪









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東西両塔特別公開

2013-02-08 13:47:14 | 好き・応援
2013年3月1日~3月20日まで、薬師寺さんにて「東西両塔特別公開」が行われます。

この度の解体大修理に伴う調査で、東塔の心柱最上部にて仏舎利が発見されました。
文書に残されている、玄奘三蔵が持ち帰ったお舎利と特徴が似ているというのも興味深いですね。
西塔には、修復を終えた四天王さんを安置。
東西両塔の初層内陣の公開であります。
日頃は扉を閉ざしている塔の内部をおまいり出来る訳です。それもパワーアップバージョンで(笑)

仏舎利は東塔の修復が終了するとまた、塔の心柱の最上部へ(たぶん)納められてしまうので、工事中の今が拝むチャンスであります!!
皆様、ぜひぜひおまいりくださいませ*^^*

ん?
オイラ?

もちろん行くさぁ~♪



チラシに「第一弾」と書かれているところを見ると、工事期間の間に何回かこういった公開行事が予定されているってことですね。
今後、どういった内容の公開をしていただけるのか。。。とっても楽しみであります。


ちなみに余談ですが、今回のこのチラシ・・・めっちゃ可愛いデザインですよね*^^*
ピンクを基調に、東塔の天井に描かれていた法想華をあしらって。。。めっちゃお気に入りなんですが♪
手持ちのチラシは三つ折の跡があるので、綺麗なチラシをGETしに、近々薬師寺さんへ行ってこようと思います(笑)









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遅れ馳せながら・・・

2013-02-07 13:20:54 | 問わず語り(マンガ・本・アニメネタ)
数年前に買ったヴィクトル・ユゴー作の「レ・ミゼラブル」を最近読んでいます。
買ったのはほんとにずいぶん前。
確か、きっしぃアンジョにハマってしばらくしてからですから^^;
買ってすぐ、1巻の導入部分は読んだんです。。。でもね、テナの話ばっかりでつまんなくって、ファンテの話の途中で頓挫しちゃたんです。
今と文章の作り方が違うようで、その時代の背景っちゅーか、いろんな出来事とかを引用しまくった文章なので非常に読み進めるのが大変だったんです。(個人的感想ですヨ)

その後、大ちゃんにハマった時にも読もうと思ったんですが、、、頑張れませんでした^^;
ダメダメなオイラであります。



このほど、「そうだ!好きなところから読もう!!!」と思い立ち、アンジョの出てくるあたり(3巻)から読むことにしたんです。
しかも、最初からではなく、「マリユス」の文字が見えたところから(笑)

するとですね、あれだけ読みにくかった文章が、以外に面白みを増してきまして。
お風呂に入っている20分ほどの間しか読んでないので、そんなに進んではいないんですが、とにかく最近面白いのであります。

さすが、ユゴー様♪

マリユスの生い立ちからアンジョたちと出会うあたりを読んでるのですが、いやはや、ユゴー様はきっとアンジョよりコンブがお好きね!って思える文書にホクホクです。っつか、オイラのイメージしていたミュのコンブより、更にパワーアップのお素敵コンブが原作にはいらっしゃいました。素敵すぎです。惚れ直しました。
やっぱ、コンブ一番好き!
と再確認致しました。
ワタクシ、コンブに一生着いていきます!(あ、決して大ちゃんって訳ではないよ。イメージは大ちゃんコンブで読んでたけど。だって、恒さんコンブとはイメージ違ったし。)

大ヒットコンブの次にオイラの心に響いてるのが、ジョリ。
呼び名がめっちゃ可愛いんです!愛を込めてみんなに、「L」を4つ付けて「ジョルルルリー」 (Jolllly) と呼んでもらってたとか。
可愛すぎるぅ*^^*

あとね、もう忘れられないのが、ABCにマリユスを招いたといっても過言ではない、レーグル。その容貌。。。25歳にして禿げている 禿げている 禿げている・・・
完ッ璧にひできにピッタリの役やってんや!!!って(笑)



そんな訳で・・・
いろいろウハウハしながら読んでいます。
もう、楽しすぎる。

ようやくマリユスがABCに着たところなので、今後頑張ってお風呂の中で読んでいこうと思います。









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