河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

冬用ふとん・悪夢のシーズンの終わり

2019-05-08 16:40:39 | 日記
ようやく暖かくなり、
洋服も布団も衣替えのシーズンになりました。
我が家でも冬用布団を春用の薄い布団に衣替えしました。

毎年、私はこの時期になると、
「この冬を生き永らえた」という思いで胸がいっぱいになるのです。

「神様・仏様、ありがとうございました。」
「この冬を何とか生きのびてこられたのも、あなた方のおかげです。」
私は心の中で、そっと手を合わせているのです。
ありがとう、ありがとう。
本当にありがとうございました。アンガトね。

我が家の冬掛け布団は、たった1枚だけなんです。
二人の人間が包まるんだから、トーゼン2枚というのが常識でしょ。
それが、我が家ときたら、何をしみったれたんだか、
1枚しか無いんです。
何処をどう見まわしても、1枚だけしか無いんですね。

これって、おかしいよね。
絶対におかしいッ!

だってさ、人間の数は2なのに、
布団の数は1って・・計算が合わないじゃんか!

という事が、一体ど~ゆ~結果を生むか?

それは、考えるに恐ろしい。
想像するに・・想像したくない結果を生むのです。

冷たい世間に身を晒し、
そうなると、その冷たさゆえに凍死しかねない状況が・・・
あゝ、世間のその風の冷たい事ったらありません。

それが為に、そんな冷たい世間のすきま風から、
わが身をかばおうと、必死になって私は布団にくるまっているってのに、
我が女房ときたら、
私の必死の思いなど、どこ吹く風と言わんばかりに、
私の布団を引っ剥がすのです。

引っ剥がして、どうするのかと言うと、
さも、それが戦利品であるかの如く、
自分だけで、ぬくぬくと己の保身の為に亀の様にくるまっているのです。

あまりの寒さに、ふと我に返り、
「あれッ」と隣を見ると、
ぬくぬくと、自分だけが(暖ったか~い)という満足げな、
女房殿の顔を、私はまともに拝む事態となるのです。

「おいッ、テメ~ッ!」
私は我を忘れて必死こいて、布団の奪回作戦を始めるんです。

だってね、それをしない事には私は凍死しちゃうかもしれないでしょ。
夫婦だとか、愛する人はとか、
そんな絵空事みたいな事、言ってる場合じゃないのね。
も~、生きるか死ぬかの瀬戸際なんだから。

しかし、女房殿とツラを突き合わせると、
女房の顔の真ん中には二つの穴があり、
そこから噴き出ている、もう用無しの風、
(それって炭酸ガスじゃんか)
を、私はモロに吸い込む訳なんですね。

アンタね~、そりゃないんじゃない。
いっくらね~、夫婦と言ったってね~、
アンタが吐き出す、用無しガスをね~、
な~んで、俺がさも新鮮な空気として、取り入れなきゃならんの?
俺だって仮にも生き物なんだから、
やっぱ新鮮な空気を吸う権利はある訳でしょ。
それが何で、アンタの排気ガスで生きなきゃならんの、俺は。

という生きるか死ぬかの最前線を生き延びた私は、
今夜から、
2人の人間に対し、2枚の布団という、
世間一般の家庭では、当たり前すぎる設定、
当たり前すぎる夫婦のサマに、ホッと胸を撫でおろしているのです。

「良かった~、お互いに刃傷沙汰にならなくて」

歌声の皆様に、こんな悲劇はきっと無いとは思いますが、
こんな思いまでして、必死の思いで歌声喫茶に参加している人も、
中には居るんだって事を知ってほしくて、
一筆したためました。

生きるか死ぬか、毎日が必死の思いの(河童)です。








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今日の一曲「上海の花売り娘」

2019-05-03 07:57:34 | 音楽
上海の花売り娘(歌唱)水森かおり


これは中国人ではなく、れっきとした日本人(上原げんと)の作曲です。
でも、私はこの中国情緒あふれるメロディーが大好きなんです。

私達夫婦が1歳10か月の娘を連れて1ヵ月間の中国へ行ったのは、
今から26年前の事でした。

上海ジャズバンドで有名な、和平飯店で、
あのジャズバンドの演奏を聴きましたが、
その演奏に合わせて踊る大勢の客の合間を縫って踊る(お邪魔虫)の、
娘(万里子)を思い出すと・・
逢えない娘を思い出すと、切なくなります。

上海では・・乗った電車の向かいの席に座っていた老婆を思い出します。
彼女は、私達夫婦(中国人の妻であっても、
カタコトの日本語を話す妻)は日本人としか見えず、
それが彼女には耐えがたい事だったのです。
彼女は一度として私達を見なかった。
決して見ようとはしなかった。
「あぁこの老婆は日本人を恨んでいるんだな」
あの残虐行為で、自分の人生を台無しにしてしまった日本人。
人生そのものを全てオシャカにしてしまった日本人。

その老婆が日本人によってどれだけ苦しめられ、
どれだけ人生を狂わされたか・・そう思うと、
私は彼女の顔をまともに見る事ができませんでした。
もう年齢的にいっても彼女の人生にやり直しなど出来る筈もないのです。

「私は日本人だけど、貴女たち中国人にどれほど残酷な事をしたのかは、
よく分かっています。その事は私が生まれる以前の事なので、
私個人には何の責任もありません。
でも、同じ日本人だという事実に変わりはありません。
本当に謝りたい、ごめんなさいと心からお詫びしたい」

そう言いたかったけど、
私は悲しげにうつむく老婆の横顔に、
ただゴメンねと心の中で謝るしかありませんでした。
本当に、あの瞬間の、人としての(心)は・・切なかった。
ごめんなさい、ごめんなさい。





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