現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

木村義雄「ある勝負師の生涯」

2020-12-20 13:48:39 | テレビドラマ

 昭和二十七年に出版された将棋の十四世名人である著者の自伝「将棋一代」を、将棋観戦記者の天狗太郎が、遺族の了解のもと、将棋関係者以外には難しいないしは興味が持てないと思われる部分は梗概にして読みやすくし、巻末に著者の息子で将棋八段の木村義徳の「父の思い出」という小文を付け加えて、著者の家庭人の様子を補足して、平成2年に出版したものです。
 一読して、著者の文章の酒脱さと抜群の記憶力に驚かされます。
 高峰秀子「わたしの渡世日記」の記事にも書きましたが、どんな分野でも一芸に秀でた人は、例えいわゆる高等教育は受けていなくても、文章力と記憶力に優れているので、ゴーストライターを使っていない自伝ならば、面白い読み物であることが保証されているようです。
 特に、著者の場合は、将棋界初の実力名人(それまでは世襲だったり、実力者が推挙されたりして決まっていました)なのですから、記憶力が抜群なのも当たり前かもしれませんが。
 後半の将棋史に関わる重大事件も将棋ファンである私には興味深いのですが、前半は大正から昭和初期にかけての庶民の暮らしが、子どもの視点で克明に描かれていて興味深いです。
 貧困、子沢山の職人一家の暮らし、長屋の様子、母や兄弟との死別、父子の愛情、口べらしで養子や奉公でいなくなる幼い弟妹、貴族の館での奉公などが、将棋修行と共に、淡々とそしてそれゆえに痛切に描かれています。
 それは、同時期の代表的な児童文学である「赤い鳥」にはもちろん、その裏舞台で書かれていた「プロレタリア児童文学」にも描かれなかった、本当の庶民の子どもたちが描かれている、優れた児童文学作品といってもいいと思われます。

ある勝負師の生涯―将棋一代 (文春文庫)
木村 義雄
文藝春秋
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山口瞳「続血涙十番勝負」

2020-12-20 13:14:35 | 参考文献

 小説現代に連載されて、昭和四十九年に単行本化された、好評だった作者によるプロの将棋棋士との対戦記(その記事を参照してください)の続編です。

 飛車落ち戦を前回で卒業した作者の、今回の手合いは、角落ちです。

 ここまでくると、アマチュア名人クラスでしか指せないものなので、さすがの作者も苦戦します。

 対戦相手は以下の通りです(肩書は対戦当時のものです)。

第一番 白面紅顔、有吉道夫八段

第二番 神武以来の天才、加藤一二三九段(ヒフミンですね)

第三番 東海の若旦那、板谷進八段

第四番 疾風迅雷、内藤国雄棋聖(九段)(演歌歌手としても有名ですね)

第五番 江戸で振るのは大内延介八段

第六番 泣くなおっ母さん、真部一男四段(段位は低いですが、奨励会を卒業直後の指し盛りです)

第七番 屈伸する名匠、塚田正夫九段

第八番 岡崎の豆戦車(タンク)、石田和雄六段

第九番 振飛車日本一、大野源一八段

第十番 天下無敵、木村義雄十四世名人

 結論を言うと、これは手合い違いで、作者の一勝九敗(それも九連敗後の最後の一勝はお情け臭いです)に終わります。

 また、対戦相手も、前作と重複を避けたため、現役のタイトルホルダーは内藤棋聖だけで小粒な感じは否めません。

 個人的には、最終戦で引用されていた木村名人の文章を読んで、その著書「ある勝負師の生涯」(その記事を参照してください)に出会うきっかけになった事が、望外の収穫でした。

 

 

 

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山口 瞳「血族」

2020-12-20 13:06:20 | 参考文献

 母方の血族を執拗なまでに調べ上げていって、菊池寛賞を受賞した著者の代表作です。
 かつてはたくさんの私小説作家がいましたが、ここまで自分の親族をあからさまに、しかし恬淡として描いた作品はなかったのではないでしょうか。
 特に、母親の長所も欠点もこんなにあっけらかんと書けるのはすごいと思いました。
 一般的な小説の書き方としては、あまりうまくないでしょう(野坂昭如も書評で同様なことを述べています)。
 繰り返しや重複が多くて、読んでいてイライラする読者も多いと思われます。
 私は、作者の「血涙十番勝負」(アマチュアとしてはかなりの腕前の作者が、将棋のプロ棋士に駒落ちで挑戦します。続編もあります)や草競馬流浪記(衰退してあちこちで閉鎖されて十七か所しか残っていない現在とは違ってまだ二十七か所もあったころ、全国のすべて地方競馬場(山口の言葉を借りると草競馬)を巡るという競馬ファン垂涎のルポ)などのノンフィクションの愛読者なので、こういった作者の書き方には慣れています。
 全体の筋としては、出生の秘密(実際に生まれた日が兄(母が違う)と近すぎるので、別の日を誕生日として出生届された)、両親の結婚の秘密(妻子ある父が母と駆け落ち、今の言葉でいえば不倫の末のできちゃった婚)、母の生家(横須賀で遊郭(遊女たちに人には言えないようなひどい仕打ちをしていて、その呪いで子孫が絶えていると言われています)、母の謎の縁者たち(親戚ではなく、遊郭での仲間で、そろって生活力のない美男美女)などの謎を、親類や横須賀の遊郭の跡地などを訪ねて綿密に調べ上げていく話です。
 しかし、作品の魅力は、謎解きそのものではなく、その過程で繰り返し述べられる魅力的であった(美人で性格も実務能力も優れていた)母への強い思慕と、作者及び母があこがれていた安気で安穏な暮らしへの強い憧れです。
 最後から二番目の章で、作者は、それまで脇役でしかなかった父方の故郷を初めて訪れ、血族たちに会って号泣します。
 それは、もうほとんど絶えてしまっている母方の血族ではなく、確固たる「安気で安穏な暮らし」を維持している父方の血族をその目で確認できたからでしょう。
 それをふまえて、作者は、最後の章を簡潔に以下の文章だけで締めくくっています。
「私は、大正十五年一月十九日に、東京府荏原郡入新井町大字不入斗八百三十六番地で生まれた。しかし、私の誕生日は同年十一月三日である。母が私にそう言ったのである。」
 この作品は、私小説としては不出来かもしれませんが、この本が出たころにはその言葉はなかったであろう私ノンフィクション(この本の直後に、沢木耕太郎などによって確立されたと言われています)としては、傑作だと思います。
 児童文学でも、かつては自分のルーツを探る作品(後藤竜二の「九月の口伝」(その記事を参照してください)など)がありましたが、絶えて久しいです。

血族 (文春文庫 や 3-4)
クリエーター情報なし
文藝春秋

 

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