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京浜運河の惨劇

2022-02-04 14:43:48 | 事件・事故
[昭和37年11月] 中日ニュース No.462_2「炎の海を恨む -京浜運河の教訓-」


1962年(昭和37年)11月18日(日)午前8時11分。
川崎の京浜運河で大事故が発生しました。





京浜運河というのは、全長7,5キロ。幅500~600メートル、人工の運河で、
日本を代表する重化学工業の工場が建ち並び、
大小の船舶が頻繁に往来する大動脈なのですが、
何時かこういった大事故が起こるのではと杞憂されていたのでした。



事故を起こしたのは、ノルウェーの石油タンカー、タラルドブロビグ号(21600トン)と、
日本のガソリンタンカー、第一宗像丸(1970トン)でした。
写真左がノルウェー船で、右側が第一宗像丸です。





この2隻がどちらかの過失で、
ノルウェー船が第一宗像丸に衝突し、第一宗像丸の船体の亀裂から、
ガソリンが流れだしたのでした。

この時、第一宗像丸の後方100メートルを、
重油160キロリットルを積んだ、小型タンカー、太平丸が後続し、
更にその後方100メートルには、ゴム65トンを積んだ宝栄丸が居ました。

第一宗像丸は衝突と同時に停船しました。
それに続いていた太平丸は衝突を避ける為に、そのまま進んでいましたが、
第一宗像丸の左舷側をすり抜け、巨大なタラルドブロビグ号の前方で停船しました。
それは流れ出ているガソリンの帯の中に浮かんでいる格好でした。
その時、太平丸では朝食の準備中で、船尾にある厨房では食事の煮炊きをしていたのです。

第一宗像丸の船長は、自船から流れ出るガソリンを見て、
火災の恐れあり至急救援を乞う、と直ちにSOSを発信し、
事態のただならぬ状態が如何に危険性が大きいかを感じていました。

そして太平丸の煮炊きの火は、遂にガソリンの気化ガスに一気に引火して燃え広がり、
第一宗像丸は大爆発を起こしてしまいました。
京浜運河は完全に炎と爆発音に包まれ地獄絵になっていました。
事態はまさに恐れていた最悪の事態へ突き進んでいったのです。
京浜運河は大爆発の爆音が轟き、運河全体が火炎地獄に化していました。

事故発生と同時に京浜運河は全面閉鎖になり、
消防局・海上保安庁・横浜港駐留の米軍からも、
多数の消防車・消防艇による消火活動が行われ、
翌日、午後には鎮火し火災は収まったのでした。

この事故の犠牲者は、
第一宗像丸は36名の乗組員全員死亡。
宝栄丸は爆発と同時に乗組員は運河に飛び込み対岸に逃れましたが、
逃げ遅れた2名が焼死。
タラルドブロビグ号は甲板員1名死亡。
太平丸は2名が焼死で、合計41名が死亡したのでした。



火災で燃え尽き、36名全員が亡くなった第一宗像丸の変わり果てた姿。

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