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青森深浦高校、122対0の歴史的敗北

2021-08-16 07:23:51 | スポーツ
高校野球 122対0 歴史的な試合があった 大敗した 球児は今…


今から23年前の1998年8月18日。
第80回全国高校野球で歴史的な(事件)がありました。
その年は横浜高校のエース松坂大輔が劇的な逆転優勝をした年でした。



青森県西部の漁港、深浦町にある深浦高校野球部は、
甲子園経験4回の、東奥義塾高校を相手に、122対0という敗北をしました。





得点差が大きい試合が出やすい地方大会とはいえ、
122点差というのは日本のみならず世界的な(事件)でもあります。



野球部の監督は、就任1年目、25歳の工藤監督でした。
最初は部員4人。
監督の熱心な勧誘があって6人の一年生が入部しました。

当時の青森県には5回コールドの規定はなく、
7回まで試合をやらなければなりませんでした。

5回終了時で、93対0。
工藤監督はナインを集めて全員に問いました。
「試合続行か?放棄か?決断を自分にゆだねるか?」の3択でした。
ほぼ全員が判断を監督にゆだねると言う中で、
たった一人、エースの佐藤が、
「応援してくれている人も居るんです」と決断を決めかねていました。

長い中断時間にスタンドはざわめいていました。
ナインが守備位置に駆け出した瞬間、球場は割れんばかりの歓声に包まれたのです。
「一瞬何が起きたのか分からなかった」
佐藤に言われるまで、自分達が応援されていること自体忘れていた。
その回から選手たちは変わった。
表情が見る見るうちに生き返っていった。

結果はどうあれ、両校は真剣でした。
点差が開いても東奥義塾の選手たちは笑ったり、ふざけたりする事なく、
長打狙いで大振りすると怒られていて、こっちも本気でやろうと思ったのでした。

結果は5人に6度のサイクルヒットを打たれ、ノーヒットノーラン。
149打席で86安打。7本塁打。76盗塁の滅多打ち。

深浦高校は2007年に生徒数減少により、
木造高校深浦校舎に名前を変えました。
1年生部員6人は欠ける事なく野球を続けました。



このある意味、素晴らしい青春ドラマは本にもなっています。

私はこの話を、深浦で毎年行われるイベント、深浦歌声ツアーの時に聞かされて知りました。
「122対0って・・そんな話があるのか」



青森県の小さな町、深浦で1年に1度だけ開かれる「深浦の歌声」は、
毎年200人もの歌声喫茶大好き人間が集まるビックイベントであり、
第一回目は2003年からだったと思います。
最初は50人程度だったのかな?
私が初めて行ったのは2009年の、現在は使っていない公民館での歌声でした。

17.10.8.青春・深浦の歌声


それが、その後はどんどんと参加者が増えて、
恒常的に200人からの人達が集まるというので、
青森県でも話題になり、いつもマスコミに取り上げられています。

歌声好きになった事で行く様になった、遠い深浦町で、
私達とは別に、こんな青春ドラマがあったとはね。

コロナでもう2年も開催されていませんが、
これからはコロナとの兼ね合いでどうなるのでしょうね?




コメント
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