現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

長崎夏海「星のふる よる」

2019-09-19 07:52:57 | 作品論
 一年生のかりんと一つ年上で同じ団地に越してきた少し不良っぽい(と言ってもまだ小学二年生ですけれど)カズくん(作者は不良っぽい男の子が好きですし、描くのもうまいです)との心の交流を描いた作品です。
 低学年向きの作品ですので紙数も限られていて、「星が瞬くときに「しゃらん」と鳴ったような気がした」、「黒い古傘に穴をあけてそこから漏れてくる太陽の光を昼間の星とする」、「「東京の空なんて(スモッグで汚れていて星が少ししか見えないから)うそなんだぜ」というカズくんに対して、「見えていないだけで、この中には、沢山の星が光っているんだ」と気がつくかりん」といった、少ないけれど作者ならではの優れたアイデアをつないで、都会に住むそれぞれは一見孤独に見える子どもたちの結びつきや、働くことの意味、さらに言えば長崎のジェンダー観までが描かれています。
 作者は、「児童文学の魅力 いま読む100冊ー日本編(その記事を参照してください)」にも入っていた「A DAY」や日本児童文学者協会賞を受賞した「トゥインクル」など学校をドロップアウトしかけている中学生たちを描くのが得意ですが、(「不良を描けばいい児童文学になるのかよ」と作者にかみついた1990年ごろがなつかしいです。)、最近は低学年ものの作品が多いようです。
 これには、児童文学界の出版事情があります。
 目黒強の論文の記事にも書きましたが、最近の小学校高学年や中学生の読書傾向では、伝記は相変わらず強いものの(ただし、男子はゲームの影響で三国志や戦国武将に偏っています)、世界名作やいわゆる「現代児童文学」はさっぱり読まれず、男子は「ズッコケ」や「ゾロリ」(中学生はライトノベル)、女子は児童文庫の書き下ろしラブコメやミステリーものなどが大半を占めています。
 「現代児童文学」の書き手にとっては、低学年向け作品は最後のフロンティアなのです。
 彼らの年代では、自分で買うよりも、媒介者(親、教師、図書館の司書など)から手渡されることが多いでしょう。
 そのため、まだ「現代児童文学」が参入できるマーケットがあるのです(挿絵が多いので、作者の印税は少ないですが)。
 私が本を出していた80年代や90年代でも、編集者からは「できるだけ低学年向けに」「女の子向きに」と口を酸っぱくして要求されていました。
 これは、様々なエンターテインメント(本などはごく小さなマーケットシェアしか占めてはいなくて、ゲーム、アニメ、コミックス、音楽、映画、そしてSNSなどが、小学校高学年以上の子どもの使うお金の大半でしょう)があふれている現代では、ビジネスを考えるとやむを得ないことかもしれませんが、ビジネスでない領域で作者の新しい思春期物を読みたいなと思っています。

星のふるよる (おはなしボンボン)
クリエーター情報なし
ポプラ社

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