MBT524 お祭りマンボ 美空ひばり (1952)150711 vL HD
美空ひばりの歌に、この有名な「お祭りマンボ」があります。
この中に(スリバン)という意味不明な言葉があります。
私は古い人間なので、この意味を知っていますが、
(正確には知らなかった)
今の若者にこの意味を知る人は、まず居ないと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/1a/df831648c68413c87ae1bb11bcba1fd3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/42/553d29383b13f74591ebe776c2f028b3.jpg)
昔は消防署の横に火の見やぐらがありました。
その上に吊るしてあったのが半鐘(はんしょう)
火事が起こると消防士がこの半鐘を鳴らしたのです。
半鐘の鳴らし方で火事場までの距離が分かりました。
〇 遠く・・二つ半(二つ半鐘の意味)
(ジャーン・ジャーン)
〇 少し近くなると・・三つ半(ジャーン・ジャーン・ジャーン)
〇 更に近くなると・・四つ半(ジャーン・ジャーン・ジャーン・ジャーン)
〇 すぐ近くなら激しく打ち続ける。擦り半(すり半鐘)
これを鎮火するまで鳴らし続け、
鎮火すると最後に短く(ジャンジャン)と2回鳴らす。
ここから、(おじゃん)が(おしまい)の意味として使われる様になったと、
言われています。
これが、お祭りマンボにある(すりばん)の意味です。
それにしても、火の見やぐら・・懐かしいですね。
私が子供の頃には、消防署の建物の横にやぐらが建っていました。
その上には消防士がいつも立って周囲を見渡している姿がありました。
東京消防庁では1973年(昭和38年)に、
最後の鐘楼(火の見やぐら)が撤去されたそうです。
私の近所(東京都品川区荏原)にも火の見やぐらはありましたが、
それを見た最後はいつだったかの記憶はまるでありません。
私の家は目蒲線(現在の目黒線)洗足駅から、
400メートルくらいの場所で、いい所でした。
隣には伊達政宗の子孫という方が住んでいました。
近所には私を養子にしたいと欲しがった、評論家の戸板康二や、女優の若尾文子。
日ソ交渉で名を挙げた政治家の松本俊一などが住んで居たり、
アメリカ人軍属の家族やフランス人などが沢山住んでいました。
庭の木によじ登ると東京湾の海が見えました。
地図で調べると直線距離で4~5キロなのですが、
「あれが東京湾か」と打ち眺めていたものです。
今では全く海など見える筈もなく、良き時代でした。
チョッと方向違いには丸いドーム型の構造物が見えました。
母はそれを(ほしこーどー)などと言っていましたが、
それは後に知ったのですが武蔵小山駅方面にある、星薬科大学の、
星講堂の事でした。
そう思うと、昔の火の見やぐらは、かなり遠くまで見えたのですね。
火の見やぐら・半鐘・すりばん、全ては死語になりつつあります。
私達、歌声喫茶世代が如何に古い人間ばかりなのか・・・
チョッと淋しくなりますが、
それに反して(お祭りマンボ)は楽しい歌ですね。
美空ひばりの歌に、この有名な「お祭りマンボ」があります。
この中に(スリバン)という意味不明な言葉があります。
私は古い人間なので、この意味を知っていますが、
(正確には知らなかった)
今の若者にこの意味を知る人は、まず居ないと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/1a/df831648c68413c87ae1bb11bcba1fd3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/42/553d29383b13f74591ebe776c2f028b3.jpg)
昔は消防署の横に火の見やぐらがありました。
その上に吊るしてあったのが半鐘(はんしょう)
火事が起こると消防士がこの半鐘を鳴らしたのです。
半鐘の鳴らし方で火事場までの距離が分かりました。
〇 遠く・・二つ半(二つ半鐘の意味)
(ジャーン・ジャーン)
〇 少し近くなると・・三つ半(ジャーン・ジャーン・ジャーン)
〇 更に近くなると・・四つ半(ジャーン・ジャーン・ジャーン・ジャーン)
〇 すぐ近くなら激しく打ち続ける。擦り半(すり半鐘)
これを鎮火するまで鳴らし続け、
鎮火すると最後に短く(ジャンジャン)と2回鳴らす。
ここから、(おじゃん)が(おしまい)の意味として使われる様になったと、
言われています。
これが、お祭りマンボにある(すりばん)の意味です。
それにしても、火の見やぐら・・懐かしいですね。
私が子供の頃には、消防署の建物の横にやぐらが建っていました。
その上には消防士がいつも立って周囲を見渡している姿がありました。
東京消防庁では1973年(昭和38年)に、
最後の鐘楼(火の見やぐら)が撤去されたそうです。
私の近所(東京都品川区荏原)にも火の見やぐらはありましたが、
それを見た最後はいつだったかの記憶はまるでありません。
私の家は目蒲線(現在の目黒線)洗足駅から、
400メートルくらいの場所で、いい所でした。
隣には伊達政宗の子孫という方が住んでいました。
近所には私を養子にしたいと欲しがった、評論家の戸板康二や、女優の若尾文子。
日ソ交渉で名を挙げた政治家の松本俊一などが住んで居たり、
アメリカ人軍属の家族やフランス人などが沢山住んでいました。
庭の木によじ登ると東京湾の海が見えました。
地図で調べると直線距離で4~5キロなのですが、
「あれが東京湾か」と打ち眺めていたものです。
今では全く海など見える筈もなく、良き時代でした。
チョッと方向違いには丸いドーム型の構造物が見えました。
母はそれを(ほしこーどー)などと言っていましたが、
それは後に知ったのですが武蔵小山駅方面にある、星薬科大学の、
星講堂の事でした。
そう思うと、昔の火の見やぐらは、かなり遠くまで見えたのですね。
火の見やぐら・半鐘・すりばん、全ては死語になりつつあります。
私達、歌声喫茶世代が如何に古い人間ばかりなのか・・・
チョッと淋しくなりますが、
それに反して(お祭りマンボ)は楽しい歌ですね。