とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

水平思考と垂直思考(2)

2015-12-23 23:42:58 | 哲学・社会
先日の

水平思考と垂直思考、その更に奥
http://blog.goo.ne.jp/booter/e/2ecf16b7cf6997fa7370061c9cdd2953

が実に好評で続編をやることになりました。



などということは一切無い。
実態として無反応であった(当たり前)。


ので、今回も私の脳内書き出し帳として自由にやらせていただく。


今回は機転の効いた水平思考の実例を、前回書き出した「機転の発想をどう行うか」という方程式に当てはめながらトレースして行こう。

1.JR西日本の転落防止策


発想の転換!!JR西日本の酔っ払い線路転落防止策がまさに「へー!」だった - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2142795615241492301



酔っ払いがホームから転落する事故は10年前から倍増

"国土交通省によると、2013年度、ホームの乗客が絡む人身事故は全国で221件起き、10年前から倍増。そのうち酔客は約6割を占めている。"
出典人身事故は年々増加傾向みたい。今日も京浜東北で人身事故



「酔っ払いの転落事故」のイメージと実際の事故は違っていた

"「酔客がバランスを崩して軌道転落や触車に至るケースは少なく、ホーム端にさしかかっているにもかかわらず、転落箇所(ホーム端)から先にもホームが続いていると酔客が誤認していたために、躊躇なくホーム端から足を踏み出し、軌道転落や触車に至っていると見受けられるケースが目立った」"


よっぱらいが転落するの、フラフラしてて踏み外すんじゃなくて、酔って座ってる人が電車の音を聞いて、乗らなきゃって飛び出して行って落ちるのか。。



この結果をもとにJR西日本がやった転落防止策がなるほどだった

"ホームに横向きになるようにベンチの向きを変えたのです。なーるほど、これだったら距離も稼げるし、周囲の人が止めに入るまでのエキストラ数秒が稼げますね! わかってしまうと、な~んでこんな単純なことに今まで気付かなかったんだろう、調べればわかることなのに、という感じです"



ということで今回のケースは垂直向きにベンチを直したという水平思考というややこしい話であったが、これを見て行きたい。


2.状況

・JR西日本は乗客の転落事故を防ぎたかった。
・垂直思考(愚直に考える)では、ホームドアの設置が転落防止になる。
・だがそれだとお金がかかる。
・そこで分析をした。すると、泥酔客が電車の音を聞くと同時にホームへ急いで走り出してしまうことが大方の原因と分かった。
・そこで走り出す方向を変える為、設置しているベンチの角度を、ホームと並行する向きではなく、ホームと垂直する向きに変更した。


3.検証

先日の水平型思考の方程式は、「最終的に○○できればいいので」「その形を変える」である。
今回のものは、ホームドアの設置などコストをかける、という金銭費用発生を迂回してその課題を達成している。

そこには「転落を防止する」という事象の防止の先に、「実態としてどういう転落が起きているのか、どういうプロセスで転落するのか、背景と理由、動機は何か」という事象の奥まで見つめて対処している。だからこのような解決策が図れたのだろう。

水平思考における発想のキーは、「報告されている課題」は表面上のものであり、その奥に隠された問題の本質は何か、を分析する、あるいは分析する為の資料集めや調査をすることである。

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人は生まれか育ちか

2015-12-23 20:12:04 | 哲学・社会
このテーマの遺伝子学的な結論が出てから結構経つので、もう世間には周知のことではあるとは思うのだが、知らなかった私の備忘の為にここに書き出しておく。

結論としては、生まれか育ちかという議論(nature-nurture debate)については意味が無い。「生まれか」それとも「育ちか」というどちらかの選択肢がその後の人生に作用するかという設問自体が適切ではなく、その双方が生後の成長に作用することが分かっている。これを今日見ていこう。


1.
マシュマロ・テスト ウォルター・ミシェル P93より

 一九五五年、ワトソンとクリックがDNAの構造解明に取り組んでいたのと同じころ、「エイブ・ブラウン氏」が一〇歳になる息子の「ジョー」をオハイオ州立大学心理学科のクリニックに連れてきた。当時私は、博士課程の訓練生としてそのクリニックにいた。ブラウン氏はとにかく急いでいたようで、隣に座っているジョーについての、ただ一つの質問を単刀直入にぶつけてきた。「とにかく、これだけ教えてください。この子は馬鹿なんでしょうか、それとも、ただの怠け者なんでしょうか? 」
 ブラウン氏の見も蓋もない質問は、マシュマロ・テスト(引用者註:マシュマロ・テストとは、人はいかにして欲求に対する耐性を身につけるか? という研究において、幼児を対象とした心理学的テストの略称のこと)について講演するたびに、心配顔の親たちが(たいていは、もっと如才なく)口にする同様の懸念を反映している。それは、ジェイムズ・ワトソンが幼いころに悩み、賢くも自ら答えを見つけたのと同じ疑問だ。そしてそれは、私の講演で話が人間の行動の原因に向かうと出てくる質問、多くの場合、肝心要の質問だ。それは生まれのせいなのか? それとも育ちのせいなのか? ブラウン氏と過ごした最初の数分で、生まれと育ちに関して氏が口にはしないが抱いている考え方がはっきりした。もしジョーが馬鹿なら、ブラウン氏はなす術がないと感じており、それを受け入れ、息子を大目に見ようとするつもりだった。一方、もしジョーが「ただの怠け者」なら、息子に「焼きを入れる」ための躾の手段としては、相当思い切ったものを用いる覚悟のようだった。


同著 P98より

研究者たちは双子研究を使って、生まれと育ちが分離できるかのように、それぞれの別個の貢献度を割り出そうとしてきた。彼らの先駆的研究には感謝すべきだろう。そのおかげで、私たちは生物学的作用に基づく生き物で、あらかじめ多くのものが組み込まれており、育ちに劣らず生まれも重要であることが明らかになったからだ。だが、遺伝についての研究が深まるにつれ、生まれと育ちとを簡単に分離できないことがわかってきた。特徴や人格、態度、政治信条など、人間の気質や行動のパターンは、一生にわたって環境要因によって発現の仕方が決まる遺伝子(たいては複数の遺伝子)の複雑な作用を反映している。私たちが何者で、何者になるかは、途方もなく複雑なプロセスの中で遺伝子の影響と環境の影響の両方が行う相互作用の表れなのだ。 「どれだけ?」という問いは、もういい加減、お蔵入りさせるべきだろう。なぜなら、単純に答えられないのだから。カナダの心理学者ドナルド・ヘップがとうの昔に述べているように、それは、長方形の大きさを決めているのは縦の辺の長さと横の辺の長さのどちらかと問うようなものだ。


同著 P100より

 難問は、環境に対するこの反応性を可能にするDNAの物理的属性を解明することだ。じつは、DNAの比較的少ない部分が、文にまとめられた単語(遺伝子)をコード化していることがわかった。こうした文のあいだに収まっているDNAの大半は、機能が謎の、何もコード化しない「がらくた(ジャンク)」だと長く思われていた。ところが、最近の研究で、コード化をしないこれらのDNAの長い連なりは、ジャンクにはほど遠いことがわかってきた。それらは、私たちの遺伝子がどう発現するかを決定する上で最も重要なのだ。「ジャンク」は、環境から届く手掛かりに反応して、どんな文が作られるか(そして、いつ、どこで、どのように作られるか)を決める、大切な調整スイッチで満ちている。環境が遺伝子発現にどう影響するかという研究分野の先導者フランシス・シャンペーンは、こうした発見を踏まえ、生まれと育ちはどちらがより重要かという議論をやめにして、代わりに、遺伝子は実際に何をするのか、そして、環境は何をして遺伝子のすることを変えているのかを問うべき時が来たと確信している。



2.
生物は生まれか育ちか、その個体差はどこで決まるか。
その答えのもう一旦を見ておこう。

バッタとは、バッタ目(直翅目)・バッタ亜目に分類される昆虫の総称であるが、この昆虫は同じ遺伝子を持ちながらも、身体成長が大きく二種に分かれる特徴がある。

一つは「飛翔の翅が短く、後ろ足が長い」もう一つは「飛翔の翅が長く、後ろ足が短い」というもので、前者の親から後者が生まれることもあれば、後者から前者が生まれることもある。

同じ遺伝子でなぜこの差が出るのだろうか? 


--答えは環境である。

通常の個体間密度が低い生育状況で育ったバッタは、孤独相と呼ばれ、「飛翔の翅が短く、後ろ足が長い」形態になるが、生育環境の個体間密度が過剰になったバッタは「移動相」の遺伝子を発現し、「飛翔の翅が長く、後ろ足が短い」個体へと成長し、植物を食い尽くしながら移動するという現象(飛蝗)を発生させる。

要は成長の過程において単純に遺伝子が自動的に発現したり、あるいは、遺伝子が上手く発現しないのを他の能力で補ったりするのではない。
遺伝子には、環境にそのスイッチを押される準備を整えた「ONになるのを待っている、眠ったスイッチ遺伝子」が存在し、それがONになった時、その能力を発現させるのである。
(無論、環境によってONにならなければ、それらは眠ったままだ)。

3.
学力の低下というのは、その成長下における環境要因であるとも統計の報告が出ている。Wikipediaからの引用であるがご容赦頂きたい。知能指数には地域偏差がある。

知能指数 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0#.E7.94.9F.E6.B4.BB.E7.92.B0.E5.A2.83

生活環境

IQは、生活環境によって大きく変わるとされている。たとえば1923年の研究では、イギリスの運河船の上で生活している子供は、学校出席率は全日数の5%で、両親が非識字の場合が多い。先天的なもので文化や環境の影響をうけにくいと考えられていたレーヴン漸進的マトリクスによる流動性知能の検査でも、これらの76人の子供の知能を測ったところ、平均IQは69.6であった。なお、4–6歳では平均IQは90、12–22歳では平均IQは60であり、成長とともに知能の伸びが低くなっている。これは流動性知能と呼ばれるものも、教育の有無が大きく影響している事を示している[6]。

また、僻地の生活者も平均IQは低いとされる。1932年の研究では、アメリカのワシントンD.C.西部のブルーリッジ山脈に住む子供を対象に知能検査をしたところ、山のふもとの村の子供のIQは76–118だったが、山間部の子供のIQは60–84だった。また運河船の例と同じように、年齢が高いほどIQが低くなっている[6]。

また、離島の児童も平均IQは低いとされる。広島大学の武村一郎らによる1965年の研究では、瀬戸内海の人口7千人の島の小学生152人に対して田中ビネー知能検査を実施したところ、男子の平均IQは92、女子の平均IQは80であった。なお、IQ75以下は22%と著しく多かったが、本土の特殊学級の知的障害児との比較では、知能検査のうち学習経験に左右される検査問題では、離島のIQ75以下の児童は低年齢で正答率が低く、高年齢で正答率が高いという特徴があり、一般的な知的障害児とは違いがあった。この研究グループでは、この現象を「離島性仮性知的障害」と名づけている[6]。

なお、生活環境のみならず、検査時の環境や体調によっても大きく変化するが、これは他の検査でも同様であるため、「心理検査」で詳述している。


日本での例ではそうかもしれないが、きちんと反証も挙げさせて頂くと、私の周囲で一人離島出身者がいる。
この方は長崎県五島列島の出身であるが、国立大学を出られ、一流企業に勤め、そして大学の研究室へ派遣された大変優秀な方であった(確か26歳で結婚されていたかと思う)。これに加え性格もすこぶる良く大変人間の出来た方である。
ということは、この方の素質のみならず、五島列島の大人の方々が非常に出来た人で、教育もきちんとしていた、という証左であるのだ。

但し、とは言え、日本の津々浦々の先生達がその力を尽力したとしても、都会の一流に触れえる機会があるのと無いのでは、全くの不公平であるとも言えよう。

ここで何が必要になってくるか。そう、Moocなど、現在のインターネットを使った情報受領の平等化である。
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フジテレビ「ふなっしー探偵」

2015-12-23 18:45:51 | 映像作品
正直見たいです。


ふなっしー探偵 - フジテレビ
http://www.fujitv.co.jp/funassyi_tantei/

1月7日(木)19時57分~21時54分

番組紹介
千葉県船橋市非公認ご当地キャラとしてテレビにイベントに大活躍している梨の妖精・ふなっしー。そんなふなっしーの魅力を存分に生かした初主演ドラマ!


あらすじ

代々警察官の家系平塚家に秘かに協力し続けているのは、テレビでもおなじみのふなっしー。この梨には、探偵という世間には知られていない顔がある。ふなっしーのポリシーは“日本の平和を守る”“子供たちの笑顔を守る”ためなら努力を惜しまないこと。そして、ふなっしーを筆頭に近年続々と増えているご当地キャラたちは皆、子供たちが安全に暮らせるよう、陰ながら見守っているのだ。

現在ふなっしーは芝臨海警察署の刑事・平塚平助(児嶋一哉)と相棒を組み、日々さまざまな事件の捜査に当たっている。ある日都内多数の場所で爆破事件が次々に発生して都民を不安に陥れる。事件の前日、警察には30年前に爆弾事件を起こした「地獄のスノーマン」を名乗る脅迫状が届いていたことが分かる。脅迫状への対策を怠っていたことを署長から責められた平助の上司・馬場課長(木下ほうか)は、ネチネチとしたイヤミを平助にぶつけながら、連続爆破事件の犯人逮捕に向けた捜査を命じる。

実は30年前に起きた「地獄のスノーマン」による爆弾事件は、ふなっしーと、当時相棒を組んでいた平助の父・平八郎が、唯一犯人を捕まえられなかった事件であった。そんななか警察署に宅配便でスノーマン柄の箱が届く。開封すると中に入っていたタブレットが起動し、「東京都民1300万人ヲ人質ニトッタ。爆弾ヲ都内ニシカケタ。解除シタケレバ暗号ヲ解読セヨ」というメッセージと暗号が表示される。犯人から暗号解読の指名を受けた平助は、ふなっしーと協力して暗号解読に挑む。ご当地キャラたちの応援を受けたふなっしーと平助は、都民に迫る危機を回避することができるのか…?


なぜそこで都民なんだ、と。
市川市とか鎌ケ谷市とか千葉県の市がいろいろあるじゃないか。
(まあタモリ倶楽部と同様、ロケの問題があるから都内から出られないとは思うのですが)

「ふなっしーは市川市を守りたかった。日本全国を守りたかったが、市川市の出荷量だけは増やすことができなかった・・・以後次回にご期待! 」みたいなネタで、毎回千葉県各市を救えなかったことをネタにする、と(残念ながら、これは連続モノではなく、完結モノみたいです)。


それでもクールなフジテレビがちょっとだけでも帰ってきてくれて、私としてはとても嬉しいです。

ちなみにふなっしーのコメントがストレート過ぎて笑った(代筆さんが書いているんでしょうけれども、文章的にGJです)。

インタビュー

Q.ドラマ出演が決まったときの感想をお願いします。

ふなっしー:
お話をいただいたとき、“本当にこれやるのかな?”と
素朴な疑問から始まったなっしー。
いよいよふなっしー主役でドラマをやるまでフジテレビ追い詰められたんだと思ったなっしー(笑)。
日本を明るく元気にするために頑張らせていただきますなっしー。

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メタルギアソリッドV、オープニング

2015-12-23 17:50:12 | 脚本
オープニング書き出し。


この作品はフィクションです。
本作品中に登場する実在の人物・団体・事件等については、
架空の設定が含まれています。




?「操縦不能、操縦不能」
?「管制塔応答せよ・・・・・・」
?「ダメだ 無線も死んでいる・・・・・・」





人は国に住むのではない。国語に住むのだ。『国語』こそが、我々の『祖国』だ。
──ルーマニアの思想家、エミール・シオラン




(病因のベッドでの患者視点でスタート)
(看護婦が主観視点の患者が目覚めていることに気付く)





Vが目覚めた( V has come to )。






医師「聞こえてますね? 」
医師「声が上手く出せませんか? 」
医師「首は動かせますか? 」
医師「聞こえていたら」
医師「頷いて下さい。」
医師「上を向いて下さい」
医師「では・・・」
医師「どうですか? 」
医師「話せますか? 」

(発声できない)

医師「あなたの名前は? 」
医師「生年月日は? 」
医師「憶えていますか? 」

(名前と生年月日を入力)

医師「どうも それで・・・・・・」
医師「ああ、落ち着いて下さい」
医師「焦ることはありません。」
医師「あなたにお話があります。いいですか? 」
医師「どうか 落ち着いて」
医師「あなたはずっと、昏睡(コーマ)状態だった。」
医師「ええ ええ 分かっています。どのくらいの長さか? 」
医師「あなたが眠っていたのは・・・・・・」
医師「9年です。」

(速まる心拍数)

医師「まずい! ヨソコマ! ヨソコマ! ナース! 」

(鎮静剤を用意するナース)

医師「大丈夫」
医師「大丈夫」
医師「落ち着いて」
医師「落ち着いて」
医師「そう」
医師「大丈夫です」
医師「大丈夫です」
医師「そうです」
医師「休んで」





ナース「気分はどうですか? 」
医師「あなたが覚醒してから一週間、今日は体を起こしてみましょう。ナース。」
医師「大丈夫。筋力は衰えていますが、昏睡中もマッサージやCPMに加えて筋肉保持のEMSも続けていました。」
医師「さて、これからあなたの状況を説明します。落ち着いて聞いてください。」
医師「あなたは9年前、重傷を負いました。」
医師「大きな爆発で・・・」

(レントゲン写真を見せる医師)

医師「救出された時、あなたの身体には、108個の破片が刺さった状態でした。」
医師「金属片だけではなく、人の骨や、歯までもが体内から摘出されたと・・・・・・」
医師「ほとんどは取り除かれました」
医師「ですが一部の破片はまだ残っています。」
医師「それらはつまり」
医師「あなたの心臓近くと 頭部のものです。」
医師「こっちを」

(2枚目のレントゲン写真を見せる医師)

医師「頭部の破片は大脳皮質の奥にまで達していました。」
医師「金属の破片もあるので、MRIは使えませんでした。」
医師「が、これを無理に抜くと」
医師「脳内出血を起こし」
医師「おそらく死に至るでしょう」

医師「記憶障害や機能障害 それは残ります」
医師「といっても、このままでも生命に危険はありません。」
医師「もうひとつ」


(3枚目のレントゲン写真を見せる医師)


医師「これが今のあなた、あなたの姿です。」
医師「実際に見て下さい。」
医師「遅かれ早かれ」
医師「いつかは受け入れないと」
医師「気持ちは分かります。ですが自分の腕を・・・・・・」
医師「自分の目で確かめて下さい。」
医師「勇気を」

(右手を見る)
(右手を確認)
(左手を見る)
(左手の手首から先が無い)
(上がる心拍数と意識の混乱)


医師「ヨソコマ! ヨソコマ! 落ち着いて下さい」

(鎮静剤を用意するナース)

医師「落ち着いて」
医師「落ち着きましょう」
医師「大丈夫です。大丈夫」
医師「大丈夫・・・・・・ですね? 」
医師「そう・・・・・・」
医師「そうです・・・・・・」


覚醒から二週間後


ナース「形成手術はまだ体力的に無理です。」
医師「いや、彼が覚醒したことが漏れてしまった! 急がないと」
医師「患者が危険だ」
医師「オペの準備をしてくれ」
医師「オペの準備をするんだ。」
医師「そう、あなたの覚醒を望まない者もいる。」
医師「死んだはずのあなたが生きている。」
医師「それが外に漏れた。」
医師「あなたは世界中から狙われる。今すぐ顔を変える必要があります。」
医師「そうでないと生き残ることができないのです。」
医師「あなたを広い世界に出す前に、やらなければならないことがあります。」
医師「あなたの顔を作り変えます。そうするしかない。」

医師「どんな顔にしますか」


(顔の選択画面)


医師「いいでしょう では包帯を取ります。」


医師「mmm、顔の傷は大丈夫です。」
医師「実を言うと、この包帯はあなたの命を狙う者から」
医師「あなたを守るためにしていたものです。」
医師「今後は○○と名乗ってください。」
医師「名前も過去も全て忘れてください」


ここから相次ぐ苦難に対する脱出に次ぐ脱出。
彼は伝説の英雄などではない。本当に本当の凡人であった。

108の破片は可能な限り身体から取り除かれたが、頭部と心臓付近のものは取り除けなかった。

この頭部に刺さった金属破片は、この人物の行動結果に応じて、身体から突出たり、あるいは引っ込んだりする。
基本的に倫理的な悪を行うと出て、良いことを行うと引っ込む仕様のようだ。
核兵器などを使用すると、鬼のツノに見えるくらいに金属片が額から突き出る。

そうした金属片が彼には残った。
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職場での私と煩悶

2015-12-23 16:37:11 | 雑感
私は職場で嫌われている。
まあ仕方の無いことなのであって、なぜかというと、私自身にやる気や誠意が無いのである。

じゃあお前がいけないんじゃないか、というと、私からすればそうでもない。
過去、私は本当に会社グループと会社組織の為に尽くしていた。結果として私自身が三日ほど寝込み、その後、あまり上手く喋れなくなった。そこまでして仕事に注力していたはずではあったが、その後、使えなくなったと見るや、1年の期間を置いて、私はその部署から切られた。あうあうあーは置いておきたくないというのがどの部署でも思うところというのは理解できるのだが、それをやっていたところが何の処置もなく切るというのはあんまりじゃないかとも、その後思うようになった。

その後、私は色んな部署を転々として、近年、その部署の当時の上長に会う機会があった。その当時の私がなぜ評価されなかったのかを聞いたが、その上長の言った言葉が、笑顔で「評価はしない」の一言だけだった。
その時はそんなものなのかな、で済ませていたが、時間が経つにつれ、ふつふつと怒りと諦めと悲しみが湧いてきた。

自分が一生懸命やってきた結果がこれだったのか、と本当に心の底からがっかりしているのであって、もう一度一生懸命やったら同じ結果が返ってくるのではないのかとビクビクしているのであって、もう一度仕事に打ち込んだら、今度こそ取り返しのつかないレベルにまで私の人生が崩壊するんじゃないか(もうある程度は崩壊しているが)と危惧するのであって、私自身は今の職場に思い切り疑念を抱いているのである。

本当に、今の仕事を一生懸命打ち込んだとして、本当に何か感謝されることになるんだろうか? 評価や見返りがきちんとあるんだろうか? 
本当にそれは真実なのですか? 

人によっては「いやいや結果はあとからついてくる。誠心誠意に見返りなんて求めちゃいけない。それが日本人の美徳じゃないか」と言うかもしれない。

確かにそうだ。しかしそれは仕事と違うんじゃないのか? それは飽くまで安定した人生と収入がある人が言うものだ。私は人より後れたそれを得る為に、評価と昇進が必要だったのだが、そういうのを無碍にゴミのように捨てているのが上記のような認識なのである。

また、日本人が報酬を求めない、というのも、ある程度合っていてある程度間違っている。

電車が駅にいる時に、プラットフォームと車両の隙間に女性が落ちてしまって、皆で助けた、というのがニュースであったが、それは別に、皆が報酬を期待したからではない。人命がかかっていたからだ。
あるいは、毎朝自分の家の前の道路を掃除するのは、そこが自分の敷地でなくても、自分の生活を成り立たせる為の所作としてあるのも、報酬を求めるからではない。

では企業の場合は? 労働と報酬は適切な関係に無くてはならない。美徳のために、自分の人生が破壊されるべきなのだろうか? そうしたサービスがあってはならない。私が当時振られた仕事も、私が受けるだけ受けたら必然的にそうなったのであって、会社側からの制限は無かった(低価格に設定された報酬は適切に支払われたが、根幹となる評価やあるいは疲労度のマネジメントは無かった)。

一度、疲労度のチェックで周囲の人を気をつけてみよう、という文書が回ってきて、「体重が短期間に著しく増減している」という項目があり、2007年の10月から12月で8kg減量した私がもろ当てはまった。

あとで思ったことであるが、こんなもの、過労の仕事としての結果が労働者の体調に現れているのであって、その大元となる労働量のマネジメントの方がおかしいからそっちの方を何とかするべきなのではないのだろうかと思ったのだが、その辺の考慮は一切なされていないらしい。

2010年からお付き合いした部署で仕事をして分かったのだが、そこと比較すると、2006年から2009年にお付き合いした部署というのは、基本的に仕事に余裕が無いのである。常にスケジュールはパンパンで、何か予備動作をするという余裕、あるいはスケジュール的な余裕やそういった思想がない。
ゴムひもはたわむからこそ引っ張る時に力を出す、というような考え方が無く、常に張り詰めっぱなしなのである。

当時の私はそれを疑わず、張り詰めっぱなしのゴムになったが、しかし当時の上長と一緒に壊れて終わった。

そして様々な部署を転々とし、現在は、その、私が潰れた部署、私を潰した部署に戻ってきている。


・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
無償労働は日本人の美徳、そうであるかもしれないし、そうでないかもしれない。

これを考える為に、日本人の記録として次の二例を挙げておく。

1.小野田寛郎

言わずと知れた、人生の30年間をルパング島に潜伏にあてた陸軍中野学校出身の情報将校。この方が終戦後も任務を忠実に貫かれていたのは報酬が合ったからではなく、理念があったからだ。

陸軍中野学校出身、と書いたのは理由がある。それは諜報専門スタッフ養成の学校だったから、というのではない。
陸軍中野学校では、卒業時に、「名誉や地位を求めず、日本の捨石となって朽ち果てること」を命じ、市井の中へと潜ませた。つまり己の人生を捨てよ、という特殊な命令を受けているのである。

ここで、「小野田さんは立派な方だろう、お前もそのようになれ、それが日本の常識だろう」という人がいれば、それは少し待った方がいいかもしれない。なぜかというと、仕事のために人生を犠牲にしろ、と言っているのと同義だからだ。

2.鎌倉武士

室町幕府成立の遠因となった、元寇討伐への恩賞の不足であるが、もし日本人が「無償」を美徳とするなら、この時鎌倉武士はぶーぶー言ってなかった。

また、「やあやあ我こそは」と言っていたのは恩賞を確実にその個人へ帰さるための口上であって、戦いの礼節ではない。

まあ待て、楠木正成は立派じゃないか、と言う方もおられようが、いやその自己犠牲を何故他人に強要できるのかが分からない。
自己犠牲の判断は自己が理念のために下すのであって、他人からあれこれ言われるようなものではないでしょう? 

それに疑問なのですが、そういう自己犠牲を私に求める方々は、なぜ自分の人生が破綻していないのでしょうか?  
なぜ声が出ないくらいにまで仕事をしていないのでしょうか? なぜ人生が破綻していないのでしょうか? なぜ仕事で倒れたことが無いのでしょうか? 
自分がそれを言うならまず自分がそういう状況になっていないとおかしいと思うのですが、なぜそうではないのでしょうか? 

そしてそこまでして仕事に打ち込んだ人に対して「評価はしない」などと言うのはありえないと思いませんか? 

ねえ、聞きますが、なぜあなたは死んでいないのですか? 

なぜ死んでいないのですか? 

ねえ? ねえ? ねえ? 


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