母方の血族を執拗なまでに調べ上げていって、菊池寛賞を受賞した著者の代表作です。
かつてはたくさんの私小説作家がいましたが、ここまで自分の親族をあからさまに、しかし恬淡として描いた作品はなかったのではないでしょうか。
特に、母親の長所も欠点もこんなにあっけらかんと書けるのはすごいと思いました。
一般的な小説の書き方としては、あまりうまくないでしょう(野坂昭如も書評で同様なことを述べています)。
繰り返しや重複が多くて、読んでいてイライラする読者も多いと思われます。
私は、作者の「血涙十番勝負」(アマチュアとしてはかなりの腕前の作者が、将棋のプロ棋士に駒落ちで挑戦します。続編もあります)や草競馬流浪記(衰退してあちこちで閉鎖されて十七か所しか残っていない現在とは違ってまだ二十七か所もあったころ、全国のすべて地方競馬場(山口の言葉を借りると草競馬)を巡るという競馬ファン垂涎のルポ)などのノンフィクションの愛読者なので、こういった作者の書き方には慣れています。
全体の筋としては、出生の秘密(実際に生まれた日が兄(母が違う)と近すぎるので、別の日を誕生日として出生届された)、両親の結婚の秘密(妻子ある父が母と駆け落ち、今の言葉でいえば不倫の末のできちゃった婚)、母の生家(横須賀で遊郭(遊女たちに人には言えないようなひどい仕打ちをしていて、その呪いで子孫が絶えていると言われています)、母の謎の縁者たち(親戚ではなく、遊郭での仲間で、そろって生活力のない美男美女)などの謎を、親類や横須賀の遊郭の跡地などを訪ねて綿密に調べ上げていく話です。
しかし、作品の魅力は、謎解きそのものではなく、その過程で繰り返し述べられる魅力的であった(美人で性格も実務能力も優れていた)母への強い思慕と、作者及び母があこがれていた安気で安穏な暮らしへの強い憧れです。
最後から二番目の章で、作者は、それまで脇役でしかなかった父方の故郷を初めて訪れ、血族たちに会って号泣します。
それは、もうほとんど絶えてしまっている母方の血族ではなく、確固たる「安気で安穏な暮らし」を維持している父方の血族をその目で確認できたからでしょう。
それをふまえて、作者は、最後の章を簡潔に以下の文章だけで締めくくっています。
「私は、大正十五年一月十九日に、東京府荏原郡入新井町大字不入斗八百三十六番地で生まれた。しかし、私の誕生日は同年十一月三日である。母が私にそう言ったのである。」
この作品は、私小説としては不出来かもしれませんが、この本が出たころにはその言葉はなかったであろう私ノンフィクション(この本の直後に、沢木耕太郎などによって確立されたと言われています)としては、傑作だと思います。
児童文学でも、かつては自分のルーツを探る作品(後藤竜二の「九月の口伝」(その記事を参照してください)など)がありましたが、絶えて久しいです。
血族 (文春文庫 や 3-4) | |
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