ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

コメント大歓迎!BUT訳の解らない書き込みはザクザク消しますッス!

女性たちの祈りの美のおはなし

2017-03-15 14:34:46 | 奈良
4回シリーズで行われた「女性たちの祈りの美のおはなし」。
オイラは女性神職様のお話の2回を拝聴いたしました。
(女性のご住職様の2回が聞けなかったのが非常に残念)


第一回目は、璉珹寺さんの下間景甫ご住職様のお話。
毎月一回の京終さろんでお世話になっている璉珹寺さん。下間ご住職様にも良くしていただいているのに、お話を聞きに行くことが叶わず残念。
聞いた話だと、阿弥陀様や仏様のお話だけでなく読経をしていただいたとか。。。。くぅ!!



第二回目は葛木御歳神社の東川優子宮司様のお話。


ちょっと早めに市美に到着し、祈りの美を見る。
清水公照様、杉本健吉さん、平山郁夫先生。。。もう、盛りだくさんすぎて一時間半程度では観きれないボリュームです^^;
オイラ、杉本健吉さんの作品って全く知らなかったのですが、ちょっと感動でしたね。


そんな展示の感動を抱えながら向かうは「女性たちの祈りの美のおはなし」の会場です。


東川とかいて「うのかわ」と読みます。
なぜ東が「う」なのかと言いますと、東の方向が卯の方向だからなのですよ。
そう言ってお話を始められた東川宮司様は、奈良盆地を見守る北向きの神社、御歳神社の宮司様です。
荒れ果てた神社の再建の着手をされた方です。
土地の神様が宮司様を引き寄せ、その力に引き寄せられるように協力の方々が集ってくる様子を嬉しそうに語る宮司様。
神がかっているとはこういうことなのだな、と思いました。

御歳神社の「みとし」の「とし」とは、みのり・稲の意味。
「ええとしやったなー♪」って豊作を喜ぶ「良い年」=歳なのだそう。
歳神様は田の神様なのです。
その田の神様が来られるお正月には、鏡餅を飾る。
奥つ御年。(おきつみとし)
田の神様からいただいた大切なものの意味。
歳神様から分けていただいたお餅をのことを指して「お年玉」と言うのだそうです。

御神体は御歳山。(もちろん禁足地です。)
そのお山に抱かれて、自分も自然の一部として自然の中に身を置いていらっしゃる宮司様。
11月23日には奥山清浄があるのだそうです。


「祈り」とは、神様に対し「意」を述べること。
お願いではなく、自身の道を明らかにする決意表明だと宮司様はおっしゃいました。

言霊でもって、有言実行する。
言うことによって、その方向へ自ら行こうとする行為。
それが祈り。

神社ではお祓いをする。
これは魂にこびりついた悪いものを、ささっと払い落とし、神様からの元気をダウンロードすることなのだそう。
だから神社では、神様に甘えていいんだよっておっしゃってました。


最後に「ひふみのりと」と言う祝詞を上げてくださり、講話は終了。

宮司様のウフフな話し方、倉橋さんの話を引き出す絶妙な合いの手。
とても濃密で楽しい時間でした。


あまりにホクホク気分で嬉しかったので、帰りにことのまあかりさんにお茶しに寄りました。

このホワホワした気分にはお酒だ!ってことで、これ、何飲んだんだっけ?
鑑真だったかな。家持だったかな。。。^^;
とにかく一杯引っ掛けて帰ったのでありました。



第三回目は聖林寺の倉本明佳ご住職様のお話。
ご本尊の子安地蔵さまをめぐるお話や、国宝十一面観音さまが聖林寺に来られたいきさつを映像とともに話してくださったようです。

奇しくも、お寺さんの2回を聴講できずとゆー。。。(´д`)



最終回は賣太神社、藤本眞喜子禰宜様の話。

この日はちょっと寝坊したけれど、薬師寺さんへ立ち寄ってから行くことに。

いつも早くに咲く桜。きれーいと思いつつ写メしていると、「これ河津桜というのよ」とお寺の職員さんが教えてくださいました。


梅が盛りを迎えており、とても良い香りです。
夜はもしかするとむせ返るほどかもしれませんね。


竜王社横の日光月光の梅も順調に成長しているようです。


毎度この木の花の名前が覚えられないのですが。。。多分、山茱萸(サンシュユ)。


個人的に好きな空間。


お天気いい日の金堂はほんと惚れ惚れしちゃいますね。
参拝者もチラホラ。良い感じです。

時間的に微妙でしたが、チョー超特急で食べると自分に課して、穀雨さんへ。

ずっと狙っていた「酸辣湯麺」を注文♪


細麺に、山椒と辣油の効いたトロトロスープが絡んで。。。めっちゃ熱い!!!(笑)
でもうま~い(*´∀`*)
ハフハフしながらお汁まで一気にいただきました。


興福寺さんを一気に抜けて、目指すは市美。

そして目的地到着。

藤本さんは、賣太神社の禰宜様で奈良県女子神職会会長でもあるのです。
「女子なんですね~」なんて倉橋さんから突っ込まれて「女性にすればよかったかな」なんてお茶目な回答をしながら、お話スタート。


まずは女性神職さんのお衣装の話。
着ていらっしゃるのがその衣装で、ねじまち袴というそうです。
字は「捻襠切袴」と書くそう。難しい^^;
裾がちょっと絞ったような感じに見えましたが実はそうでもないかも。


稗田阿礼を主祭神に、配祀に天鈿女命・猿田彦を祭っている賣太神社。
今でこそのんびりとした場所となっていますが、創建当初は条里制の基本となった下ツ道に面しており、橋梁の跡が発掘されているところから水陸両方の主要幹線に面した超エリート地に建てられた神社であったことがわかるのです。

さて、この阿礼様。どんな方かご存知か。
古事記の編纂に携わった飛鳥~奈良時代の方。

本居宣長は添上の郡に鎮座する男と言い、平田篤胤は天鈿女命の末娘と説いたらしい。

稗田は、朝廷の祭祀に携わった猿女君のお住まいとのこと。語り部の多くが媼であったこともあり、阿礼ちゃんは女子・・・?
ウチの母、女性として習ったそうです。

しかし古事記の序文に、「時に舍人、有り。姓は稗田、名は阿禮。年はこれ廿八。」とあり、舎人は男性職の名称なので、やっぱり男性・・・?

と、未だに決着はついていないそう。
墳墓などの決定的証拠発見まで、貴方の思う阿礼様が本当の阿礼様で良いとのことでした。
因みに賣太神社の歌の中に「あれさまじゃ、あれさまじゃ、ひえたのあれさまじゃ。おはなしのかみさまじゃ。わしらのじいさまじゃ」とあるそうで、一応、男性の神様として祀っておられるそうです。

お話の神様として確立したのは、大正末期~昭和初期。
小学校の先生を中心に童話を語る会が設立。日本のアンデルセンと言われた久留島武彦らが日本にもアンデルセンのようなお話の神を祭ろうという流れになり、第一回童話祭に稗田阿礼を選んだとのこと。
この童話祭は1945年の8月16日にも開催されており、童話への思いが深く込められているとのことです。

阿礼は聞いたことを自分の中で咀嚼し、自分の言葉にする力を持っていたのだろうと禰宜様は考えておられます。
そうして阿礼がまとめ上げた伝承を、太安万侶が漢文ではなく日本語として書いたのが古事記。
まだカナのない時代なので、その文章は音がひらかなを表しており、非常にむつかしく平安以降江戸時代まで、なかなか研究がなされなかったのではないかとのことでした。


最後の方に少し内緒の話として、明治期に「二十歳以上の男子」と定められた神職でしたが、昭和に入り戦争などもあり女性も神職となることを公に許されたとのこと。
しかし伊勢の祭主を見ても分かるように、古来より神様のお側に使えるのは女性なのですよ、って。

禰宜様が資格を取られた頃には男性の笏法しかなかったそうですが、今では笏法と扇法とがあるそうです。
扇法は女性神職の作法なんだそうです。
お写真で持っておられるブレブレなのは笏。遷宮の際に出た木材で作られた笏なんだそうです。
扇も見せてくださいましたが、朱塗りで美しかったです。扇には絵が描かれているようでしたが、広げて使うことはないそうです。


禰宜様はおっしゃいます。
神さんはいつでも見てくれてはる。そういうふうに大きくなりました。
神の道と書いて神道。
古来より日本人は、自然よりめぐみを受けて生きていることに手を合わせてきた。
仏教の経典やキリスト教の聖書のような教えはない。
自然の中から自然発生的に生まれたので、もの挙げ言挙げをしないのが神道である。

生命が今を生きる確率は、宝くじの一億円が1万回連続して当たるに等しい奇跡。
「今中」(いまなか)
浄明正直(じょうみょうせいちょく)=清らかに明るく誠の心で生きる。
多くの祖先の上に生きる「私」は子孫へとつながっていく。その「今、私が生きている一瞬」これが今中。この一瞬を感じて生きるのが、人の生き方として大切である。



じんわりと心に響く言葉をいただき、「女性たちの祈りの美のおはなし」は終了したのでした。




そしてやっぱりかえりにことのまさんへ寄るオイラ。

カヌレと古墳コーヒーのアイスラテをいただき、心もお腹も大満足したのでした。
















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春を告げる花を生み出す人たち

2017-02-01 14:28:23 | 奈良
薬師寺を好きでたまらない私ですが、中でも花会式の造花は、一度は間近で拝見致したい憧れの存在です。
もちろん、その花を生み出す人たちへの尊敬と羨望たるや。。。

そんなオイラに朗報が舞い込んだのである。

都跡公民館主催の「都跡で望む山焼き~薬師寺花会式のおはなし・しあわせの花造り~」という講座。
薬師寺で青年衆をされている方が、ネットで教えてくれたのです。
速攻申し込み致しました♪


薬師寺から松久保執事がお出で下さり、花会式とはなんであるか。どういった祈りが込められているのか。などのお話をしてくださいました。
薬師寺さんの法話で聞いたことのある話も含まれてましたが、オイラが一番印象に残ったのは、修二会という仏教で最も重要な法要の中に、神道の祈りが内包しているということ。
それだけ日本人にとって、神道と仏教というものが混ざり合い切っても切れない関係であったこと、今も有り続けていることの大切さを解かれていました。
そしてお寺だけでは燃えてなくなってしまっていたものも、地元方が守ってくれたからこそ今日に残されている、、そういった地元との繋がりも、祈りを継承し続けるのに非常に強い力であると。

時代とともにお寺や地域のあり方が変化しても、祈りの本質は変わらない。
「元気に新しい一年を過ごせますように」
これを願い、前の一年に犯した罪を私たちに代わり悔過してくれているのが修二会なのであります。


松久保執事のお話の次に、お待ちかねの薬師寺の修二会「花会式」の造花を作っていらっしゃる、橋本家と増田家のお話なのです。

両家のお話の進行役には、奈民研(奈良民俗文化研究所)の鹿谷先生が当たられました。

①造るに至ったいきさつ。
②どのように造られているのか。
③どんな思いを抱いているか。

以下、ほぼ自分の為の覚書です。


■橋本家■ 橋本眞智子さん

作っている花
・梅 赤、白 340本
・椿 赤、ピンク、しもふり(白地に赤の斑が入ったもの) 320本
・牡丹 赤、しもふり(白地に赤の斑が入ったもの)、ピンク 120本
・菊 黄、赤、ピンク、しもふり(白地に芯部を赤く染めたもの) 120本
・山吹 90本
・藤 6本

合計996本

薬師寺から遠い場所であることから、比較的形が崩れにくい6種類を担当したと考えらる。

元々は曾おじいさんが正暦寺の塔頭のひとつ、成身院の僧侶であった。
明治の廃仏毀釈でお寺は無くなったそう。
おじい様の橋本勝範さんは橋本凝胤和尚と兄弟弟子。
凝胤和尚が薬師寺に配属された際、花造りのお手伝いを始められたと考えられる。
還俗されてからも家に持ち帰って作ったのが始まりか。

現在は兼業農家をされているので、1,2,3月に短期集中型で造られている。

お父様はこの花造りが大嫌いで、絶対継がない宣言をされていたとか。
その理由として、村のほかの家は地元の国有林の下草刈をして収入を得ている時に、この花造りのために作業に加わることができなかったから。また、花造りのため二毛作もできなかった。
どんな花でも良いので納めて欲しいと凝胤和尚に諫められ、花造りを続けるに至った。
奥様がご縁を大事にされる方で、意欲的に花造りを支えられたことで、今日の花造りに繋がる。
眞智子さんは、小さい頃から花造りが当たり前として育ち、常に触れあっていたので継ぐのは当たり前と思ったそうです。旦那様も協力的で(ノロケ有り・笑)、現在お嫁ちゃんも含めてご家族総出で作っていらっしゃるとのこと。

材料集めから紙の染まで、作業の全てを橋本家でしている。
昔は薬草染めであったが、現在は一部化学染料も使用しているとのこと。


■増田家■ 増田茂世さん、夏海ちゃん

作っている花
・桜 紙が一番薄い 300本
・桃 白120本、赤180本
・杜若 紫、白 各30本
・百合 赤10本、白20本、ピンク10本、樺茶20本

合計720本

樺茶色を知らなかったので調べてみると、樺色を帯びた茶色のこと。樺色はバーントオレンジと言われ、焦げたオレンジの意味。樺桜の樹皮の色なんだそう。
江戸前期から使われている和色でした。
非常に不安定な色で、オレンジが強かったり茶が増したり、、、その年によって色合いが違うそうです。 

日中外に働きに出るので、一年を通して花造りをしている。
古地図では、薬師寺の境内に敷地があった。(現在は違いますよ!)
明治頃までは神主や笛吹などをしていた。
戦国時代には寺侍だったとも伝えられており、薬師寺と非常に深い関わりがある。
お寺に近いので、傷みやすい花を担当したと考えられる。
先代が9つの時に事故で他界したことや、おじい様が作業されていた部分などが伝えられる前に亡くなったことなどで、一時期作り方がわからない状態になったものの、橋本家との繋がりが復活(?)したことで現在の花造りに繋がる。
茂世さんはお嫁ちゃんなので、嫁入りしてから花造りを覚えられたそう。
娘の夏海ちゃんは、眞智子さん同様、花造りに触れて育ったものの、お兄様がいらっしゃったので自分が継ぐという意識はなかった。
しかしお兄様が他界したため、いろいろな葛藤を経て、現在、花造りを継ぐ決意を固められました。若いのに素晴らしい!!
現当主の旦那様(夏海ちゃんにはお父さん)は花造りに携わっていないので、現在はお二人で造られているようです。

木の切り出しなどは足場も不安定で大変。男手が欲しいとのことでした。
現在は染は京都の「染司よしおか」さんに頼んでいる。



両家ともにおっしゃっていたのは、タラの木や節の長い竹、程よい太さまで成長した漆の木など、手に入りにくいものが増えているそう。
木々に限らず、梅のずわえを作るときに使う正絹の布団の綴じ糸や、百合の雄しべに使う煤などは、生活形態の変化で手に入りにくくなったもの。
材料を揃えるのも一苦労なのだとか。


面白かったのは、糊。
橋本家では、ご飯をヘラで潰した「そくいい(続飯)」やもち米とうるち米をミキサーにかけて作ったものを使うそうです。
増田家では、もち米粉に水を加え、水の量で糊の緩さを調整するとのこと。
たかが糊、されど糊。。。それぞれ作るお花やアイデアの違いで、同じ糊でもこんなに違ってくるのですね。


眞智子さんは快活でその場をパッと明るくしてくれる大輪の花の様な方。
一方、茂世さんは小春日に咲くほんわりしたお花のイメージ。
次世代を担う夏海ちゃんは、スックとお日様に向かって伸びる凛とした花の様。

それを作るお店ではなく、一般には目に触れないところで試行錯誤を重ね守り続けてこられた造花の技術。
夏海ちゃんが言ってました。
「この形になるように、作り上げてきた昔の人は凄い」
オイラもそう思う。
両家に受け継がれている造花の技術は、立派な無形文化財だと思うのです。

途絶えることなく、花会式がある限り継承され続けて欲しい技術なのであります。


以下、写真とメモ書き



橋本家の紅梅の紙と型抜き。


タラの木と、その芯部分。
芯の部分でつぼみを作るのだそうです。


梅のずわえ。

ツンっと伸びたずわえは、布団の綴じ糸を使って作り上げるのだそう。
ずわえから枝の部分になると、紙テープで作り上げている。
生花でため損なってポッキリ折れた時にも、紙テープで補強しますが、それを思い出させる姿(笑)


増田家の桃の紙と型抜き道具。
下敷きの分厚い木に、たくさんの花びらを打ち出すための打ち出しの跡が、枚数の多さを物語ってますね。


かきつや百合さくら等等。葉っぱやガクなどの細やかなパーツの型紙。




花びらの丸みを出すのに使う棒や、カミソリ、糊付け用のヘラなど。


漆の木は小さく切って、花びらを乗せる台になるのであります。


ちなみに、花びらを一枚づつ手に乗せ棒でいためる(生花で言うところのためる)ことで、花びら独特の丸みを出します。
梅桃は内側をいため、桜は外側をいためるそうです。


この糊は増田家の。


こんな感じで出来上がるのであります。

こちらは橋本家の出来上がり。



橋本家の梅のガク。
梅桃桜と花の構成が似ておりますが、作る順序が両家で違うのであります。

橋本家は、ガクに花びらを二枚乗せる。
増田家は、組立棒に花びらを二枚刺して最後にガクをつける。
出来上がりは同じ様でも、順序が違ったりで面白い。



桃と桜。
雌しべと雄しべの部分が本物と見まごうばかりの出来栄えですが、さて、これは何で出来ているでしょうか?

【答え】
鹿のおしりの毛に、黄蘗(きはだ)の粉をつけたもの。
「におい」と呼ぶそうです。
いやはや、ホンマに匂ふところから採取された毛で作ってるんですね。
ふわふわに見えますが、触るとタワシみたいにゴワゴワしてました。
ちなみに、橋本さん担当の牡丹の中心部分のシベにも黄蘗が施されているのであります。


これが件の樺茶色。かぼちゃ色とちゃいますよ。か・ば・ちゃ!
花びらのシワも手作業で入れるのだそう。
無造作に入っているように見える点々も手作業で決められた通りに入ってます!
こんな点々ユリにあったかな?と思いゆりの画像を確認したら、ちゃんと入っております!自然の造形を忠実に再現しているのであります!


杜若は最新のものと古いものと。色が褪せているのが以前作ったものだそうで、褪せるのは自然染の証拠。
かきつ独特の凛とした花びらの中心に通る白い筋は、後から白い紙を貼るのだそう。


花会式のお話を聞き、造っていらっしゃる方の生のお声を聞き、あまつさえ、間近でお花を堪能させていただきました。
感無量!!!
(((o(*゚▽゚*)o)))


講演の後、松久保執事と眞智子さんと鹿谷先生ご夫妻は先に帰られましたが、残った茂世さんと夏海ちゃんと一緒にママさんフルートコンサートを聞いて山焼きを見ました。


毎年ニュースで見てたけど、生で見るのは初めて!
山焼き前の花火もめっちゃ綺麗でした。特に鹿さん花火は可愛かった~♪

この日は前日までの天気も良く、草もしっかり乾いてて、風も強くない好天だったとか。
近年稀に見る綺麗な山焼きだったそうです。



幸せすぎて、泣きそうな一日でした。
心がパンパンに満たされました。













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ことのまあかりのお正月膳

2017-01-20 11:59:25 | 奈良
小正月を過ぎて久しい今時分に、この記事アップって^^;
と思いつつも、せっかく美味しいモノを頂いたので書き留めておく。


オイラの大好きな奈良のお店「ことのまあかり」さんで、お正月の三ヶ日のみの限定メニュー「奈良のお雑煮 ひとりおせち」を、初詣に行った3日の日に、姉と姪っ子と一緒に頂いてきました。

大阪をゆっくり目に出て、奈良でのランチにお正月膳を頂き初詣。。という算段。
少し早く着いたので興福寺境内をくるっと参拝。
姪っ子、防府天満宮以来御朱印に目覚めたので、興福寺さんでもしっかりご縁を結ぶ。

中谷さんのつきたて餅に張り付く姪っ子に、「せっかくのお膳、美味しくいただきたいじゃん。お腹に余裕があれば後からお餅を買ってあげる」となだめて、ことのまあかりさんへ。

お待ちかねのお膳。

飲み物を選べるので、姉は甘酒、姪っ子はお茶、オイラはもちろんいるかさんを頂く!


ひとりおせちは、見目麗しくお節を少しづつひと皿に盛られております。
個人的にめっちゃお気に入りだったのが、膾をくるくるっと巻いたのん(左上あたり、伊達巻の下)。


そして最近有名になってきた、奈良のお雑煮。
お餅を取り出して、きな粉に着けて食べるのであります。
ふたーつお餅が入っているので、一個は雑煮のお出汁に浸しながら食べ、一個をきな粉まぶせにしていただきました♪
おまけのくず餅もぶるんぶるんで美味しい~☆彡



ことのまあかりさんでしっかり腹ごしらえをした後は、春日さんへ初詣。


式年造替を終えた春日さんには、長蛇の参拝者が!!!Σ(゚д゚lll)
それでも小一時間あればちゃんとお参りできました。

春日さんの御朱印も頂き、お年始のご挨拶終了。




こんな文末ではありますが、こちらに足をお運びくださっている皆様、なかなか更新をしない怠惰なブログではありますが、本年もどうぞよろしくお願い致します。







今年の花びら餅は、師走は三十日に急ぎ買いに行った「菊屋」さんのでございます。
味噌餡の味噌の風味がしっかりした、甘さを抑えた花びら餅です^^












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東大寺修二会 14日 結願

2016-03-15 17:16:24 | 奈良
今年はお水取りカフェに行ったりなんぞして、どっぷり東大寺修二会にハマっていたのかというと。。意外とハマっておらず^^;
結願の14日にようやく行ってまいりました。

会社帰りに、先ずはへいぞうさんで腹ごしらえをし、その後二月堂へ向かいます。


9時前にお堂につく。
既にお松明も終了して久しく、お堂の周りはポツリポツリと人がいる程度。
暗闇に浮かぶ二月堂は厳かな空気に包まれています。

流石に西の局は満杯だったので、東の局に行ってみました。
案外空いていて、スルスルっと前の方に座ることができたラッキーなオイラです。

オイラの虎の巻によると、9時ごろから咒師作法があり半夜となります。
ちょうどその頃に着いたんだと思います。

たまに練行衆の行き交う影や発せられる掛け声、読経の響きを聞きながら、その空気に身を沈めます。

行くの面倒だなぁとか思ったことなどすっかり忘れ、心地よい時間を過ごすオイラ。

南無観では一緒にゆらゆらと心の中で唱えてました。

そして韃靼。
いきなり炎が上がり、内陣が明るく照らし出されたかと思ったら、お松明に点火!
そしてそのお松明を引きずりながら内陣を回るのです。
聞いてました。聞いていたので何をするのかは知っていたのですが、やっぱりビックリです!!!
(((゜Д゜;)))
一気に堂内にすすが充満し、一気に燻されるオイラ。
リアルスモークポークの出来上がり・・・などと罰当たりなことを言ってる場合じゃない^^;

13日14日と韃靼はあるのですが、1945年の3月13日。ちょうど韃靼の頃にB29が東大寺の上空を大阪方面へと飛んでいきました。
不退の行法である二月堂の修二会は、目張りをし韃靼の灯りがもれないようにして続けました。
13日の行法が終わり、翌日朝日が昇ると・・・奈良の街は真っ白になっていたのです。
そう。大阪へと飛んでいったB29は274機。23:57から3:25までの約3時間半で3,987名の死者と678名の行方不明者が出た大阪大空襲の白い灰が街を覆っていたのでした。
ウチの父は当時を振り返って「卒業式がでけへんかってん」と言いました。そんな父の言葉を思い出しながら韃靼の火を見ていると、西山先生のおっしゃった「こんなに祈っても、祈っている最中でも止めることはできないのです。やっても無駄なんです。でも、やるんです。」という言葉が思い出されました。
キリストだって、父なる神に助けられるのではなく、人々の罪を担って磔刑にあうわけで。
神も仏も煌びやかな奇跡で飾らず、遠藤さんの小説が言うように「沈黙」するのです。
父の言葉、西山先生の言葉の向こうにある韃靼の火を見ていると、無常やなぁと。。。
でも、無常だからやめるんではなく、それでも「やる」。そこに祈りがあるんだろうなぁとジンワリきたのでありました。

晨朝が終わると、練行衆は一旦下堂します。
我々も局から追い出されて、局は閉じられます。
空いているのは西の局だけ。
とゆーことは知らなかったんですが、なんとなく流れでおトイレ休憩をした後西の局へ入ったオイラです。

結願上堂で、再度練行衆が上堂します。
そして、破壇。
まさかまさかの、飾りを全部解除していくのです!まさに破壇!!
破壇の後、礼堂で涅槃図を設置します。そしてその向こうの内陣では涅槃講とか牛玉宝印とかお経は続いているんですが、手前の礼堂で着々と組み立てられている涅槃図に気を取られてる間に終わってしまいました^^;

お堂から練行衆が出て、良弁杉の横にある興成社へ。

小さな松明に足元を照らされながら階段を下りていきます。



社での報告(?)が終わると、再度登ってきて二月堂の裏手の飯道社にもご報告。



最後に遠敷社にお参りして、練行衆は再度お堂の中へ。





これは修二会の時に出る灯篭なんだって。




練行衆が出てくるのを待っている松明。
我々もお堂に入らず外で出待ち^^


満行し、練行衆がゾクゾクと出てくるのであります。


粛々と宿所に戻る練行衆。

これで終わりではなく、日が昇ってから一時頃に礼堂にて涅槃講をし、開山堂参拝を持って解散となるそうです。が。
オイラは仕事を休んでおりませんので、そこまで行くことはできません。


二度目はない。。。と思っていた近鉄奈良始発の電車に乗って大阪へと帰り、45分の仮眠の後、出社したのでありました。(前回と同じだ)


1回しか行かなかったけれど、お友達にも偶然会えたし、充実したお水取りでございました。
また、来年。お伺いしようと思います。



さて、次は薬師寺の修二会だじょ!!!
気合入る(笑)









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修二会によせて ~愛溢るるオフ会 食事編~

2016-03-07 17:45:32 | 奈良
お水取りカフェの原型は、個人的にお水取りにちなんだものの形を食材で作り出されたのを、SNSなどでアップしていたことだそうです。
おかずだったり、お菓子だったり。。。いろんなものを「これは!」という切り口で表現されていたのだそう。

それをブラッシュアップしたものが、今回のカフェなのです。

素敵なお料理たちをご紹介。
※法要に使うものや神聖なものを食べるなんて!と思われる方はここから先はご遠慮下さい。




クコの実一徳火と牛玉箱くじ
一徳火を模したクコの実。クコの実はお酒に漬けてあって、美味しいけれど3つ食べたらアルコール検知されそうな感じでした^^
チョコレートを牛玉箱に見立てたくじ。みんなにプレゼントがありましたのよ!!!


椿サラダ
浅漬けした大根とパプリカの花びらなの中には、ポテサラの雄しべが。。。錦糸卵も添えられて、より雄しべの黄色が映えているのが素敵。
お味ももちろんGood!!



過去帳玉子焼
薄焼き卵をくるくると巻いて巻物に見立てたものに、すりごまを更に細かくくだいたもので文字を表現。


文字はなんと転写式!(笑)
いえいえ、箱の底に小さな穴を定期的に開け、そこからごまが落ちる仕組み。
竹のヘラのようなものでサッと掃くと、卵焼きの上に綺麗な文字が出現!!
細かい作業です!!!


椿と過去帳。色合いがベストマッチ♪
奥にお松明がチラ見え(笑)



良弁杉おひたしと人参興成社
朱の鳥居が眩しい良弁杉は、幼い頃の良弁さんがこの杉にひっかかったとの伝説を持つ杉です。
お浸しをこんもり杉のカタチに盛り、鳥居を添えております。
この鳥居さん、食べることになるので置くかどうするかかなりもめたそうですが、個人的には体に取り込むことでなんだかより親密な気持ちになれるので、置いていただいて良かったと思います。
前日に鳥居さん作成現場に居合わせたので、より気持ちが投入されます^^



お松明サラダ
ブロッコリーとアスパラで仕上げるのは、練行衆の足元を照らすお松明です。
斜めに並べているトコロが憎いですね!!
人参ドレッシングでいただくサラダです。


人参ドレッシングでお松明に点火!


火の粉も散って、いよいよ盛り上がりです!!


椿とお松明もベストマッチ♪


残りのお松明にも点火です~^^



お壇供チーズ
お壇供の積み方は独特なのであります。
それをスンバラなかたちで復元!!!



華籠椎茸の肉詰め
椎茸の笠を華籠に見立てたナイス逸品!
椎茸のお出汁とお肉とがあいまって、非常においしゅうございます。



散華ポップコーン
こちらの画像、ワタクシ撮り損ねておりましたので、文花さんのところからお借りしてまいりました。
散華となっておりますが、オイラの頭の中では「櫨の実」かなぁ。。。(過去記事参照
でも食べ物の中に掃き出されたものを入れるのは良くないね^^;



糊こぼし刺身
マグロとイカで糊こぼしを。雄しべに柚子の皮が入っております。
椿の葉にはキュウリを。できれば3枚入れるとより椿になるんですけどね~。(椿は花の周りに3枚の葉があるのです。山茶花にはないんだよ←一応お花の師範<(`^´)>でも、既に名ばかりで素人に格下げ状態ですが)



店内にはさりげなく二月堂灯篭が飾られておりました。



食堂作法風ご飯と行法味噌
修二会師匠のハイミーさん、盛られたごはんはこうやって最後にきれいにこんもり集めてそれからおしゃもじ立てるんですよ、と実演してくださいました!!


きゅっきゅと集められたご飯にすっくと立つおしゃもじ!


文花さんがみんなの分を取り分けしてくださいました(*´д`*)
ご飯に乗っているのが味噌です。



お香水入りお吸い物
本物のお香水を頂いてきてくださってて、それを入れて作ったお吸い物です。
ありがたや~~~
そしてめっちゃ美味しい!!←初代汁らー(汁好き)



授戒の時の石 草餅
ほんのりアールグレイの香る豆菓子と草餅で作られております。
草餅の香りも非常に良いでした♪



お香水入りコーヒー
こちらもお香水を入れて淹れてくださったコーヒー。
お豆はなんと、アカダマさん仕様です!!(少し前に、ことのまあかりさん主催のアカダマさんの講演があったんです。その時に使われたお豆なのだ)


最後のお菓子の段で、文花さんおプチ講演が。

新薬師寺にいらした福岡隆聖和上のお話しでした。
緻密な表現、練行衆だからこその構図など、画家ならでは見解で説いてくださり、非常に興味深いお話しでした。
國界嚴飾(こっかいごんじき)という画集があるそうです。どうやら、奈良県立図書館は所蔵しているようです。貸出不可になっているけど、閲覧はできるのかな?
一度拝見致したい。。。


そして最後に佐野さんの御本も強引にGET!!

サインまで入れていただきました~♪
ゆっくり読むぞぉ( ̄∀ ̄)


お水取りを愛する皆様とご一緒させていただけて、ホント、めっちゃスンバラな時間を過ごさせていただきました。
参加者の中には、大好きなブログを書かれている南無最上様もいらっしゃり、ほんま小躍り状態。
初めましての方も気さくにいろいろ話して下さり、さらには頂き物をしたり。。。もうもう、こんなに皆様の愛に触れてていいんだろうか!!!って感じでした。

宗教行事ですので、こういったオフ会をお好みでない方もいらっしゃるでしょう。
でも、愛の表現方法は人それぞれ。
クサしたりけなしたりしておりませんので、そっと目をつむってください。
私には非常に心温まり、更にお水取りをもっと深く知りたいと思えるオフ会でした。












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ことのまあかり

2015-07-02 10:52:21 | 奈良
奈良は東向き商店街と、小西通商店街のあいだの横丁にある「ことのまあかり」さん。
元はアカダマさんとゆー喫茶だったそうです。オイラはその頃には行ったことがないのですが。。。

ゆっくりな時間の流れる奈良の中でも、木調の店内は更にゆうるりとした時間が流れていると思います。

でもね、あるじさんたちが内面熱い人たちばかりですので、なんていうんでしょう。。。ゆうるりとしているのに何だかワクワク・ガツガツした感じ(爆)
メニューひとつとっても、奈良に縁とゆーゆる~い縛りのはずなのに、その縛りへのこだわりが笑っちゃうくらいコアな場合もあるんですよね。

オイラは一人で行くことが多いんですが、あるじさんたちとお話したりのんびりぼんやりしてみたり。。。飽きることがありません。


ちなみに先日はコレをいただきました。


まくわうりセット。
オイラの周辺ではマッカと言います。
少し甘みのあるシャキシャキした瑞々しいウリです。
オイラはこの日は紫蘇ジュースとセットにしましたが、別のお客のお兄さんはコーヒーとセットで頼んでました^^


古くは2世紀頃には日本にあったようで、古代の人の喉を潤したであろう食材。美濃の真桑村が良質な産地だったそうです。
コレをチョイスするんだもんな~。
しかもこの笥に盛られちゃったら、いろいろ妄想するしかないよね~。

人見知りしないオイラは、知らないお客さんともベラベラ喋っちゃったりして・・・営業妨害になってないか、たまに不安なのでありました(苦笑)
でも、行くのはやめられましぇ~ん^^

皆様も、是非!







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磐余池

2015-06-15 16:46:04 | 奈良
某習い事の帰りに、足を伸ばして奈良は大福さんまで行ってきました。
まぁ、大福についてからも結構歩かないといけない場所ですが。


来た場所はこちら。


以前現説に訪れた大藤原京左京五条八坊

そう、磐余池の最大有力地でございます。

水の張った頃に来たかったんです。
本当はもう少し前に来た方がよかったんだろうけれど。
早苗の植わった水田に山並みが写りこんで。。。もう、妄想の世界です。

現説の時の面影はなく、すべて埋め戻されていました。
代わりにこんな看板ができてました。

調査の結果をまとめた看板です。

道を挟んだ場所には小さな祠。

お地蔵様がいらっしゃるようです。


車の通りは比較的多いかなぁ。
ジョギングをする人が一人走っていった。あとは野良をするおばあちゃんが畑に見える。
そんな周りから離脱して、オイラは一人1329年前に思いを馳せる。。。う~ん、怪しい人(笑)

ひとしきり妄想の世界を堪能した後、帰路に着く。
もう少し早ければ、薬師寺さんを引っ掛けるところですが既に4時半も回っているのでこちらは断念。
雲も低く二上山も霞んでほとんど見えません。

なので二上山の空が焼けるのも無理でせう。。。ってコトで、大和八木でうめもりさんのわさび葉寿司をGETして帰ったのでした。

家で母に「え?田んぼだけ見に行ったん?」と突っ込まれましたが、大津好き(歴史好き)の人ってきっとこんなもんでしょう。











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2015年GW その2

2015-05-08 13:35:40 | 奈良
5月3日(日)
この日は船宿寺さんの特別拝観へ。年に一度のご本尊様・お薬師様の御開帳なのです。
一昨年だったかなぁ船宿寺さんを知ったのですが、重い腰をあげてようやくお参りに。
しかし、この重い腰が功を奏してお稚児さんのある年にお参りできたとゆーご縁。
船宿寺さんは御所からバスで15分くらいの所にあります。御所へも電車の本数が少ない上に、バスの本数も少ない。しかも、朝の8時代には走ってないという。。。解ってたんですが、8時頃御所に到着。観光案内所ですぐに聞けば、8時代にあったコミュニティバスを利用できたのにバス停を探して彷徨っているうちに(バス停を通り越してたので見つけられなかったのだ)コミュニティバスを逃してしまい。。。バスは1時間以上待ち状態に。
観光案内所のおっちゃんがええ人で、船宿寺までの地図と帰りのバスの時刻表をくださったので、1時間以上バスをボンヤリ待つより1時間半歩くか!ってコトで、ザクザク歩くことに。


ほぼほぼ1本道なので歩いても迷いません。ただ、後から知ったんだけど、船宿寺さんまで6.5kmあったらしい。
観光所のおっちゃんの指示通り、途中、小殿で旧道へ入る。


この旧道へ入るところを、どうやら地元の方に見られていたらしい。。。船宿寺さんで「小殿で歩いていた方ね」と声をかけられてしまいました^^; そんなに目立ってたかなぁ~?
流石に6.5kmは結構こたえました。かなーりヘロヘロで船宿寺さんに到着。
はな祭りの準備は万全です。
山伏の休憩所があったり、お稚児さんの集団がいたり♪




大手まりは満開だし、ツツジも鮮やか。




そんな中を通り抜け、本堂へ。


既に法要の準備が整ってたので境内にいた方に中でお参りして良いか聞くと、どうぞどうぞ!って。
ありがたく真ん前に行って般若心経と薬師経を上げさせて頂いてたら・・・何やら入口で「チ~ン」「チ~ン」って聞こえます。取り敢えずお経さんを読み終えてお堂から出ると、既にお稚児さんがスタンバイ!
マジ(゜д゜lll)!
そそくさと本堂から立ち去りますと、ちょうど導師様を引き連れた山伏が本堂を目指してくるところでした。
ヤバイヤバイ((((;゜Д゜))))。
法要の邪魔になるところでした。
散華を撒きながらお堂に来る姿が、薬師寺の法要とはまた違って良かったです。
参道の子供達(いや、じじばばも!)が散華を必死で拾うのも微笑ましい。っつか、君らベッタンでもするん?ってくらい拾ってました。ちなみにオイラは7枚拾いました^^





本堂の前まで来ると、導師様をお堂に送り出すように山伏がお経をあげます。そのお経さんに乗ってお堂へ入っていく導師様。一人だけ残った方が、お稚児さんに功徳を授けてらっしゃいました。




かなり厳しそうなおじいちゃんのお坊様って印象だったのに、梅枝で子供たちの頭をチョンチョンとするときの「ようお参り。元気にな」のお声のお優しいこと!
めっちゃ泣いている子にも優しく語りかけてらっしゃいました。


いいねぇ。こういうの。


お稚児さんの行事が終わると、一般の方がお堂の中に入ってお参りすることができます。
オイラは先に済ませてたので、護摩焚きが始まるまでにお庭を拝見しに行くことに。
オイラは石楠花との相性が悪いのか、どのお寺に行っても綺麗な房も残っているもののたいてい満開を過ぎてます^^;


九輪草は今が盛。




下のお庭も拝見して、御朱印を頂いて戻ってくると丁度護摩焚きが始まるところでした。




四方上下に矢を射るのは薬師寺の護摩焚きで何度か見てましたが、こちらは小刀と斧の場面もあり、なんか、より小角様っぽい?って思っちゃった(笑)








最初はモクモクと白煙筒?って感じだった護摩壇ですが、次第に炎が燃え立ち、最後は轟々と天を焦がす勢いになりました。






この護摩焚きを見ている時に「ひーちゃん?」と声を掛けられました。
なんとFBでお世話になっている二想のメンバーのアケミさんが旦那様とはな祭りを撮影に来られてたのです!
向かい側で撮影してて、何か似てる人おるな~って来てくださったんです。オイラってそんなに目立つのかしらん?
かなり護摩の炎が暑かったので、二人して撤退(笑)

車で旦那様を待つとおっしゃるので、オイラも御所へ引き返すことに。
駐車場で「また二想でね~」って別れて、オイラはバス停へ。次のバスは30分後。。。
行きは旧道を通ったので、30分待つ間に小殿あたりまで下り坂だし歩くか!ってコトで、プラプラ歩き始めたオイラ。
途中小さな祠を見つけたりしながら2駅ほど歩くと、後ろから来た車が急停車。


なんとアケミさんがオイラが歩いているのを見つけてくださったのだ。のみならず、御所の駅まで送ってくださると!!!
ありがたや、ありがたや。。。オイラ的には棚ボタでんがな。
おかげさまで12時台の電車に乗ることができました。
アケミさんたちは久米寺のお練りに行ったそうです。
オイラは・・・


くす(。-∀-)。。。


橿原神宮のエキナカで冷やし坦々面で腹ごしらえをして薬師寺へ。


既に玄奘三蔵会の舞台が組まれておりました。


講堂で大覚師にお会いしたら、正装(っていうの?)のお袈裟を着けてらっしゃって、法要があったのかしら?なんて思いつつ会釈をしたオイラ。御朱印をいただいて講堂をでると、目の前を歩く玄奘様が・・・って、東儀さんやんか~!(笑)
そうです。どうやら、この日は5日に行われる玄奘三蔵会のリハの日だったようです。
楽に合わせて通しをされてました。






オイラは定運師のご法話を聴きに勧進所へ。
ワンコと赤ちゃんを連れた親子のご夫婦さん(多分娘さん夫婦とご両親がお参りに来られていた)がいらしてて、ご法話を拝聴しても良いか尋ねられたところ、定運師は「是非とも聞いていってください」とおっしゃってました。泣いても(哭いても)構いません。赤ちゃんと犬はなくのが仕事なんですからと。
だよね~。そういうと思ったよ。っつか、だめとか言ったらガッカリするところでした。
ワンコも赤ちゃんも笑い満載のご法話の間中、おとなし~くしておりました。
笑わせる話もたくさん盛り込んで話してくださるとっても優しいご法話。仏様の教えを敷居の高いものにせず、オイラ達でも触れる位置に持ってきてくださってるんですね。でもお話の内容は唯識。心のあり方を問われている、自分で見つめ直すご法話なんだと思います。

平城宮跡の天平人にも会いたかったんだけど・・・薬師寺にくると腰を据えてのんびりしちゃうので^^;
結局天平人には会いに行けませんでした。一回くらい行きたいなぁ。。。

5時の鐘が鳴るまでボンヤリ中門で癒されるオイラ。

鐘の音を聞くと、ゴンゾや後藤師だったらしく、最後の一打の直前に子供を発見し、「早く早く~!!!」と呼び寄せ、一打を撞かせてあげてました。これも微笑ましい~。。。

さて、この日はへいちゃんで晩御飯を食べる予定。
6時までゆるゆると時間を潰してへいぞうさんへ。
珍しくこの日はまったりモードで。。。いつも以上にのんびりめぐたんとおしゃべりなんぞしながら美味しい料理を食べたのでした。

ヒラマサのカルパッチョ


バケット


ヒラメと筍の梅味噌炒め


ホタルイカ



更につづく。。。












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2015GW その1

2015-05-07 12:41:17 | 奈良
ウチの会社は、29日の昭和の日を出勤とし、2日の土曜に振替して2日~6日までの5連休がGWでした。そんなオイラのGWはこんな内容だったのであ~る。

5月2日(土)
当初は友達のおこちゃまと奈良公園でピクニックの予定だったのですが、前日におこちゃまがおねちゅを出してしまったので延期に。
なので3日にゴリ押しで入れ込もうとしていた春日さんの特別参拝に行くことに。
普段は入ることのできない禁則地、春日さんの本殿4社の真ん前まで行くことができるのです。西山先生曰く、こんなところまで一般人が入るのは初めてではないか。。。とのこと。
9時頃に近鉄奈良駅に着けるように家を出たおかげで、そんなに混むまでに春日さんへ到着。少し並んだものの、すんなり中に入ることができました。

参拝をしていると、特別に許可を得て撮影をされていた方に付き添っておられた神職の方が、参拝者に時折説明をして下さっていました。せっかくですので、いろいろお話を聞かせて頂きました。一番ほほゥ!と聞いたのが、瑠璃燈籠。御仮殿へ遷座されていた神様の前に一基づつ燈籠が置かれていました。お社を見たときに梁の部分に環があったので、あの燈籠を吊るすのだなと解ったのですが、もともとは瑠璃燈籠という燈籠が掲げられていたとのこと。形が今の燈籠とは違うんですって。現在は宝物殿に瑠璃燈籠は納められているらしい。瑠璃って付くだけで反応しちゃったオイラです。
あとね、第一殿の脇にいらっしゃる天手力男のお社には、蟇股があるんですよとのこと。確かに、他のお社にはない蟇股がございました。
そして、4つの社殿をつなぐ部分の絵。もともとは板に直接描かれていたので、造替のときに取り外され衝立などの装飾品に仕立てられたものもあるんだとか。しかし板に直接描くと絵の具の発色が良くないなどの理由で、漆喰を塗りその上に描くようになったのです。そうすると、板に直接描いていた時のように取り外すことができません。なので漆喰を削り剥して、そこに新たな漆喰を塗り込めて描くようになったんだとか。今回も剥がしちゃうんですか?と尋ねたところ、保存できる形で剥がせないか検討中なんだそうです。どうなるのか気になりますね。

じっくり神様がいらっしゃった社殿を見させていただき、その後御蓋山に参拝、山藤を堪能♪砂擦りの藤より山藤の方が生き生きとして綺麗でした。


思いのほか春日さんでのお参りがスムーズに済んだので、鹿と戯れつつ昼過ぎに取りに行く予定をしていた子福利餅(こうごりもち)をいただきに樫舎(かしや)さんへ。

昼過ぎに取りに行きますと言ってたのに、早く行ける旨を伝えると快くお出で下さいと言ってくださいました。行ったり来たりせずに済んでヨカッタ~♪
お店の中には、お水取りの松明や、高田和尚の「かたよらない心」が飾ってありました。
家に帰ってから樫舎さんのお餅を初めて食べたのですが、激ウマで感動です。ウチの父も喜んで食べてました。


奈良での最後の予定はお昼ご飯。
その前にマトリョーシカ展の会場を覗いたのですが、まだ開館しておらず。。。残念ながら見ることができませんでした。
で、だ。お昼ご飯。
2度目の穀雨さんへ。餅飯殿にある4月末にオープンしたばかりの中華粥のお店です。
今回は丼にしようと思っていたのですが。。。やはりお粥さんにしちゃいました!しかもおかわりもしちゃったのだ!(お粥一杯のおかわりが金額に含まれてるんです)

前回も思ったけど、角煮が半端なく美味しい。

デザートもさっぱりしてて美味しいし。

今後もお粥さんを頼んじゃうんだろうなぁ。いつになったら丼を食べられることやら^^;

お腹を満たしたので後半戦。大阪へととんぼ返り。

天王寺の市立美術館で行われている南画展へ。
FBでお世話になっている二想の方が出展されていたので、拝見に行ったのであります。
春日さんがスムーズだったので、大阪にも予定より早く戻れたのでゆっくり拝見することができました。

南画というジャンルは、言葉だけ知っててどういった作品なのか全然知らなかったオイラです。
基本は水墨で描くんですね。金をポイントで使うのが最近の流行りらしい。
いくつかとっても気に入った作品がありました。朽ちた築地塀に映る木漏れ陽を描いた作品、善財童子に導かれる女の子の作品、円空菩薩を描いた作品、、など。墨の濃淡だけでも生き生きと描き出された作品はスンバラでございました。墨に五彩ありってヤツですね。
知り合いの方の作品は、二十五菩薩。當麻寺の練供養をモチーフに描かれたんだそうです。14日の練供養をお参りする前に見ておきたかったので、じっくり拝見できてよかったです。
会場で初めましての方にもお会いし、いろいろお話できたのも楽しかったですね。

せっかく天王寺まで来たので、ゑびす屋さんでとろろ昆布を購入。ここのとろろが美味しくって大好きなのです。
ついでなので、赤松種苗さんで母の日用のミニバラもGET。

夜はマンションの理事会があったので早々に帰宅。
いろいろと用事を済ますことができた一日でした。


長くなったのでつづく







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二上山と高松塚古墳壁画見学会

2015-01-27 19:01:33 | 奈良
2015年初の大津詣では、1月も黄昏近く・・・25日になってから行きました。
っつっても、本当に登るかどうかはギリギリまで思案してたんですが。
とにかく先に決まったていた高松塚古墳の壁画見学会の前に、二上山付近に行くことにしました。



大阪側からの二上山。上ノ太子駅まで来ると、駅やその他の建物と被ってお山がちゃんと見えなかった^^;

いつもは二上神社口からお山を目指すオイラですが、神社口からの登山ルートは階段が多くて厳しい・・・と助言をもらっていたので、登るにせよ登らぬにせよ二上山で下車することに。
しかし、二上山の駅前(山側)は解りづらい道だにゃァ^^;


専称寺さんあたりに来てなお「登ろうかな・・どうしようかな」と迷うオイラ。(←登れよ、オイラ!)
春日さんの境内で、幼稚園位の子供たちを引率する一団と遭遇し、山登り決定。
こんな小さな子が登るのに、オイラも頑張らねばって気分になったのだ。


比較的なだらかな山道です。
うん、神社口から登るとすぐに階段になるもんな。
神社口ルートとの合流地点直前くらいでちょっと急な上りで階段になりますが、こっちのルートの方が断然楽。
今後はこのルートからしか登らんぞ。


一時間半ほどで無事大津の元にたどり着く。
今更ですが「アケマシテオメデトウ。コトシモヨロシクネ」と手を合わす。


この日の大津の空は曇っていた。
あれ~?途中まで晴れてたんだけどな^^;


いつも通りぐるりと一周し、次の場所へ向かうべく大津の元を立つ。


馬の背から見える雄岳。
今回は雌岳へは登らずに、そのまま祐泉寺に下ることに。

雌岳から當麻に下りるルート違って、このルートはかなり急で険しいのです。
登るのは絶対嫌!下りる以外には利用しないコースなオイラの目に飛び込んできたのが、最近お世話になっているFBのコミュの方。
なんでも二上山を登る会か何かで、二上山に登って降りてまた登る・・・みたいなことをしているらしい。元気やなぁ^^;
お互い「何やってんのー?」と声をかけてすれ違いました(笑)


上りのヘロヘロはどこ吹く風?と、軽快に下るオイラ。
お山のお水も気持ちいい~♪


苔むした木も趣あるねぇ。。。
根っこのウネウネ具合もええ感じです。


無事に下山し、鳥谷口古墳に到着。


いつも綺麗なお花を供えてくださってて、ここに来るとほっこりします。


池までくるとお山を振り返らずにはいられません。
「またおいでやー」って、お山さんも鳥谷口古墳さんも言ってくれてる気がするんです。


當麻の街へ下る途中、トラックで八朔を売っているのに遭遇。
迷わず買ってしまった☆


この日のメインは二上山ではなく高松塚古墳の壁画見学です。
當麻寺は境内を通らせていただくだけに止めました。お参りはまた改めて。。。
っつか、今年のお練りにお友達のお子さんがお稚児さんで参加なので、お練に必ず参りますぞ!!!

當麻の駅に向かう途中に柿の葉ずしのヤマトの販売所があるんです。
なので、ここで家へのお土産の柿の葉ずしと自分のお昼ご飯を購入。


當麻の駅前には「どっこいまんじゅう」のお店があります。
2年ほど前かな~?食べた時美味しかったんです。
なので、久々にGETすることに。(お昼買ったのに!)


前回同様、焼きたてを持って駅ナカへ。
駅のベンチでカブリつくのら。


FBでお世話になっているコミュの方オススメの渋皮栗を食べたのですが、めっちゃ美味しいです!!!
季節限定のりんごも気になったんだけど。。。限定品のあるうちに、また来れるかなぁ。

當麻の駅から目指すは飛鳥。
飛鳥駅から高松塚古墳へは徒歩10分程度です。
古墳から出土した石室の修復現場は、平成20年から年に2回特別に公開しているそうです。
たまたま、知り合いの方がFBやツイッターにこの公開をアップして下さったので知ることができました。
事前予約制ですが、その回の見学上限人数に満たない場合は、当日受付もしているんですよ。

オイラは14:30~16:00の最終回に申し込んでおりました。
14:30より少し早めについたので、休憩所で遅めのお昼を。


ヤマトさんで購入した「三色そぼろ」。
ポテサラに卵にデザートまで付いて500円はめっちゃお得やと思う!
モリモリ食べて、14:30少し前に受付へ行きました。

14:30以降の見学より1つ早い見学の組に移動させてもらえたのでめっちゃラッキ~☆


冊子をもらって、14:45の回で見学致しました。
最初に高松塚古墳の簡単な説明をスライドを交えてしてもらった後、10分程度の見学。最後にアンケートに答えて、約30分くらいの見学会です。

以下、内部の写真撮影・録画は禁止されておりますのでオイラの覚書。

・昭和47年の発見当初、すでに鎌倉時代に盗掘にあっていた。石が一部壊されており、その隙間から内部が観察できたとのこと。

・古墳の形状はこんもりした山型ではなく、途中に一段弾がある鏡餅型である。

・古墳はいくつもの層になっており、一層づつ土を盛っては突き固めを繰り返して作ったことが伺える。

・江戸時代の南海沖地震の影響でできたヒビが、突き固められた地盤にいくつも見つかっている。

・江戸時代に描かれた図では文武天皇陵と記されているが、現在文武天皇陵は別のところにあるので、被葬者は不明。但し、発見当初、石室内には壊れた柩と人骨があり、45~50歳位の男性であることが判明している。古墳の作られた年代と被葬者の年齢から、数人の候補は上がっているとのこと。

・一日に1cm四方程度しか進まないクリーニングを地道にした結果、黒カビの除去はかなり進み、発見当初に近い復元がなされつつある。

・石室の大きさは1.5帖程度。高さは1m程度。大人二人がしゃがんで入るといっぱいいっぱいになるくらいの小ささ。現在は石室を解体し、石の1面づつクリーニング・修復・研究の作業がされている。

・柩は漆塗りの木製だった。但し、粉々に潰れた状態で発見された。盗掘の際に壊されたのか、その後の土砂で壊れたのかは聞いていないので不明。(しくった!)

・唐で作られた鏡が副葬品として見つかっている。(同じ鋳型の鏡が中国で出土しているらしい。)

・石室内部に施された絵は、1~2cmの漆喰を塗った上に描かれている。

・男子群像にべったりついている赤いものは、盗掘跡の隙間や古墳のクラックから入り込んだ土砂に含まれる鉄分がついたもの。土砂により漆喰ごと剥げ落ちている箇所も。鉄が付いた部分は絵の具が剥げ落ちており、絵の復元は不可能。

・女性群像は比較的色彩がキレイに残っており、美しい。

・描かれている絵に意味があるのか(何か物語になっているとか、エジプトのピラミッドのように死者を守ったりさばいたりする神が描かれてるとかそう言った意味)聞いたところ、唐で流行っていた図柄が、そっくりそのまま描かれているとのこと。しかも唐の石室(墳墓)は大きく、描かれている人物も等身に近い大きさなのに対し、高松塚古墳のものは、数分の一スケールで描かれているとのこと。これは石室に合わせて描いた結果である。
704年に帰って来た遣唐使が持ち帰った図柄であろうと思われる。(高松塚古墳は704年以降に作られているので)

・石の接合部分は切り欠きがされており、平たい面を単にくっつけたのではなく、互い違いに組み合わさるように加工がなされている。

・石は凝灰岩で、非常に脆く水に弱い。二上山の屯鶴峯あたりで切り出されたもの。

・修復後は、現在の技術では古墳の中に戻すことはできない(防カビ対策などができない)ので、しかるべき場所で保存することになる。現在協議中とのこと。(個人的には奈良から出さず、保存していただきたい)



そんなこんなで、奈良満喫の一日でした。













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