2005年に読売新聞の夕刊に連載が始まった、私も愛読させていただいている「時のかくれん坊」という随筆の、記念すべき第一作です。
その時、筆者は73歳ぐらいではなかったかと推察しますので、「老い」という未知の領域へ差し掛かった時に、その「老い」について著者の父上(亡くなられたのが90歳のようですので、当時としては非常にご長寿です)を基準(著者の場合は30歳差)に考えられているのが、自分の経験からしても非常に興味深いです。
私の場合は、82歳で亡くなった父と37歳差なのですが、1999年に亡くなった時は、自分が基準にすべき残された37年という年月がずいぶん長く感じられたのですが、それから20年以上が経ってしまうと残された時間が非常に貴重で愛おしく感じられます。
私自身も、身体的精神的な衰えは既に実感しているのですが、著者が感じたような本格的な「老い」の時間はこれからです。
そんな時に、人生の先輩である著者の、非常に自覚的であり客観的でもある「老い」についての考えや描写に接することは、これから「老い」を生きる上で、おおいに勉強になります。
まあ、そう大げさに考えないでも、この随筆のような滋味のある文章に接する機会は、最近は新しく書かれたものではほとんど絶無ですので、それだけでも非常にありがたいです。
余談になりますが、2018年の12月に、帝国ホテルで開かれたある文学賞(児童文学部門もあって、友人が受賞したので招待されていました)の受賞パーティで、著者と偶然お目にかかる機会があり(その文学賞の過去の受賞者のなので招待されていたようです)、少しお話しできました。
パーティの途中で退席した時に、タクシー乗り場で、一人でタクシーの後部座席に乗り込もうとして、苦労されている著者にでくわしてしまいました。
思わず手をお貸ししようとも思ったのですが、そばのドアマンが平気な様子なので、遠慮してしばらく様子を見守っておりました。
しばらく時間がかかったものの、なんとか著者が一人で乗り込んで、タクシーは走り去っていきました。
おそらく、著者は、随筆に書かれているとおりに、そしてこの時のように、できるだけ他の人の手を借りずに、「老い」の生活を立派に営んでいらっしゃるのだなあと、励まされられる思いが非常にしました。
おしゃれなスーツをダンディに着こなし、立ち姿の美しいその時86歳の著者は、「老い」の一つの理想形なのかもしれません。
著者と談笑している時に、まわりでコメツキバッタのようにへこへこしていた、そのくせこの随筆も著者の当時近刊だった小説も読んでいないのがバレバレの、その出版社の編集者たちの醜い姿と対照的だったせいもありますが。
その時、筆者は73歳ぐらいではなかったかと推察しますので、「老い」という未知の領域へ差し掛かった時に、その「老い」について著者の父上(亡くなられたのが90歳のようですので、当時としては非常にご長寿です)を基準(著者の場合は30歳差)に考えられているのが、自分の経験からしても非常に興味深いです。
私の場合は、82歳で亡くなった父と37歳差なのですが、1999年に亡くなった時は、自分が基準にすべき残された37年という年月がずいぶん長く感じられたのですが、それから20年以上が経ってしまうと残された時間が非常に貴重で愛おしく感じられます。
私自身も、身体的精神的な衰えは既に実感しているのですが、著者が感じたような本格的な「老い」の時間はこれからです。
そんな時に、人生の先輩である著者の、非常に自覚的であり客観的でもある「老い」についての考えや描写に接することは、これから「老い」を生きる上で、おおいに勉強になります。
まあ、そう大げさに考えないでも、この随筆のような滋味のある文章に接する機会は、最近は新しく書かれたものではほとんど絶無ですので、それだけでも非常にありがたいです。
余談になりますが、2018年の12月に、帝国ホテルで開かれたある文学賞(児童文学部門もあって、友人が受賞したので招待されていました)の受賞パーティで、著者と偶然お目にかかる機会があり(その文学賞の過去の受賞者のなので招待されていたようです)、少しお話しできました。
パーティの途中で退席した時に、タクシー乗り場で、一人でタクシーの後部座席に乗り込もうとして、苦労されている著者にでくわしてしまいました。
思わず手をお貸ししようとも思ったのですが、そばのドアマンが平気な様子なので、遠慮してしばらく様子を見守っておりました。
しばらく時間がかかったものの、なんとか著者が一人で乗り込んで、タクシーは走り去っていきました。
おそらく、著者は、随筆に書かれているとおりに、そしてこの時のように、できるだけ他の人の手を借りずに、「老い」の生活を立派に営んでいらっしゃるのだなあと、励まされられる思いが非常にしました。
おしゃれなスーツをダンディに着こなし、立ち姿の美しいその時86歳の著者は、「老い」の一つの理想形なのかもしれません。
著者と談笑している時に、まわりでコメツキバッタのようにへこへこしていた、そのくせこの随筆も著者の当時近刊だった小説も読んでいないのがバレバレの、その出版社の編集者たちの醜い姿と対照的だったせいもありますが。