とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

人は生まれか育ちか

2015-12-23 20:12:04 | 哲学・社会
このテーマの遺伝子学的な結論が出てから結構経つので、もう世間には周知のことではあるとは思うのだが、知らなかった私の備忘の為にここに書き出しておく。

結論としては、生まれか育ちかという議論(nature-nurture debate)については意味が無い。「生まれか」それとも「育ちか」というどちらかの選択肢がその後の人生に作用するかという設問自体が適切ではなく、その双方が生後の成長に作用することが分かっている。これを今日見ていこう。


1.
マシュマロ・テスト ウォルター・ミシェル P93より

 一九五五年、ワトソンとクリックがDNAの構造解明に取り組んでいたのと同じころ、「エイブ・ブラウン氏」が一〇歳になる息子の「ジョー」をオハイオ州立大学心理学科のクリニックに連れてきた。当時私は、博士課程の訓練生としてそのクリニックにいた。ブラウン氏はとにかく急いでいたようで、隣に座っているジョーについての、ただ一つの質問を単刀直入にぶつけてきた。「とにかく、これだけ教えてください。この子は馬鹿なんでしょうか、それとも、ただの怠け者なんでしょうか? 」
 ブラウン氏の見も蓋もない質問は、マシュマロ・テスト(引用者註:マシュマロ・テストとは、人はいかにして欲求に対する耐性を身につけるか? という研究において、幼児を対象とした心理学的テストの略称のこと)について講演するたびに、心配顔の親たちが(たいていは、もっと如才なく)口にする同様の懸念を反映している。それは、ジェイムズ・ワトソンが幼いころに悩み、賢くも自ら答えを見つけたのと同じ疑問だ。そしてそれは、私の講演で話が人間の行動の原因に向かうと出てくる質問、多くの場合、肝心要の質問だ。それは生まれのせいなのか? それとも育ちのせいなのか? ブラウン氏と過ごした最初の数分で、生まれと育ちに関して氏が口にはしないが抱いている考え方がはっきりした。もしジョーが馬鹿なら、ブラウン氏はなす術がないと感じており、それを受け入れ、息子を大目に見ようとするつもりだった。一方、もしジョーが「ただの怠け者」なら、息子に「焼きを入れる」ための躾の手段としては、相当思い切ったものを用いる覚悟のようだった。


同著 P98より

研究者たちは双子研究を使って、生まれと育ちが分離できるかのように、それぞれの別個の貢献度を割り出そうとしてきた。彼らの先駆的研究には感謝すべきだろう。そのおかげで、私たちは生物学的作用に基づく生き物で、あらかじめ多くのものが組み込まれており、育ちに劣らず生まれも重要であることが明らかになったからだ。だが、遺伝についての研究が深まるにつれ、生まれと育ちとを簡単に分離できないことがわかってきた。特徴や人格、態度、政治信条など、人間の気質や行動のパターンは、一生にわたって環境要因によって発現の仕方が決まる遺伝子(たいては複数の遺伝子)の複雑な作用を反映している。私たちが何者で、何者になるかは、途方もなく複雑なプロセスの中で遺伝子の影響と環境の影響の両方が行う相互作用の表れなのだ。 「どれだけ?」という問いは、もういい加減、お蔵入りさせるべきだろう。なぜなら、単純に答えられないのだから。カナダの心理学者ドナルド・ヘップがとうの昔に述べているように、それは、長方形の大きさを決めているのは縦の辺の長さと横の辺の長さのどちらかと問うようなものだ。


同著 P100より

 難問は、環境に対するこの反応性を可能にするDNAの物理的属性を解明することだ。じつは、DNAの比較的少ない部分が、文にまとめられた単語(遺伝子)をコード化していることがわかった。こうした文のあいだに収まっているDNAの大半は、機能が謎の、何もコード化しない「がらくた(ジャンク)」だと長く思われていた。ところが、最近の研究で、コード化をしないこれらのDNAの長い連なりは、ジャンクにはほど遠いことがわかってきた。それらは、私たちの遺伝子がどう発現するかを決定する上で最も重要なのだ。「ジャンク」は、環境から届く手掛かりに反応して、どんな文が作られるか(そして、いつ、どこで、どのように作られるか)を決める、大切な調整スイッチで満ちている。環境が遺伝子発現にどう影響するかという研究分野の先導者フランシス・シャンペーンは、こうした発見を踏まえ、生まれと育ちはどちらがより重要かという議論をやめにして、代わりに、遺伝子は実際に何をするのか、そして、環境は何をして遺伝子のすることを変えているのかを問うべき時が来たと確信している。



2.
生物は生まれか育ちか、その個体差はどこで決まるか。
その答えのもう一旦を見ておこう。

バッタとは、バッタ目(直翅目)・バッタ亜目に分類される昆虫の総称であるが、この昆虫は同じ遺伝子を持ちながらも、身体成長が大きく二種に分かれる特徴がある。

一つは「飛翔の翅が短く、後ろ足が長い」もう一つは「飛翔の翅が長く、後ろ足が短い」というもので、前者の親から後者が生まれることもあれば、後者から前者が生まれることもある。

同じ遺伝子でなぜこの差が出るのだろうか? 


--答えは環境である。

通常の個体間密度が低い生育状況で育ったバッタは、孤独相と呼ばれ、「飛翔の翅が短く、後ろ足が長い」形態になるが、生育環境の個体間密度が過剰になったバッタは「移動相」の遺伝子を発現し、「飛翔の翅が長く、後ろ足が短い」個体へと成長し、植物を食い尽くしながら移動するという現象(飛蝗)を発生させる。

要は成長の過程において単純に遺伝子が自動的に発現したり、あるいは、遺伝子が上手く発現しないのを他の能力で補ったりするのではない。
遺伝子には、環境にそのスイッチを押される準備を整えた「ONになるのを待っている、眠ったスイッチ遺伝子」が存在し、それがONになった時、その能力を発現させるのである。
(無論、環境によってONにならなければ、それらは眠ったままだ)。

3.
学力の低下というのは、その成長下における環境要因であるとも統計の報告が出ている。Wikipediaからの引用であるがご容赦頂きたい。知能指数には地域偏差がある。

知能指数 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0#.E7.94.9F.E6.B4.BB.E7.92.B0.E5.A2.83

生活環境

IQは、生活環境によって大きく変わるとされている。たとえば1923年の研究では、イギリスの運河船の上で生活している子供は、学校出席率は全日数の5%で、両親が非識字の場合が多い。先天的なもので文化や環境の影響をうけにくいと考えられていたレーヴン漸進的マトリクスによる流動性知能の検査でも、これらの76人の子供の知能を測ったところ、平均IQは69.6であった。なお、4–6歳では平均IQは90、12–22歳では平均IQは60であり、成長とともに知能の伸びが低くなっている。これは流動性知能と呼ばれるものも、教育の有無が大きく影響している事を示している[6]。

また、僻地の生活者も平均IQは低いとされる。1932年の研究では、アメリカのワシントンD.C.西部のブルーリッジ山脈に住む子供を対象に知能検査をしたところ、山のふもとの村の子供のIQは76–118だったが、山間部の子供のIQは60–84だった。また運河船の例と同じように、年齢が高いほどIQが低くなっている[6]。

また、離島の児童も平均IQは低いとされる。広島大学の武村一郎らによる1965年の研究では、瀬戸内海の人口7千人の島の小学生152人に対して田中ビネー知能検査を実施したところ、男子の平均IQは92、女子の平均IQは80であった。なお、IQ75以下は22%と著しく多かったが、本土の特殊学級の知的障害児との比較では、知能検査のうち学習経験に左右される検査問題では、離島のIQ75以下の児童は低年齢で正答率が低く、高年齢で正答率が高いという特徴があり、一般的な知的障害児とは違いがあった。この研究グループでは、この現象を「離島性仮性知的障害」と名づけている[6]。

なお、生活環境のみならず、検査時の環境や体調によっても大きく変化するが、これは他の検査でも同様であるため、「心理検査」で詳述している。


日本での例ではそうかもしれないが、きちんと反証も挙げさせて頂くと、私の周囲で一人離島出身者がいる。
この方は長崎県五島列島の出身であるが、国立大学を出られ、一流企業に勤め、そして大学の研究室へ派遣された大変優秀な方であった(確か26歳で結婚されていたかと思う)。これに加え性格もすこぶる良く大変人間の出来た方である。
ということは、この方の素質のみならず、五島列島の大人の方々が非常に出来た人で、教育もきちんとしていた、という証左であるのだ。

但し、とは言え、日本の津々浦々の先生達がその力を尽力したとしても、都会の一流に触れえる機会があるのと無いのでは、全くの不公平であるとも言えよう。

ここで何が必要になってくるか。そう、Moocなど、現在のインターネットを使った情報受領の平等化である。
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