とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

米知識人、「日本の右翼書籍はでたらめ... ごみ箱に捨てた」

2015-12-26 12:35:29 | 海外・国内政治情報等

米知識人、「日本の右翼書籍はでたらめ... ごみ箱に捨てた」
DECEMBER 25, 2015 07:49
https://web.archive.org/web/20151226032102/http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2015122508108

日本の右翼勢力が旧日本軍慰安婦などについて歴史を歪曲した書籍2冊を米国の学者に送付し、学者の多くが不快感を露にしていると、聯合ニュースが24日付で報じた。書籍を受け取るやいなやごみ箱に捨てたという学者もいた。

問題の本は、右翼陣営の声を代弁する産経新聞社の『History Wars(歴史戦 世紀の冤罪はなぜ起きたか)』と反韓寄りの呉善花(オ・ソンファ)拓殖大学教授の『Getting Over It!(反日韓国に未来は無い)』だ。同書は、10月から米国など世界の歴史学者に送付された。慰安婦を「性奴隷(sex slaves)」と呼ぶ米国を「日本の敵」とまで言うなど、米国への敵対感も表現している(本紙11月24日付A8面参照)。

米モンタナ州立大学社会人類学科の山口智美教授は23日、インタビューで10月に日本から発送された2冊の本を受け取ったことを確認し、「人種差別主義・性差別的であり、歴史修正主義の内容で満たされていた」と批判した。

山口教授は、「日本の右翼勢力がこのような本を送ったからといって慰安婦問題に対する米国の学者の見方が変わるわけではない」とし、「実際に本を受け取った学者たちと話をしてみたが、考えを変えると言った人は1人もいなかった」と話した。

米テンプル大学日本キャンパスのジェフリー・キングストン教授(歴史学)も、「議論になっている2冊の本を受け取った」とし、「このような嘲笑される本が日韓の歴史問題に対する学者の認識に影響を与えると心配する必要はない」と話した。また、「あまりにもでたらめに書かれ、主張も非常に皮相的だ」とし、「かえって(このような書籍の発送は)非生産的な結果を生むだろう」と指摘した。特に『History Wars』は、「完全に事実を歪曲している」と批判した。匿名を要求した米国のある大学教授は、「低レベルな書籍のサンプルに取り上げられるだけのもの」とし、「本を受け取ってすぐごみ箱に捨てた」と話した。


さて、なぜ匿名を要求するかはさておき、正直これは下記の屈辱に対して、韓国国内向けのバランスを取った世論誘導のようにも思えるがどうだろうか。
民衆心情を落ち着けるためのカウンターではないかと。


米政治家、韓国の慰安婦本の受け取りを続々と拒否=「日米と縁を切る時」「外国人にはセウォル号も慰安婦も同じような問題」―韓国ネット
配信日時:2015年4月12日(日) 23時18分
http://www.recordchina.co.jp/a106034.html

2015年4月12日、韓国・聯合ニュースによると、韓国政府が初めて発行した従軍慰安婦被害者本が、米国の政治家たちから続々と拒否されている。

【そのほかの写真】

報道によると、従軍慰安婦問題の真実を知らせるため、韓国政府と民間が協力して作成した慰安婦被害者の口述記録集「聞こえますか」を、ハングル・英語版で配布するという構想も、その意味が薄れつつある。29日に迫った安倍晋三首相の米上下院合同演説を控え、米議員らの慰安婦冊子受け取り拒否の動きが表面化している。

この報道に、韓国のネットユーザーから多くの意見が寄せられている。以下はその一部。

「慰安婦関連の記事がどんどん出てくるが、一般人は興味がないぞ」
「国力を育て、日本に勝つことだけが唯一の道だ。その他に道はない」
「日米と縁を切る時が来た」
「世界はいつ変化するかも分からない。準備しておくことが必要だ」
「現在の韓国を見ると、朝鮮時代と同じだ。韓国はいまでも誰かが守ってくれることを望んでいる。歴史は繰り返す」

「米国は日本との関係を強化しようとしているようだ」
「米国の国益に基づいた行動だ」
「慰安婦問題における朴槿恵(パク・クネ)の戦略を放棄すべきか否か?いまだ明確ではない。賠償問題は、朴正煕(パク・チョンヒ)が日韓協定(日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)を結んだせいで、対外的には解決済みの問題となっている。日本の要求に応じて、いまこの問題を終了させるか、追加の交渉を通じて立場の違いを埋めていくのか、まだ答えが出ない。ただ、正しい歴史認識と、その直視が前提条件であるのは確かだ。これは外交か?ただのごり押しか?」
「外国人の目から見ると、セウォル号も慰安婦も、同じような問題なんだろう」(翻訳・編集/三田)


さて、仮にカウンターであるのが正解である場合、カウンターは8ヶ月で用意できたことなる。
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V has come to. その意味

2015-12-26 02:49:43 | 文章・日本語・言葉
※ネタバレ注意

英語が出来ない私が翻訳してみる。

2014年の九月に発売された、テレビゲームソフト「メタルギアソリッドV ファントムペイン」であるが、そのオープニングでのセリフに「V has come to. 」というものがある。

そもそも私は英語が出来ないし、更に言えばこのゲームソフトもプレイしたことがないのだが、この文章に含まれた(裏に隠された)ミーニングを考えてみようと思う。



直接的な意味として、「V has come to.」は「Vが目覚めた」と日本語訳される。
この裏の意味として、物語的にはボスが目覚めた際の暗号だったとされる。



さて、他にも色々文章上のギミックがあるだろう。かなり勝手ながら、私の想像のみに頼ってそれを追って行こう。



「V has come to.」は、Venomが主人公のゲームが始まる、という可能性。

「V has come to.」は、このゲームのオープニングで使用された通り、「第5作目(V)が到来した」という意味である可能性。

「V has come to.」は、Venom Snakeの出自を明らかにするストーリーの作品がやっと作れたのでその「お披露目をする」、という可能性。

「V has come to.」は、Venom(激しい憎悪)がスタートする、という可能性

「V has come to.」は、ヘビのVenom(毒)が回り始めるという意味の可能性

「V has come to.」は、人類に対する毒薬が回り始める、という意味の可能性(声帯虫の稼動開始)

「V has come to.」は、Victory(勝利)が到来する、という意味の可能性。

「V has come to.」は、Vが(何かを)するようになる(英語直訳)

「V has come to.」は、Vが(何者かに)なる(英語直訳)

「V has come to.」は、Vが(何かに)ならざるを得ない(英語直訳)

「V has come to.」は、Vが(何かをするために)やってくる(英語直訳)

「V has come to.」は、Vがステージに立った。

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風邪を引くの巻き

2015-12-26 01:22:26 | 最近の出来事
実を言えば今週風邪を引いた。

正確には、金曜日に睡魔が遅い、ストンと昏睡したのだが、幸いにして布団の上でそれが起きたのまでは良かったのだが、あいにく掛け布団をかけるところまでが意識が無かったので、そのまま朝までいたら風邪を引いた始末であった。








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ブリ大根感謝祭の巻き

2015-12-26 01:19:46 | 最近の出来事
さて、12/25は何の日かと言うと、それは間違いなくブリ大根祭りの日であった。
呼び方の明確な定義は決まっていないので、ブリ大根感謝祭でも、ブリ大根イースターでも、ブリ大根B反大市(in東京ドーム)でも構わない。

さて、昨日作った「寒ブリあ宮殿 with スーパーオクトパス」であるが、昨日のは下ごしらえにすぎない。

何せ、ブツ切りのブリのアラは骨だらけなので、ちょっとやそっと煮込んだくらいでは食べられない。
かなり骨が柔らかくなるくらいまで煮込んだとしても、一般的にはブリの骨などは基本食べられないのである。

ただ、私はどんなに硬くても魚の骨をモリモリ食べる方である。
外食チェーン店でアジ定食を頼んだ際、アジの骨をモリモリ食べていたら店員さんに「これは食べないものですので・・・」とそれとなく言われた。いやいやおいしいじゃないですか。なぜ食べないのよ、と。

あるいは出張販売している弁当屋の弁当を食べている際、その中のおかずのひとつとして魚があったので、骨ごともりもり食べていると、一緒に食べているAさんに「喉鍛えてるんすか」と言われた。その当時はよく分からなかったが、Aさんの解説によると、マンガ「ワンピース」での登場人物の剣士ロロノア・ゾロは、喉を鍛えているので魚の骨をまるごと食べられるらしい。

さて、喉を鍛えたことのない私はなぜか骨を食べるのが習慣になっているが、タレントのさかなくんも、魚を食べる際には、魚の骨をきちんと食べているらしいので間違ってはいないはずだ。

話は逸れたが、この骨だらけのブリを何回か煮込んで、食べられるまで柔らかくしよう作戦が現在進行中である。

行くが良い、そして第二次ゼーヴェレー作戦の状況を開始するのだ。


さて、なんだかんだ言って、かつての私の知り合いたちは、私のこんな行状を見て落胆するだろう。
いや、落胆するにもそもそもが何もすら持っていなかったではないか。自惚れるな。自意識過剰もいい加減にしろ、と。元ある何も持ってすらいないものに戻っただけなのだ。


私は例年クリスマスに幸せなカップルを呪う呪詛を念じてはいたが、そんなことはもうやめた。意味がないではないか、そんなこと。
いろんな人はいろんな人なりにクリスマスを過ごす。私はブリ大根を作る。いいではないか、幸せならそれで。

世界の為に祈ろうではないか。皆が幸せになるように。

世界から戦争がなくなるように。

貧困と格差がなくなるように。

ウェーイとか言っているリア充どもが目潰しを喰らって反省するように。

人の意志というものがなければ何事も始まらない。

まずは上記の理念を実現するために小さな現実的な一歩から始めなければならないのである。
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