ドルフィンスイミングクラブの進級記録会も、最後の一級のテストになっていた。
「ラスト50」
プールサイドから、杉沢コーチの声が飛ぶ。
雄太は、個人メドレー四種目目のクロールを、全力で泳ぎだした。
25メートルを勢いよく泳いで、クイックターン。
数回力強いドルフィンキックをしてから、さらにラストスパートをかける。
両腕を思い切りかくたびに、大きく水しぶきがとぶ。疲れてフォームが乱れてきた証拠だ。
それでも、ゴールを目指して懸命に泳いだ。
プールの上の階にある更衣室は、進級記録会を終えたスクール生たちで混み合っていた。
下のプールでは、引き続き選手コースの人たちの月例記録会が行われている。
「一級よ」
張り紙を持って入ってきた女性コーチが、みんなに声をかけた。
雄太たちは、着替えを途中でやめて掲示板にかけよった。
「よっしゃっ!」
雄太は小さくガッツポーズをした。
張り出された合格者の一番上に、雄太の名前と二百メートル個人メドレーのタイムが印字されていた。
今回もトップ合格だった。
これで次のレッスンからは、スクールで一番上の一級になる。
ドルフィンスイミングクラブにはこれより上の級はないので、次のレッスンからは、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールのそれぞれのタイムを縮めたり、フォームを矯正したりするしかない。
今まで上のクラスへ進級することだけを目標にしてがんばってきたので、雄太はなんだか少し拍子抜けがする思いだった。
「山下」
更衣室を出ると、杉沢コーチに声をかけられた。いかにも水泳選手って感じの逆三角形の身体をした、大学の水泳部の現役選手だ。
「はい」
「ここのところ、タイムが上がっているな」
杉沢コーチは、雄太の記録票を見ながら言った。
雄太が立ち止って黙っていると、
「どうだろ。選手コースのこと考えてみてくれないか。おまえなら、小学生のうちに全国レベルになるのも夢じゃないんだけどな」
雄太が無言でうなずくと、
「一度、ご両親と相談してみてくれ」
杉沢コーチは、選手コースのパンフレットを雄太に押し付けた。
「一級です」
受け付けのおばさんに声をかけると、
「おめでとう」
と、金色のイルカのバッジを渡してくれた。
雄太のバッグには、色とりどりのイルカのバッジがもう13個もついている。これが最後の14個目のバッジだった。
「おとうさん、これ」
夕食の時に、雄太は選手コースのパンフレットを差し出した。いつもは会社からの帰りが遅いのでいないけれど、今日は日曜日なので夕食はみんなと一緒だった。
「なんだい?」
とうさんはビールのグラスをテーブルに置いて、パンフレットをひろげた。
そこには、選手コースのスケジュールや費用、そして、一流選手になった先輩たちの体験談も紹介されていた。
選手コースは一般のスクールと違って格段に練習時間が多いけれど、月謝は普通のスクールと比べてもそれほど高くなかった。かあさんによると、好成績を上げればスクール全体の宣伝になるからじゃないかとのことだった。
「今日一級に合格したんで、選手コースに移らないかっていうんだ」
「ふーん」
おとうさんは、パンフレットをじっくり読んでいる。
「今回もトップ合格だったので、コーチたちも期待しているのよ」
進級記録会を見に来ていたかあさんが、横から口を挟んだ。今日の雄太のレースも、いつものようにガラス張りの二階席から見ていた。
とうさんは、日曜日は平日の仕事の疲れを取るためにいつも昼近くまで寝ているので、一緒には来ていなかった。
「うーん、ゆうちゃんがやりたいんならいいと思うけど、ヤングリーブスの方はどうするんだい?」
とうさんはパンフレットから目を離すと、雄太に言った。
ヤングリーブスといわれて、雄太はドキンとした。
雄太は、スイミングだけでなく、少年野球チームにも入っていたのだ。
まだ五年生ながら、打順は三番で守備はサード。チームの中心選手だった。
選手コースになると、週に三回も正式な練習がある。さらに、将来一流選手を目指すなら、それ以外の日も自主練をしなければならない。
ドルフィンスイミングクラブのプールには、一番端に選手専用レーンがあって、選手コースの人たちはいつでも自由に練習できるようになっている。
そして、スイミングクラブがメインテナンスのために休みの木曜日も、ほとんどの選手が市営プールで練習しているそうだ。
週末も記録会や大会があって、一年中休みがないといってもいいくらいだった。とても、少年野球との掛け持ちはできそうにない。
雄太には記憶がないけれど、スイミングにはおかあさんと一緒のベビークラスからずっと通っている。
おかあさんによると、雄太は初めからぜんぜん水を怖がらなかったのだそうだ。もしかすると、生まれつき水泳に適性があったのかもしれない。
そのあとの 幼稚園前のリトルのクラスは楽しかったことだけ覚えている。
リトルでは、水を怖がってプールの中ではいつもコーチにおぶさっている子もいたし、おかあさんを捜してずっとプールサイドで泣いている子もいた。
そんな中で、雄太はいつも大はしゃぎだった。
両腕に小さな浮き輪を、腰にはウレタンのヘルパーをつけているから、泳げなくても水に沈む心配はぜんぜんない。いつも水の中で大暴れして、コーチに怒られてばかりだった。
そして、幼稚園からは正式にスクールに入って水泳を習い始めた。
「どうしようかなあ」
雄太は、自分のベッドに寝転がりながら、選手コースのパンフレットをながめていた。
選手コースに入って、まずは地域の小学生の大会にでる。それから、全国大会だ。中学生になれば、学校別の大会もある。優秀な選手は、中学生の頃から大人の大会にもでる人たちもいる。
やがては日本選手権だ。そして、オリンピックへ。
雄太の夢はどんどん広がっていった。
一週間後、雄太はとうとう選手コースに入ることを決意した。
みんなでやる少年野球も魅力だったけれど、水泳でどこまで上へ行けるか挑戦したい気持ちの方が強かった。
次の練習の時に、雄太はおかあさんについてきてもらって、選手コースへの変更手続きをした。
ドルフィンスイミングクラブの所長の渡辺さんも、受け付けまでわざわざ出てきて、雄太を激励してくれた。
「山下くんは有望ですよ。特に平泳ぎがいい。ブッとすると、北島康介みたいになれるかもしれない」
スイミングスクールのみんなは、雄太の選手コース入りにはびっくりしていたけれど、
「じゃあ、ぼくも」
と、一緒に選手コースに移ろうとする者はいなかった。
翌日、雄太は今度もおかあさんと一緒に、ヤングリーブスへ退部届を出しに行った。
チームの松井監督は残念そうだったけれど、
「じゃあ、スイミングで頑張って、いつか金メダルを取ってくれよな」
と、最後には励ましてくれた。
もしかすると、野球の方は水泳よりは才能がないと思われていたのかもしれない。
監督はあっさりとあきらめてくれたけれど、チームの仲間、特に同じ五年生たちは将来の主力メンバーを失ってがっかりしたようだった。
「ゆうちゃん、やめちゃうの。来年の県大会出場は絶望だあ」
雄太と一緒に五年からレギュラーをやっている慶介は、そういって残念がっていた。
選手コースの練習は、予想通りにきつかった。
一応四種目とも練習は続けていたが、特に期待されている平泳ぎには特訓が待ち受けていた。
普通に何本も泳ぐだけでなく、足にヘルパーを挟んで手だけで泳ぐ練習がきつかった。疲れてくると、上体が十分に浮き上がらずにたくさん水を飲んでしまった。
コーチによると、野球やサッカーで鍛えていた下半身に比べて雄太は上半身が弱いので、平泳ぎのカキやクロールのプルを集中的に泳いで上半身を強化するとのことだった。まだ、小学生なので、マシンを使っての筋トレなどはできないので、水中で強化しようというのだった。
毎日、毎日、黙々とプールで泳いでいると、雄太は少年野球チームのことが次第に懐かしく思い出されるようになった。
選手コースにも小学生の仲間はいたけれど、水泳は基本的には個人競技なので、チームメイトというよりはライバルという感じの方が強かった。
それほど強くなかったけれど、和気あいあいと練習していたヤングリーブスの仲間たちが恋しかった。
そして、途中でチームを辞めてしまったことが後悔された。
小学生の間は、いやせめて六年生の夏の県大会が終わるまでは、野球と両立させたままでもよかったのかもしれない。
月末の進級記録会の時に、選手コースの月例記録会も行われていた。
雄太は、今回は二百メートル個人メドレーでなく、百メートル平泳ぎに出場した。
二階席には、いつものかあさんだけでなく、今日はとうさんもやってきていた。ガラス越しに、ビデオカメラをこちらに向けている。選手コースになって初めての記録会なので、とうさんも期待しているのかもしれない。
雄太は最下位でゴールした。タイムも練習の時のベストから5秒以上も遅かった。50メートルを過ぎてから、手のカキと足のキックがバラバラになってしまったようだ。スクールの進級記録会のレースの時にはもっとのびのびと泳げたのに、今日はすっかり緊張してしまっていた。
(よし、明日からもっと練習しよう)
雄太はそう思っていた。
記録会での失敗が、かえって雄太の負けず嫌いな気持ちをむくむくと起させたようだ。
もう少年野球には未練はなかった。自分が水泳でどこまでいけるかがんばってみようと思っていた。